炎魔導師の訪問。(2)
※前回に続き、魔導師テオ・アイレンベルグ視点となります。
ミハイルと話しながら扉を開けると、中では丁度、子供達が神父様に許可を貰っているところだった。
白髪で細身の神父様は、入ってきたオレ達に気付く。
「みんな。テオお兄さんになんて言うんですか?」
「お土産、ありがとうございます!」
子供達は声を揃えて、元気に礼を言う。
「どういたしまして」
神父様が許可を出すように頷くと、子供達は食堂へと向かって行った。
賑やかな背中を見送っていると、神父様が近付いてくる。彼は綺麗な所作で、オレに頭を下げた。
「テオさん、いつもありがとうございます」
「止めてください。そんな大した事はしてませんよ」
慌てて手を振ると神父様は、子供達に向けるような慈愛の籠った眼差しをオレに向ける。たぶん彼から見たら、オレも養護院の子供達と大差ないのだろう。
「今日はお友達とご一緒ですか?」
「はい、ミハイルです。ミハイル、こちらはエルマー神父様だ」
「はじめまして。突然お邪魔してしまって、申し訳ありません。テオと同じ職場で働いているミハイルと申します」
ミハイルが名乗ると、神父様は「ああ、貴方が」と笑みを深める。その反応を見て、ミハイルは戸惑うように眉を下げた。
「エルマーと申します。お噂はかねがね、伺っておりますよ」
「う、噂ですか?」
自分に自信のないミハイルは、噂という単語を聞いて蒼褪める。
明らかに良く無い方向へと勘違いしているだろうミハイルの肩に、オレはポンと手を置いた。
「ここの教会には、たまに姫様が顔を出すんだけど、オレもかち合った事があったんだ。その時に医療施設や魔導師の話になって、その流れでお前の事も話したってだけ。良い事しか言ってないから身構えんなよ」
これがルッツならば、『まるでオレに悪いところもあるかのような口ぶりじゃない?』って言い返してくるだろう。
しかしミハイルが噛み付いてくるはずもなく、顔色も悪いままだ。
「ええ。テオさんも領主様も貴方の事を、とても真面目で優しい方だと仰っていましたよ。ですから私も、お会いするのを楽しみにしておりました」
神父様がオレの言葉を補ってくれたけれど、ミハイルの表情は晴れない。
何か言いたげな彼の言葉を促すべく、「ミハイル?」と呼びかける。すると不安げに揺れる黒い瞳が、神父様とオレを交互に見た。
「どうかされましたか?」
「……いいえ」
ミハイルはゆるりと首を横に振る。
笑顔はぎこちなかったけれど、さっきまでの強張りは解けたような気がした。
「オレは要領が悪くて失敗が多いので、つい勘繰ってしまいました」
誤魔化すようなミハイルの態度を追求する事無く、神父様は「そうですか」と優しい声で言うに留めた。
「立ち話もなんですから、お茶でも如何でしょう? こないだ丁度、良い茶葉を頂いたんです」
「お構いなく。用事が終わったら、お暇しますので」
「まぁ、そう言わず。少し、年寄りのお喋りに付き合ってください」
途中までやってあった物置小屋の壁の補修を終わらせたら、すぐに帰ろうと思っていた。しかし、頑なに断るのも申し訳ないし、余計に気を遣わせるだろう。
それに、ミハイルのさっきの様子も気になるし。
オレは少し考えてから、神父様の言葉に頷いた。
「分かりました。お言葉に甘えます。ミハイルもいいか?」
「はい」
「では、用意をしてまいりますので、応接間でお待ちください。こちらです」
案内に従って神父様の後ろを歩いていると、彼がふと足を止める。視線を辿ると部屋の扉が半分開いていた。
二段ベッドの縁を背凭れ代わりにして、子供が一人、床に座っている。本を読んでいる為、俯いていて顔は見えない。
「少々、お待ちいただけますか?」
神父様はオレ達に断りを入れてから、子供がいる部屋に近付く。驚かせない為か、開いた扉を二回、軽く叩いた。
「ニコル」
呼ばれた子供は顔を上げる。ここの子供達は全員、名前も顔も覚えているが、この子の顔に見覚えは無かった。
最近、入った子なのかもしれない。
年齢はおそらく十歳前後。小柄で痩せているので、年齢が判断し難い。艶がなく、あちこち跳ねた明るい茶色の髪と、吊り上がり気味の青い瞳。中性的な顔立ちをしているが、たぶん女の子だ。
「みんな、食堂で頂き物のお菓子を食べていますよ。貴方も一緒に食べてらっしゃい」
ニコルと呼ばれた子供は、緩慢な動作で首を振る。
「……他の人が食べればいい」
「多めに買ってきてあるから、遠慮しなくても大丈夫だぞ?」
神父様の背後から顔を出し、話しかける。ニコルはオレの顔を一瞥してから、またゆっくりと頭を振った。
「いらない。私はこっちがいい」
こっち、と言いながらニコルは本を軽く持ち上げる。
「分かりました。食べたくなったら言ってくださいね」
神父様はそう言ってから、部屋の扉を閉めた。
カップにふぅと息を吹きかけると、湯気と共に良い香りが立ち上る。
一口含むと、ほんのり甘い花のような匂いが鼻から抜けた。色は濃い目だが渋みは少なく、アッサリとしていて飲みやすい。
紅茶好きの姫様ならきっと産地や品種も分かるのだろうが、生憎オレには、美味いか不味いかしか分からない。
「お口に合いますか?」
「美味いです」
「はい、後味がすっきりしていて飲みやすいです」
「それは良かった」
神父様は嬉しそうに目を細める。
いくつか他愛ない世間話をしてから、オレは気になっていた事を聞いた。
「神父様。さっきの子は……」
「ニコルは先週から、私達の家族になりました。生まれは別の土地ですが、親代わりの祖母が亡くなり、プレリエ領へ移ってきたそうです」
子供が一人で旅をしている様子を思い浮かべると、胸が痛い。
何処から来たのかは知らないが、決して楽な旅路ではなかっただろう。
「商人の後を追いかけていたら、ここに辿り着いたと言っておりました。生まれ故郷では食べていくのに困るので、商人が集まるような大きな街を目指したようです」
「……生まれた土地では、身寄りのない子供を保護する施設は無かったのでしょうか」
ミハイルは悲壮な顔で呟く。
神父様も哀しげな面持ちで、瞳を伏せた。
「おそらく教会はあったでしょうし、言えば保護をしてくれたと思います。ただ、そこが子供達にとって良い環境かどうかは分かりません」
養護院の運営は、貴族や商人の寄付で成り立っている。
名誉や体裁を重んじる貴族にとって、教会への寄付は義務に等しい。けれど、強制力はない。寄付額が公になる訳ではないし、寄付したところで見返りが無いと、最低限のお金しか回さない貴族も中にはいる。
そして、そんな貴族が領主であった場合は目も当てられない。
「私は昔、別の土地で神父をしておりましたが、ここほど恵まれてはいませんでした。ニコルのように勤勉な子供達もおりましたが、高価な本は疎か、紙とペンすら満足に与えてあげられなかった」
「神父様……」
「時々、私にはここが理想郷のように思えます。争いもなく、飢えもない。子供達は元気に遊び、学べる環境がある。そして何より、人が優しい。穏やかな気性の住民と、優しく真っ直ぐな領主様。そして、そんな御方を支える優秀な若者達がいる」
貴方がたのようにね、と神父様は笑った。
彼は優しい目で、ミハイルをじっと見つめる。
「どうか、胸を張ってください。人生は長く、悩まれる事も多いでしょう。けれど、貴方の優しさに救われている人々がいる事を、忘れないでくださいね」
暗い顔をしていたミハイルに、神父様は気付いていたのだろう。
けれど無理に悩みを聞きだすのではなく、ただ温かい言葉で励ます神父様もまた、とても優しい人だとオレは改めて実感した。




