子爵令嬢の憂鬱。(2)
※引き続き、ビアンカ視点となります。
唖然とした表情のマルセルを見て、私は自分が勘違いをしているのではないかと思い始めた。
でも、まだ可能性が消えた訳では無い。黙ってマルセルの次の反応を待っていると、彼は不機嫌そうに眉を顰めた。
「ディーボルト子爵家の後継? 何で僕が今更、そんな事に関わらないといけないの?」
「何でって……。あの家の後継者は貴方だったでしょう」
「僕が後継者?」
ハッと鼻で笑う。マルセルは自嘲するみたいに顔を歪めた。
「そんなの無理に決まっている。正妻の子供がいるのに、妾の子供が跡継ぎになるなんて、親族が許す筈無いだろう。他の貴族達だって受け入れやしない。あり得ない夢を見ていたのは、父と母だけだ」
そんな事は無いとは言えない。
実際にマルセルを長男として認知した事で、父は親族からの支持を失くし、血統を重んじる貴族からも爪弾きにあった。
「でも、最終的に後継者を選ぶのは当主である父よ。あの人がミハイルを後継者に選ぶ事は、絶対に無いわ」
「……そうかもね」
父は、魔力持ちであるミハイルを忌避している。
マルセルもそれを知っているのか、否定はしなかった。
「まぁ、どっちでもいいよ。ミハイルが継ごうと継ぐまいと、僕には関係無い。既に調べてあるだろうけど、僕はカロッサ商会に婿入りしているから、どの道、ディーボルト子爵家の当主にはなれない。というか、なりたくない。……何なら、あんな家、滅んじまえって思ってる」
「!」
マルセルは暗い目で吐き捨てる。
私やミハイルとは違い、マルセルは両親の愛情を知っていると思っていた。でも、それは私の勝手な思い込みなのかもしれない。
「父が貴方を連れ戻しに来た、なんて事も無いのね?」
「無いよ。昔からあの人は、僕単体には興味が無かった。母は愛していたけれど、僕は母の付属品くらいにしか思って無かったんじゃない? 後継者の件では焦っているかもしれないけど、わざわざ僕を探して、説得して連れ戻すなんて面倒臭い事はしないと思う」
「……そう」
投げ遣りな言葉を否定する材料を持たず、私はただ相槌を打つだけに留めた。
ミハイルが家出して神殿に転がり込んだ時も、除籍を諦め、私が家を出た時も、父は探す事も止める事もしなかった。だからマルセルが言っている事は、おそらく正しい。
「分かった。ディーボルト子爵家の事はもういいわ」
「なら、もう行っていい?」
「駄目よ。肝心な事を聞いていない。貴方はミハイルに何を言ったの?」
「…………」
「今後も私に付き纏われるのが嫌なら、話して」
硬く口を閉ざしていたマルセルは、諦めたように息を吐く。
ずっと合わせていた視線を逸らした彼は、俯きながら小さな声で話し出した。
「……ただ僕は、関わらないでくれって言っただけだ」
「え?」
「妻や妻の家族に、半分でもミハイルと血が繋がっているって知られたくない。だから、他人の振りをしてくれって言った」
ドクンと心臓が大きく鳴った。
酷い耳鳴りがする。頭も鈍く痛み、マルセルの言葉を理解しようとしても、上手くいかない。
今、彼は何と言った?
血が繋がっていると知られたくない?
元貴族だった過去を知られたくないという事だろうか。
でもマルセルは、個人を指して言った。
ミハイルと、血の繋がりがあると知られたくないと。
「何で、ミハイルと血が繋がっていると知られたくないの?」
「……弟大好きなアンタには分からないだろうな」
マルセルは、嘲るように片端だけ口角を吊り上げた。
「アイツが魔力持ちだからだよ。僕は、魔力持ちと血が繋がっていると思われたくない」
「……マルセル! 貴方って人は‼」
思わず椅子から立ち上がる。
マルセルを睨み付けると、それ以上に鋭い目で睥睨された。
「何だよ? 僕は間違った事は言ってない」
「ふざけないで! ミハイルが貴方に何をしたって言うの⁉」
「別に何もされてないよ。アイツが良い奴だって知っているし、特に恨んでもいない」
「なら……!」
「でも、魔力持ちが世間からどう扱われてきたか、アンタも知っているだろう?」
「!」
私は息を呑む。
一瞬、返す言葉に詰まってしまった。
「最近は少しマシになってきたとはいえ、少し前まで魔力持ちは迫害対象だった。特に親世代が根深い嫌悪感を持っているのは、アンタだって見ただろう?」
「…………」
思い出したくもないが、記憶に焼き付いている。
ミハイルが魔法を使って見せた時、両親はあの子を拒絶した。怯え、嫌悪し、幼い我が子を化け物だと責め立てた。
「医療施設に勤務する魔導師として接する分には、特に害は無い。けれど、それが身内の親族だと知ったらどうだ? もし、父方の血を継いでしまったら、愛する子供が魔力を持って生まれてしまうかもしれない。孫が、魔力持ちで生まれたらどうしよう。そんな風に考えるかもしれないだろう?」
「そんなのはミハイルのせいでは無いわ!」
込み上げる怒りに、頭がおかしくなりそうだった。
「魔力を持って生まれた事は、あの子のせいではないのに、ずっと誰かに責められている。親に裏切られ、世間に傷付けられ、それでも人助けがしたいって、真っ直ぐな気持ちを忘れずに生きているのに。何で、またアンタに……自分の事しか考えてないアンタなんかに傷付けられなきゃならないの⁉」
感情的になった私は、わざとマルセルを傷付けるような言葉を選んでぶつけてしまった。アンタなんか、なんて言う必要は何処にも無かったのに。
マルセルはぐっと眉間に皺を刻む。
苦しげな表情をした彼は、「そうだな」と小さな声で呟いた。
「……でも僕は撤回しない。今の僕の最優先は身重の妻だ。……彼女の憂いを取り除く為なら、何だってするさ」
コン、コン。
口論の隙を突くように、扉が鳴る。
マルセルが退き、開いた扉から現れたのはミハイルだった。
眉を下げた彼は、驚きに目を見開く私とマルセルを見て、困ったように微笑む。その背後ではマリーちゃん達が、同じく困り顔をしていた。
「あんまり大きな声を出すと、他の患者さんのご迷惑になりますのでお静かにお願い致します」
ミハイルは職員として、私達に話し掛けた。
「どうやら何か手違いがあったようで、申し訳ございません。先日の件ですが、ご要望に沿った対応をさせていただきますので、ご心配なさらないで下さい」
マルセルと目を合わせ、ミハイルはそう言った。
マルセルは居心地悪そうに俯く。
「そろそろ奥様の診察が終わる頃ですので、待合室の方でお待ちください」
ミハイルが一歩横にずれると、マルセルは少し躊躇してから部屋を出ていった。
室内には私とミハイル、それからマリーちゃんと旦那さんとヴォルフが残る。
「姉さん……」
「!」
静かな声で呼ばれ、思わずビクリと肩が揺れた。
「み、ミハイル。ビアンカさんが悪いのでは無いの。私が相談したのが発端で……」
慌てたマリーちゃんが、私を背に庇うように立ちはだかる。
それを見て、ミハイルは柔らかく目元を緩めた。
「オレは姉さんに怒ってはいません。もちろん、貴方にも、彼にも」
ミハイルはゆっくりと頭を振る。
「姉さん、少し話がしたい。聞いてくれる?」
私は戸惑いながらも、小さく頷いた。




