転生公爵の思慮。
夜半前の寝室。
私はベッドではなくソファに向かい、手紙を開封する。
送り主は収穫祭の件で仲良くなった農村の女性、ゲルダさんだ。
内容は収穫祭の開催についてのお礼と、彼女のお孫さんやザーラさんを始めとした村の人々の近況について。穏やかなゲルダさんらしい丁寧な文字と文章で綴られる光景は、私の心を温めてくれた。
収穫祭は終わったばかりだというのに、村人達は既に次の祭での出し物を考えているらしい。それに、収穫祭以外にも何か、自分達だけでも出来る行事は無いかと案を出し合っているそうだ。
それから商人達との取引の話も、順調に進んでいるとの事。
農産物そのものだけではなく、菓子等の加工品にも需要が見込めると、私も商人達から聞いている。ゲルダさんの籠編みの技術に着目した人もおり、有難くもお話を頂いたと、謙虚な言い回しで少しだけ触れられていた。
あと、ザーラさんに恋人が出来たらしい。
優勝は逃してしまったものの、微笑ましい失敗で料理大会を盛り上げてくれたザーラさんを見初めたのは、力比べの優勝者だそうだ。
大柄で逞しいけれど、素朴な笑顔の優しそうな男性の顔が思い浮かぶ。
ザーラさんも私に手紙を書く為に字の練習をしているので、もう少し待ってあげてくださいねと締め括られていた。
「……」
手紙を見つめたまま、ぼんやり考え事をしていると、寝室の扉が開いた。
入ってきたのはもちろん、私の大切な旦那様だ。
「まだ起きていたんですね」
「これを読んでからにしようと思って」
折り畳んだ手紙を軽く振ってみせると、レオンハルト様は「何方からです?」と返す。
「ゲルダさんよ。覚えてる? 村で会った女性で……」
「覚えていますよ。あの見事な籠を作った方ですよね」
そう言ってレオンハルト様は、棚に置かれた籠に視線を移す。私をイメージした花束とセットで売られていた籠は、今では私の小物入れになっている。
「村の人達の近況とか、色々報告してくださったの。レオンへの感謝の言葉も書いてあるから、貴方も後で読んで」
「ええ。そうします」
レオンハルト様はそう言いながら、私の隣へと腰を下ろした。
もう寝るのだと思っていた私は、彼のその行動を見て首を傾げる。レオンハルト様はじっと私を見つめてから、口を開いた。
「シュレッター公爵家の当主交代が、正式に決まったようです」
「!」
息を呑む。ゆっくり目を伏せてから、「そう」と頷いた。
「一両日中には、公に発表されるでしょう」
「先代はどのような処遇になるのかしら?」
「病気療養という名目で、領地の別邸に送られるようです」
実際は、監視付の蟄居だろう。あのシュレッター公爵が大人しく従うとは思えないけれど、どうやら周囲から一斉に縁を切られた事がよほど堪えたようで、今は随分とおとなしくなっているらしい。
公爵夫人とは別居。夫人は暫くの間、フランツ様をサポートする予定のようだ。
その後は時期を見て離縁するのか、それとも籍はそのまま別居を続けるのかは分からない。でも同じ屋敷で暮らす事は、おそらく無いだろう。
そして、シュレッター公爵の忠実な老執事は処罰され、側近も地位を剥奪された。公爵が罪に問われる前に辞職していた元側近等も、処罰の対象となったらしい。
シュレッター公爵……いや、前公爵の傍には、もう誰もいない。
彼はこれから先の人生を、孤独の中で過ごす事になる。でも私はそれに同情してはいけないし、する資格もない。
これは私が望んだ結末なのだから。
「フランツ様は当主就任を発表した後、プレリエ公爵家に文書を送ってくるはず。そうしたら私も、当主として親書を送るわ。プレリエ公爵家とシュレッター公爵家新当主の間に確執はないのだと、公的に表明しましょう」
「そうですね。先代が貴方を目の敵にしていた事は社交界でも知れ渡っていますし、新当主への対応を決めかねている者は多いはずです。貴方が何の蟠りもないと示す事で、フランツ殿も随分、動きやすくなると思いますよ」
同意してくれたレオンハルト様に、私は笑いかける。
「これからまた忙しくなるわ。夜更かししていないで、体を休めないと」
寝ましょう、と言いながらソファから立ち上がった。
しかし、ベッドに向かって歩き出す前に手を掴まれる。引き留めたのは、もちろんレオンハルト様だ。
「……レオン?」
「……ごめん。寝る前にもう一つ、話があります」
「話?」
私は再び、レオンハルト様の隣に腰を下ろす。
けれどレオンハルト様の話とやらは、すぐには始まらなかった。言い辛い内容なのか、彼の表情も心なしか硬い。
あまり良い話では無さそうだと感じ取った私もソワソワしたけれど、急かさずに待つ。すると数秒の沈黙の後、レオンハルト様は話し始めた。
「ローゼ。オレは貴方に隠していた事があります」
「……隠し事?」
戸惑いながら繰り返すと、レオンハルト様は頷く。
「内容を聞いてもいい?」
「シュレッター公爵家の所有する鉱山の件です」
「鉱山……」
その言葉を聞いて、執務中に見つけた書類を思い出す。同時に、レオンハルト様の隠し事の内容にも察しがついた。
それが表情に出ていたのか、レオンハルト様は苦笑する。
「やはり聡い貴方には、既に気付かれていたようですね」
「……何となく、だけれど」
「シュレッター公爵領の鉱山は以前から、かなり採掘量が減っていました。掘れるところは既に掘り尽くされており、残っているのは、かなり危険度が高い場所のみ。後は閉山を待つばかりの状態でした」
「でも、まだ閉山はしていないのよね?」
「ええ、鉱山はシュレッター公爵家の主な財源ですから、手放せなかったのでしょう。前当主は、事前の地質調査で崩落の危険性が高いと判断された場所だと知りながらも、新たな坑道を掘るよう指示したそうです」
きゅっと眉間に皺が寄る。予想していた事とはいえ、聞いていて気持ちのよい話ではない。
シュレッター前公爵は、あまりにも人の命を……平民の命を軽視し過ぎている。
「オレはその報告を、随分前に受けておりました。けれど貴方には報告しなかった。情報を持ってきたラーテにも口止めして、貴方に届かないようにした」
「……」
じっと話を聞きながら、私は考える。
もしも、その件を報告されていたら、私はどうしただろう。
領主である私が、他領の問題に干渉する訳にはいかない。それは分かっている。
でも人が大勢死ぬかもしれないのに、見て見ぬふりが出来ただろうか。自分に出来る範囲での方法を、冷静に考えられたかな?
正直、分からなかった。
「でもシュレッター公爵領の鉱山では、まだ事故が起きていないわ。……何か手を打ってくれたのでしょう?」
「ラーテとその部下達が鉱山労働者に紛れ、噂をばら撒く事で危険性を知らせました」
「なるほど。それで逃げ出してきた労働者が、プレリエの採石場に流れてきたのね」
「はい。オレの独断です」
レオンハルト様は苦しげな表情で俯いた。
「オレは、それを後悔していない……つもりでした。けれど、分からなくなった。要望でも不満でも遠慮なくぶつけろと言ってくれる貴方に、オレが隠し事をするのが正しいのか。本当にそれが、貴方の為になるのかと」
収穫祭の夜に、私が言った言葉を覚えていてくれたようだ。
「申し訳ありません」
レオンハルト様は私に向き直り、深く頭を下げる。
「領主として立派に成長していく貴方の足を、オレが引っ張ってしまうところでした」
「……レオン。頭を上げて」
レオンハルト様の頬を手で包む。ばつが悪そうな表情をした彼と、目が合った。
「貴方にそうさせてしまった私にも責任があるわ」
「! そんな事は」
「あるの」
慌てた様子のレオンハルト様の口を、人差し指で塞ぐ。
「私は精神的にも能力的にも、まだまだ未熟よ。実際に報告を受けていたら、きっと動揺したわ。無茶な行動をしなかったにしても、何も出来ない事に悩んだだろうし、苦しんだとも思う。次にまた同じような事があったとしても、冷静に的確な指示が出来るかも分からない」
「ローゼ……」
「だから、その時は一緒に悩んでくれる?」
「!」
レオンハルト様は目を見開く。
驚愕する彼の手を握り、じっと見つめた。
「……ええ、もちろんです」
レオンハルト様は、くしゃりと顔を歪める。
泣き笑うような顔をした彼は、私の手を握り返してくれた。
不器用で、優しくて、深く私を愛してくれる唯一無二のひと。
もしも将来、領主として辛い判断を迫られる日が来るとしても、レオンハルト様が隣にいてくれるなら、きっと乗り越えられる。
私は、そう信じている。




