転生公爵の思案。
「ミハイルの様子がおかしい?」
私が鸚鵡返しすると、発言主であるテオは逡巡するように瞳を揺らす。一拍の間を空けてから、視線を私と合わせた。
「たぶん、何か悩んでいる気がします。……とはいっても、当人は踏み込んで欲しくないかもしれないし、オレの思い過ごしの可能性もある。でも何かあったら嫌だから、念の為、姫様には言っておこうと思いました」
「うん。言ってくれて、ありがとう。ミハイルは悩みを一人で抱え込みがちだから、こちらでも気に掛けるわ」
私が即座にそう返すと、テオの表情が安堵に緩む。
人の弱みを勝手に吹聴するみたいで、気が咎めたのだろう。けれど人の良いテオは、見て見ぬふりも出来なかったに違いない。
ミハイル、何かあったのかな……?
彼は働き者で気遣い屋だから、職場の同僚達にも頼りにされているし、患者さんからの評判も良い。
仕事自体もミハイルの性質に合っているのか、とても楽しそうに働いているので、辞めたいとかではないと思う。
過労で倒れないか心配なので、適度に休んでほしいけれど。まぁ、それは別の問題なので今は置いておこう。
それにしても、今日、研究所に寄ってもらって良かった。
たまたま気分転換にレオンハルト様の用事に同行したけれど、思い付いた自分を誉めてあげたい。
「オレもこまめに様子を見に行きたいんですが、中々難しくて」
「職場が離れているから、仕方ないわ」
どちらも医療施設の所属ではあるが、厳密には建物が違う。
テオは研究棟で、ミハイルは治療棟。隣同士で行き来もあるし、忙しい時は互いに仕事を手伝ったりもするけれど、ずっと一緒にいられる訳では無い。
「同じ職場の奴等に少しだけ事情を話して気にかけてもらおうかと思ったんですが、ミハイルは、悩みを人に知られたくない気がしたので止めました」
「……うん、そうね」
人に弱みを見せる事が屈辱だとか、強がっているとかではなくて。ミハイルは優しいから、自分の事で人の手を煩わせたくないとか考えてしまいそうだ。
「でも、ヴォルフさんには言っておいた方がいいと思う」
「そうですね。あの人は頼りになりますし、気配りも上手だから」
「じゃあ、帰りに治療棟の方にも顔を出してみるわ」
あと三十分もすれば、レオンハルト様の用事も終わるはず。迎えに来てくれたら、帰りに寄るようお願いしよう。
「そういえば、ミハイルと二人で教会に行ったんでしょう? 新しい子が入ったって聞いたんだけど、会った?」
「ああ、ニコルですね。会いましたよ。大人しいけれど、しっかりした子でした。たぶん、かなり頭も良い気がします」
「神父様からのお手紙にも、そんな事が書いてあったわ。読書家なんですって。他の子も勉強熱心だから、来月分の寄付には新しい本も贈るつもり」
「いいですね。知識は財産ですから、頭が柔らかい子供のうちに沢山蓄えた方がいい」
「他にも必要そうな物があったら教えて。神父様も子供達も謙虚で、遠慮しちゃうから」
「分かりました」
テオは優しく目を細めて頷く。
そんな風に和やかに会話をしていると、応接室の扉が鳴った。
「お邪魔するわよ」
「こんにちは」
「ヴォルフさん、リリーさんも」
てっきり用事が早めに終わったレオンハルト様だと思ったが、入ってきたのはヴォルフさんとリリーさんだった。
「どうしたんです、テオに用事でした?」
「違うわ。アンタが来ているって聞いたから、わざわざ寄ったのよ。調子はどう?」
「お蔭様で順調だそうです。食欲が戻ってきたので、お腹も結構出てきたんですよ」
「アンタは元が細いんだから、もっと食べなさい。そうだ。休みに爺共が趣味で狩りに行くらしいから、後で届けさせるわね。たぶん、鹿か兎だと思うわ」
「一番、美味しいところを確保しますから!」
「あ、ありがとうございます」
意気込むリリーさんに気圧されながらも頷いた。
お爺ちゃん達は元気だな。
普段の仕事だって楽ではない筈なのに、休みの日にまで元気に動き回っているとは。自分達を『老い先短い年寄り』だなんて言うけれど、あと百年くらい生きそうな勢いだ。
「テオにも持っていくから、しっかり食べなさいよ。なんなら王都にいる相棒も呼んで、食べさせてあげなさい。あのひょろい子」
「やった。オレ、スネ肉がいいな」
「残念だけど選択権は無いわ。どの部位でも、美味しく全部食べなさい」
「マリー様には、柔らかいヒレ肉をご用意しますからね」
ヴォルフさんがテオを素気無くあしらう横で、リリーさんは堂々と私を贔屓する。嬉しいけれど居た堪れない。
私もどの部位でも美味しく頂く所存なので、お構いなく。
「そうだ、マリー。大麦のお茶も、そろそろ切れる頃でしょ? 持ってくるから、ちょっと待ってて」
「あ、待ってください。帰りに私が治療棟に寄りますよ」
「わざわざ寄るのは手間でしょう? すぐ戻ってくるわよ」
ヴォルフさんはヒラヒラと手を振る。
気遣いは有難いけれど、ちょっと困ってしまった。ミハイルの件を相談したいので、寄る為の用事があった方が、こちらとしても都合が良い。
今、話してもいいかもしれないが、リリーさんがいる。
リリーさんは信頼出来る人だし、気配りも上手なので言っても問題無いとは思う。思うけれど、ミハイルは知られたくない気がするんだ。
好きな子に弱みを見せたくない男性も、少なからずいると思うし。
まぁ、ミハイルがリリーさんを好きかどうか、ハッキリ聞いた事は無いんだけど。
「……?」
上手い言い訳が思いつかず、視線を彷徨わせる私を見て、ヴォルフさんは首を傾げる。少し考える素振りを見せた後、ぽん、と手を打った。
「そうだ。ちょっと設備の件でマリーに相談があるんだったわ。リリー、私の代わりにお使いを頼んでいいかしら?」
「はい、もちろん。大麦のお茶だけで大丈夫ですか?」
「ええ、お願いね」
「じゃあ、すぐに戻りますね」
ペコリと一礼してから、リリーさんは部屋を出ていく。
笑顔で見送った私達は、軽やかな足音が遠ざかっていくのを確認してから、ほっと息を零した。
「で、何? 何か私に用事があるんでしょう? ちなみにテオは聞いても大丈夫なやつかしら?」
腰に手を当てたヴォルフさんは、私に向き直る。
「駄目なら力づくで追い出すけど」
「酷ぇ。リリーさんに対する気配りの半分でも、オレに分けてくださいよ」
「残念ながら品切れだわ。野郎に回す気なんて無いの」
二人の遣り取りを見ていると気が抜けるなぁ。
良い意味での空気の緩みを感じながら、あははと声を出して笑った。




