転生公爵の思案。(3)
「一番に思い付くのはディーボルト子爵家の後継問題ですが、時期が遅過ぎる気もしますね。マルセル殿がディーボルト子爵家の後継を外れる前の段階なら、まだ分かります。ですが彼は既に商家に婿入りしているので、今更という気がします」
「確かに」
好きな人と結婚したいのに、跡取りの立場が邪魔をしているという事なら、ミハイルを呼び戻そうとするのも理解出来る。
でもミハイルのお兄さんは既に結婚しているので、そんな行動を取る必要が無い。
「……もしかしたら駆け落ち同然で結婚して、今になって実家に連れ戻されそうになっているのかも?」
「それでミハイルを代役に立てようとしていると。可能性はありますね」
「うーん……。だとしたら、ビアンカさんにも話をしておいた方が良いかしら?」
頬に手を当て、悩みながら口を開く。
ビアンカ姐さんはディーボルト子爵家の長女だ。
後継者問題が絡んでくるとしたら、彼女にも知らせておくべきだろう。
でも、ビアンカ姐さんは冷静に対応出来るだろうか。
ビアンカ姐さんは聡明で自立した女性だが、愛する弟が絡むと暴走する事がある。なんせ、フランメに渡った弟を追って、女性の身でありながら単身で船旅を決行した人だ。
「その方がいいでしょう。ディーボルト子爵家の問題だとしたら、彼女も無関係ではありません。それに、件の人物が本当にマルセル殿なのか確認してもらう必要があります」
「そうだった。私達じゃ分からないものね」
先走ってしまったけれど、そもそもミハイルの不調にマルセルさんが関与していると決まった訳では無い。
アレコレ考える前に、そこはハッキリさせておいた方がいいだろう。
「じゃあビアンカさんに事情を説明して、例のご夫婦の次の診察予定日に顔を確認してもらいましょう。詳しい話はそれから」
「でしたら早い方がいいですね」
言うなり、レオンハルト様は手帳を取り出す。
「明日は特別な予定は入っていませんので、午後でしたら時間が作れると思います。朝一で先触れを出しておきますね。平日ですから、おそらくヴォルフかビアンカ嬢のどちらかは出勤しているでしょう」
「お願い」
それで良いかと問うレオンハルト様の視線に頷いた。
そんな話をした翌日の午後。
医療施設に行くと、ヴォルフさんもビアンカ姐さんも出勤していた。先に連絡を入れていたのが功を奏し、二人共、仕事を調整して時間を確保してくれていた。
応接間の一つを借りて、話し合いを始める。
まずは、昨日のレオンハルト様との会話で分かった情報を共有する。あくまで推測の域を出ていないという補足も忘れずに加えた。
けれど、説明を聞いているビアンカ姐さんの表情が徐々に険しくなっていく。
「……それは本当なの?」
ビアンカ姐さんの声が、いつもより低い。
「まだ確証はありません。そうかもしれないって私達が思っているだけで、もしかしたら別人の可能性もあります」
「そう」
ビアンカ姐さんは短く相槌を打ち、俯く。
腕組みをした彼女は込み上げる怒りを抑え込むかのように目を瞑り、眉を顰めた。
「……ごめんなさい、マリーちゃん。ちょっと動揺しちゃって、嫌な態度を取ったわ」
すぐに顔を上げたビアンカ姐さんは、無理に笑顔を作る。
ミハイルや実家の事で胸中は荒れているだろうに、私を気遣ってくれる彼女の優しさに、「大丈夫です」としか答えられない自分が歯痒い。
「まさか、今頃になって実家の話が出てくるとは思わなかったわ。ミハイルもアンタも、てっきり実家とは縁を切ったのかと思ってた。名乗る時も正式な場以外は、名前しか名乗らないものね」
場の空気を変えるように、ヴォルフさんはわざと軽い調子で言った。
「私はもう平民のつもりだからね。でも、実際に除籍するには当主の許可が必要なの。暫くは許可を出せって粘っていたんだけど、醜聞がどうとか、家門がどうとか煩いから、もう面倒臭くなって、諦めて家を出たのよ」
「へぇー。貴族って面倒ね」
「そうね。もうディーボルト子爵家の評判なんて、落ちるところまで落ちているっていうのに、馬鹿みたい」
ヴォルフさんの気配りに気付いたのか、ビアンカ姐さんも肩の力を抜いて苦笑する。
張り詰めた空気が消えた事に、私は密かに安堵した。
「ミハイルも私も戻る気は無いし、マルセルも跡を継ぎたくないって言っているなら、大人しく親族から養子でも取ればいいのよ。次男、三男で継ぐ家が無い男子なんて、いくらでもいるでしょうし、直系に拘る必要は無いわ。……まぁ、醜聞塗れの子爵家なんて、誰も継ぎたくないのかもしれないけど」
どちらにせよ、私達には関係無いわとビアンカ姐さんは締め括った。
「そこまで腹が決まっているなら、分かり易くていいわね。こっちも対応しやすいわ。要は誰が乗り込んできても、うちの従業員は渡せないって追い返せばいいんでしょう?」
「そういう事ですね」
ヴォルフさんの頼もしい言葉に、私は笑って頷いた。
「もし権力を行使してきても、プレリエ公爵家が対応します。ね、レオン?」
「お任せください。うちには優秀な人材が揃っていますので、あらゆる事態に対応出来ますから」
荒事でも訴訟でもご随意にと、レオンハルト様は口角を薄く上げる。
やや黒い笑顔を浮かべる彼に、程々にねと苦笑を返した。
「……ありがとう」
ビアンカ姐さんは、少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「いいえ。優秀な従業員を失うのは、うちとしても痛手ですから」
だから気にしなくていいのだと言外に告げると、ビアンカ姐さんは、はにかむように微笑んだ。
「じゃあ、はい、注目。方針が決まったところで、段取りの確認に移るわよ」
ヴォルフさんは軽く手を叩く。
私だとすぐに話が脱線するので、仕切ってくれるのが地味に有難い。
「まずはカロッサ商会の若夫婦の次の診察日に、ビアンカが旦那の方の顔を確認するのよね?」
「それは構わないけれど、次の診察日は決まっているの?」
「三日後に予定を入れてあるそうよ。貧血に効果がある漢方は処方しているけれど、なんせ妊婦だからね。健康状態を見ながら使用するかどうかを決めた方がいいからって、十日分だけ渡してあるみたい」
「分かったわ。じゃあ三日後は固定の仕事を入れずに、自由に動けるようにしておく」
「それで、もし本当にアンタ達の兄弟だった場合はどうする?」
「どうするって……」
ヴォルフさんに問われ、ビアンカ姐さんは言葉に詰まる。
ビアンカ姐さんは助けを求めるように私を見た。
「その場で彼と話すかどうかって話ですよね?」
私がそう言うと、ヴォルフさんは頷いた。
「そう。あんまり時間を掛けるのもどうかと思うし、毎回、付き添いに旦那が来るとも限らないしね。ビアンカが冷静に話せるのなら、いっそ聞いてしまうのも手だとは思う。でも当事者であるミハイル抜きで話すのも、それはそれで問題なのよね。『何でも無い』って言っているミハイルからすると、私達がこうして集まっているのも含めて、余計なお世話な訳だし」
それは、本当にそう。
直接話を振られたビアンカ姐さんだけでなく、痛い所を突かれた私も黙り込む。
ミハイルの様子を見る限り、何も無かったとは思えない。でも、助けを求められていないのに、勝手にアレコレと考えを巡らせ、動いているのが正しいとは言えない。
「確かにミハイル殿から相談を受けてから、彼の意向に沿った手助けをするのが筋です。ですが彼の性格を考えると、放置は悪化を招くだけでは?」
レオンハルト様の言葉に、重く頷く。
それも本当にそう。ミハイルは一人で抱え込みがちだというのは、私達の共通認識だ。一番彼を良く知っているビアンカ姐さんも頷いているのだから間違いないと思う。
ミハイルが愚痴を零してくれたら、話はもっと簡単だ。
力になれる事があるなら手伝うよと、気軽にこちらも言える。
でもそれが出来ないのがミハイルだ。
我慢強くて、頑固で、人の事ばかり気にしてしまう優しい人だからこそ、私達もこうして必死になっている。
「私は、話したいわ。ミハイルには怒られるかもしれないけど、黙って静観は出来ない。なるべく冷静に話せるよう、気を付けるから」
「……分かりました」
どちらが正解かは分からないけれど、一先ず、結論は出た。
ビアンカ姐さんの表情の硬さにやや不安が残るけれど、決まったからには、私達は全力でサポートするだけだ。




