転生公爵の思案。(2)
「野郎は野郎でもミハイルくらい可愛げがあるんなら、また話は別なんだけれどね」
ヴォルフさんの軽口の延長のような言葉に、私とテオは同時に反応する。
顔を見合わせた私達を見て、ヴォルフさんの表情が真面目なものに変わった。
「もしかして、私への用事ってミハイルが関係している?」
「はい、そうです」
私が頷くと、ヴォルフさんは素早く向かいの席に座った。
やや前のめりな体勢で、口を開く。
「やっぱり、何かあったの?」
「『やっぱり』という事は、ヴォルフさんも何か心当たりが?」
逆に問い返すと、ヴォルフさんは開きかけた口を噤む。言おうか、言うまいか、逡巡している様子だった。
私は彼の言葉を引き出す為に、話を続ける。
「具体的に何かがあったかどうかは、私達も分かりません。ただ少し、ミハイルの様子がいつもと違う気がすると、さっきテオに聞いたばかりなんです」
「……そう」
「オレの気のせいならいいんです。でも、もし何か思い当たる事があるなら教えてもらえませんか? ミハイルは辛い事があっても、黙って耐えてしまう奴だから心配なんです」
テオがそう言うと、ヴォルフさんは困ったように眉を下げた。
「私も具体的に何があったとは聞けてないのよ。ただ、少し前……先々週くらいだったかしら? 知り合いっぽい男と話しているのを見かけたんだけど、ちょっと様子がおかしかったのよね」
「知り合い? お友達ですか?」
「そんな仲良さげでは無かったわ。最初は苦情でも言われているのかと思って、間に入ろうとしたんだけど、ミハイルに違うって止められたの。古い知人と挨拶していただけだって。……そんな雰囲気には見えなかったんだけど、それ以上はあまり踏み込んで欲しくなさそうだったから、聞けなくて」
その『古い知人』とやらが、悩みの原因だろうか。
魔導師となってからのミハイルの交友関係は、私の知人も多いけれど、その前――神父見習い時代の彼の知り合いは、全く分からない。
「その知り合いとやらは、ミハイルに会いに来たんですか? それとも患者として来て、偶然会った感じ?」
「後者だと思うけど、患者では無いわ。妊娠中の奥さんが貧血気味で相談に来て、その付き添いらしいわよ」
テオの問いに、ヴォルフさんが答える。
それを聞いて、余計に古い知人とやらの正体が分からなくなった。
神父様は基本、独身だ。そう考えると、神父見習い時代の同僚である線は薄い。養護院に手伝いに行っていたので、そこで知り合った線も無くはないけれど、あの頃のミハイルは人と深く関わる事を避けていたように思う。
「……そのご夫婦の情報って、分かります?」
患者の個人情報を探るのは、あまり宜しくない事だけれど、事情が事情だ。何か起こってしまう前に把握しておいた方がいいだろう。
「旦那の方は難しいけれど、奥さんの方なら診療記録が残っているはずよ」
「じゃあ、調べてください」
「任せて。分かったら、連絡するわ」
「お願いします」
丁度、話が一区切りついた頃にリリーさんが戻って来た。程なくしてレオンハルト様も来たので、麦茶をお土産にもらい、その日は大人しく帰った。
ヴォルフさんからの連絡がきたのは、翌日の昼。
レオンハルト様にもミハイルの件は説明してあったので、執務の合間に時間を取ってもらい、一緒に確認する事にした。
「流石、仕事が早いですね」
ヴォルフさんから届いた手紙を眺めながら、レオンハルト様は呟く。感嘆混じりの声には、素直な賞賛が込められていた。
「今度、何かお礼しなくちゃね」
私が予想していたよりも、随分早い。
忙しいだろうに、優先して調べてくれたんだろう。しかも、支払いの時に夫の方がサインしたらしく、二人共の名前が判明した。
奥様の名前はリンダ・カロッサ。
旦那様の名前はマルセル・カロッサ。
「奥様の方は確か、カロッサ商会の娘さんよね」
「はい。半年ほど前に、結婚したと聞いた記憶があります」
カロッサ商会は、王都を中心に活動している商会だ。規模はさほど大きくは無いが、異国の珍しい工芸品を取り扱っており、コアなファンは多い。
プレリエ領にも店があるので、私もたまにお世話になっている。
「姓がカロッサという事は、婿養子?」
「ですね。あそこは確か、お嬢さんが一人でしたから」
会話をしながら、改めて思う。
ヴォルフさんも優秀だけど、レオンハルト様も負けていない。よく、そんな細かい情報まで覚えているなと感心した。
我が家と直接、取引のある商会や、プレリエ領を本拠地にしている商会の情報は、私も頭に叩き込んであるけれど、その他は自信が無い。
優秀な旦那様がいてくれて、本当に助かる。
「ローゼ?」
「あ、うん。ごめんなさい、気にしないで」
黙り込んでしまった私を、レオンハルト様は不思議そうな顔で覗き込む。
頭を振ってから、彷徨っていた思考を本筋に戻した。
「結婚して姓が変わっているとなると、余計に、何処の誰なのか分からないわ」
「マルセルという名前も、珍しいものではありませんからね。それでも貴族なら名鑑を調べれば候補を絞れますが、商会に婿入りしたとなると平民の可能性が……」
レオンハルト様は途中で言葉を区切る。
腕組みをした彼は、思案するように黙り込む。
「レオン? どうしたの?」
「いえ。マルセルという名前に、聞き覚えがある気がしたんです。ただ、いつ、何処で聞いたのかが思い出せない」
目を伏せたレオンハルト様の眉間に、シワが刻まれた。
彼の思考を邪魔しないように私も静かに見守り、室内は静寂に包まれる。
十数秒の間を空けて、「あ」という声と共に、レオンハルト様が目を開ける。
「ご長男だ」
「え?」
「ミハイル殿の兄君ですよ。ディーボルト子爵家の長男の名前が、確かマルセルです」
「……あ」
言われて、私も漸く思い出した。
ディーボルト子爵家の長男で、ミハイルの異母兄、マルセル・フォン・ディーボルト。
私が言えた義理ではないが、彼も滅多に社交の場には姿を見せないので、顔を知らない人が殆どだろう。
「でもミハイルのお兄様なら、商家に婿入りするのは無理よね?」
ディーボルト子爵家の跡継ぎは、長男である彼しか残っていない。
ミハイルは家出同然で神父見習いとなってから、実家とは連絡を取っていないと言っていたし、ビアンカ姐さんも現在は医療施設で働いている。
二人共、ほぼ縁切りに近い状態だ。
「本来は。ですが、マルセル殿も難しい立場ですからね」
ミハイルとビアンカ姐さんの母親である正妻が亡くなった後も、マルセル様のお母様は身分を理由に後妻にはなれなかった。
マルセル様はディーボルト子爵の子息として認知されているが、愛人の子供だと侮られ、親族の風当りは強かったらしい。
「社交シーズンも領地に籠り切りなのは、病気療養が理由だと聞きましたが、そもそも既に家を出ていたのかもしれません」
「それは、また……凄い話ね。自業自得って言っていいのかしら」
ディーボルト子爵家には、子供が三人もいたのに。
正妻を蔑ろにして、子供も大切にせず、最愛の人も中途半端な立場のまま。結局、最後は誰も手元に残らなかった。
「自らの行いが返って来ただけだと、受け止めるしかない。まぁ、今は関係ないので、それは横に置いておきましょう」
「そうね」
親族から養子を迎えるなり、現当主の兄弟に譲るなりするしかない。
そちらの問題も気にはなるが、今、大事なのはそこではない。
「ヴォルフさんが病院で見かけた男性が、本当にミハイルのお兄様だったとしたら、彼はミハイルに何を言ったのかしら……?」
私達にとって大事なのは、そこだ。




