或る側近の悔恨。(2)
※前回に続き、シュレッター公爵の側近視点になります。
フランツ様に気圧されたのは、私だけでは無かったようだ。
ダニエル閣下は息子に圧倒された事を恥じたのか、真っ赤な顔でブルブルと震えている。湯気でも出そうな怒り様だ。
「断る。審議でも何でも、勝手にやればいい。私はお前と違って忙しいんだ!」
ふいとダニエル閣下が顔を背けると、フランツ様は側近に短い命令を出した。
「お連れしろ」
「御意」
後ろに控えていた側近二名は、返事と共に動き出す。
機敏な動きでダニエル閣下へと近付くと、強引に椅子から立ち上がらせる。両脇から拘束して、引き摺るように歩き出した。
「私を誰だと思っている!? こんな事をして許されるとでも……、おいっ! 手を離せっ!」
何が起こっているんだ。
理解が追い付かず、ただ茫然と見送ってしまう。棒立ちしている私を、ダニエル閣下は睨み付けた。
「呆けている場合か! 主人が不当な扱いを受けているというのに、何故、助けない!?」
「えっ、あ……」
助けろと言われても、武術の心得もない自分にはどうする事も出来ない。
立派な体躯の青年二人に、ただ怠惰に年を取ってきた中年男である私が敵うはずが無かった。
「フーバー卿」
「は、はい」
フランツ様が、私を呼ぶ。
それに震える声で応えると、彼の温度のない瞳が私を見据えた。
「貴君も同席していただきたい」
「……っ!」
ごくりと喉が鳴る。冷や汗がどっと体中から湧きだした。
何の罪で裁かれるのかも分からず、体が勝手に震えだす。けれど逃げるという選択肢は端から用意されておらず、ただ小さく頷く事しか出来なかった。
重い足を引き摺るように歩いていると、大きな扉の前まで辿り着いてしまった。ギィ、と重い音を立てながら両開きの扉が開く。
シュレッター公爵家の栄華を象徴するかのように豪華絢爛な広間には、既にシュレッター公爵家の親族が集まっていた。
長机を囲むように椅子が配置されている様は、年始めに開かれたバンケットを彷彿とさせる。しかし、そこに着席している人々の顔付きは、まるで違った。
誰も彼もが暗い顔をしており、空気も重く、息がし辛い。
背後で扉が閉まり、息苦しさが増したような気がした。
「これはいったい何の真似だ? 何故、私に断りもなく親族を招集した」
揃っている人々が、各家の当主だと気付いたダニエル閣下は不愉快そうに眉を顰める。しかし誰も、その問いには答えない。
フランツ様は無言で奥へと進み、最奥の席に座る。戸口付近に立ったままのダニエル閣下を一瞥し、淡々とした声で「お掛けください」と告げた。
末席に座れと指示されたダニエル閣下は、当然の如く激昂した。
「フランツ、貴様、どういうつもりだ!」
「それを今からご説明致します」
フランツ様は淡々とした声で返す。それが火に油を注いだのか、ダニエル閣下は顔を真っ赤にして叫んだ。
「ふざけるな!」
静まり返っていた広間に、耳障りな怒声が響く。
「私にこのような扱いをしたのだから、覚悟しておけ! 後継者の地位を剥奪……、いや、廃嫡も視野に入れるぞ」
「構いません」
「何?」
勝ち誇ったように笑っていたダニエル閣下に対し、フランツ様は無表情のまま。
取り乱すどころか、汗一つ流さないフランツ様の冷静な言葉に、ダニエル閣下は気勢を削がれた様子だった。
「この審議が終わってからであれば、好きになさってください。丁度、各家の当主も揃っている事ですし、彼等に是非を問うては如何ですか?」
フランツ様がそう言うと、当主らはビクリと肩を揺らす。しかしダニエル閣下は気付かなかったのか、怪訝そうに眉を顰めた。
「納得されたのでしたら、掛けてください」
ダニエル閣下は不承不承という体で席に着いた。
私はその斜め後ろに、恐る恐る立つ。フランツ様の側近に席を勧められたが、とてもではないが座る気にはならない。
この異様な空気の中、呑気に腹を立てていられるダニエル閣下が、いっそ羨ましかった。
「では、審議を始める。議題は、プレリエ領の収穫祭妨害工作及び領民毒殺未遂について」
「……は?」
間の抜けた声が、思わず口から洩れた。
全く想像もしていなかった議題を聞かされ、理解が追い付かない。てっきり私は、鉱山の休止や、相次ぐ事業の失敗について糾弾されるものだとばかり思っていた。
だというのに蓋を開けてみれば、妨害に殺害未遂? 意味が分からない。
プレリエ領とは確かに、良い関係を築けているとは言い難い。
女性でありながらも公爵位を賜り、順調に領地を発展させているプレリエ公爵の事を、ダニエル閣下は敵視している。
けれど、表立って対立するような真似はしていない。嫌がらせはしているようだが、せいぜい、つまらない噂を流す程度。
いくら直情的なダニエル閣下でも、プレリエ公爵家と本格的に敵対しても不利益しか生まないと分かっているのだろう。
だから、そんな事をするはずがない。何かの間違いだ。
そう信じたいのに、ダニエル閣下の様子がおかしい。さっきまでのふてぶてしい態度は鳴りを潜め、やや俯き加減のまま動かなくなっている。
明らかに動揺している姿を見て、私は嫌な予感がした。
「ブルーノ。読み上げてくれ」
「かしこまりました。先月末にプレリエ公爵家主導のもと、収穫祭が行われました。その中で主な催し物として開かれた『力比べ』と『料理大会』で、妨害行為が確認されました。まず……」
フランツ様の横に控えていた青年が、文書を読み上げていく。
プレリエ公爵領で開かれた収穫祭の最中、何処で何が起こっていたか。淀みの無い声が、事件の経緯を事細かに説明する。
力比べの大会については、暴漢を紛れ込ませるという典型的な嫌がらせだったらしい。その程度なら、まだ誤魔化しがきく。怪我人が出ていたら話は別だろうが、未然に防いだのなら、あちらだって事を荒立てようとはしないはず。
しかし料理大会の毒殺未遂は駄目だ。
許される一線を、大幅に踏み越えている。
ダニエル閣下は平民の一人や二人、殺したところで問題無いと思っているのだろうが、とんでもない。領民は領主の財産。つまりダニエル閣下はプレリエ公爵の財産を損ねようとした事になる。しかもプレリエ公爵家主導で行われた収穫祭の最中に。
その愚行は、手袋を投げつける行為に等しい。
一連の事件が本当ならば、隆盛を極めるプレリエ公爵家を完全に敵に回した。
ダラダラと全身から汗が流れ出る。
誰か嘘だと言ってくれ。もしくは夢であって欲しいと、現実逃避のように思う。
「力比べ大会の妨害行為及び、調味料へ毒を混入した実行犯の身元についてですが、所属組織名は『コウモリ』。当人らは闇ギルドを名乗っておりましたが、無認可組織の中でも新参者で、且つ実績も無いならず者集団です。金を払えば何でも請け負う上に、最低限の規律すら守らないので、同業者からも忌避されているようです」
「裏社会の人間の中でも下の下を選んだようですね、父上」
「……っ」
フランツ様は呆れたように、長い溜息を吐き出す。
冷えた目で見据えられ、ダニエル閣下はぐっと息を呑む。
「だからアッサリと裏切られる」
「……何を言っているのか、分からんな」
「歴史ある組織なら守秘義務を順守したんでしょうが、彼等には守るべき看板も矜持もありませんからね。簡単に話してくれましたよ。雇用主はダニエル・フォン・シュレッター公爵であると」
「……そんな……」
呻くような掠れた声が、私の口から洩れる。
親族等は先に知らされていたのか、誰も何も言わない。動揺しているのは、私一人だけだった。
「……馬鹿馬鹿しい。そんな破落戸の証言など、信用出来るものか」
ダニエル閣下は、吐き捨てるように言う。
「私に恨みを持つ人間が、そう証言しろと唆しているに違いない。あの小娘に肩入れをする者か、……ああ、もしかしたら自作自演の可能性すらあるな。こちらで身柄を預かり、徹底的に調べた方が良さそうだ。事と次第に寄っては、偽証罪と侮辱罪で雇い主ごと処罰しなければなるまい」
ダニエル閣下はふてぶてしい笑みを浮かべた。
さっきまでの動揺した姿が幻だったかのように、落ち着いている。勝利を確信したのか、それとも土壇場で開き直ったのか。
分からないながらも、私もそこに一筋の光明を見出してしまった。光と呼ぶには薄汚れたやり口だが、他に縋るものがない。
ダニエル閣下の転落は、私の破滅でもあるのだから。
しかし一瞬見えた希望もすぐに叩き潰される事になる。
「ちなみに支払方法は前金として半分。残りは成功報酬となっていたそうですね」
「……?」
話の流れが唐突に変わった。ダニエル閣下は警戒するように、無言でフランツ様を睨む。
「ああいった手合いは、矜持はありませんが、金と自分の命への執着は人一倍あります。貴族を相手に仕事をする時は、切り捨てられないよう、雇用主の弱みを握っておくのが定石だとか。……そういえば最近、何か無くされてはいませんか? 例えば、このようなものを」
フランツ様はそう言って、懐に手を差し込む。ハンカチを取り出した彼が開くと、カフスボタンが現れた。
「!」
ダニエル閣下は、大きく目を見開く。
金色に輝くカフスボタンは、閣下が愛用していたものによく似ている。もしもアレがそうであるならば、閣下の印章が刻まれているはず。
言い逃れは、不可能に近い。
ダニエル閣下の余裕の表情は崩れ、目がきょろきょろと忙しなく彷徨っていた。
「っ……、わ、私ではない……」
十数秒の沈黙の後、ダニエル閣下が声を絞り出すように呟く。
「私は何も知らん! これは陰謀……、私を陥れようとする者の奸計だ!」
「貴方を憎む者が偶然、このカフスボタンを手に入れたとでも? 身近に間者でも潜んでいないかぎり、難しいのでは?」
「……、そうだ。ハンスだ! ハンスが、私を裏切ったんだ! 彼奴がプレリエ公爵に篭絡され、一連の事件が私の企みであるかのように偽装したに違いない」
追い詰められたダニエル閣下は、ついに一番の忠臣である執事、ハンス・フォクトまで切り捨ててしまった。
眉間に皺を刻んだフランツ様は、汚らわしいものを見るような目をダニエル閣下に向ける。次いで瞳を伏せ、長く息を吐き出した。
「だ、そうだが。ハンス・フォクト」
フランツ様の言葉の後、背後の扉が開く。
そこには手枷をされたハンス・フォクトが、所在なさげに立っていた。長身の騎士が両脇にいるせいか、いつもよりも更に小さく見える。
疲れ果てた顔をした彼は、実年齢以上に老け込んでいた。
ダニエル閣下はハンスと目が合うと、一瞬、言葉を詰まらせる。しかしすぐに設定を思い出したかのように、睨み付けた。
「……坊ちゃま、もう無理です」
ダニエル閣下が何かを言う前に、ハンスはゆっくりと頭を振る。
「泥でも汚名でも被って差し上げたかったのですが、もう何をしても覆りません。私達は負けたのです」
「世迷言を……! お前は、」
口論が始まるかに思えたが、それを遮るようにパンと乾いた音が鳴る。
手を叩いたフランツ様に、皆の視線が集まった。
「本来であれば、慎重に審議を重ねるべき案件である。しかし現在、シュレッター公爵家は存続の危機に瀕しており、早急に対処する必要がある」
フランツ様は、ぐるりと見回す。
一人一人と目を合わせてから、良く通る声で続けた。
「だが、その対応はプレリエ公爵閣下の怒りを買った父上には出来ない。よって当主の座を降り、別邸にて療養していただこうと考えている」
「ふ、ふざけるな……!」
「皆の判断を聞きたい」
激昂するダニエル閣下を放置し、フランツ様は当主らに問うた。
暫し気まずい沈黙が流れたが、一人が動く。ぐっと何かを振り切るように顔を上げた男は、やや上擦った声で「賛成です」と告げた。
「私も」
「私も、賛成致します」
「新たなる当主であるフランツ様に従います」
続くように、皆が賛成を表明する。
最早、ダニエル閣下に味方する者は一人も残っていなかった。
その光景をダニエル閣下は、茫然と眺めていた。
執事の言う通り、もう何をしても覆らない。ダニエル閣下は療養という名の蟄居が決まってしまった。
そして側近である私も、きっと地位を追われる事になる。
実家の子爵家はおそらく、庇ってはくれない。男爵家に婿入りしたが、妻ともあまり上手くいっていないし、息子にも嫌われている。
味方なんて誰も思い浮かばない。
私はこれから、どうなるのだろう。
私は泣き叫び出したい衝動を堪えながら、立ち尽くしていた。




