転生公爵の余韻。
煌々と燃え上がる炎が、夜空を照らす。
井桁型に組み上げた丸太の中でパチリと弾けた炎の欠片が、温められた大気と共に空高く昇っていく。
絶えず流れる音楽は、この地域に伝わる伝統的な曲だ。
奏者の多くが酔っぱらっている為に、調和も何もあったものではない。音階もリズムもバラバラな上に、演奏に途中参加する人や、即興で出鱈目な歌詞をつけて歌い始める人までいるせいで、混沌としている。
でも、とても楽しそうだ。
老いも若きも男も女も、皆が良い顔で笑っている。
「皆、楽しそうですね」
少し離れた場所から村人達の姿を眺めていた私の隣に、いつの間にかレオンハルト様が立っていた。
今日は私も彼も忙しくて、祭りを一緒に見て回る余裕は無かった。まともに顔を合わせられるのは、早くても明日の朝以降になると思っていたので素直に嬉しい。
そっと距離を縮めると、すぐに気付いてくれたレオンハルト様は、寄り添うように私の腰を抱いた。
「もう、あちらは大丈夫?」
「ええ。移送は済みましたので、本格的な取り調べは明日からになります」
あの後、指示役である執事は、燃え尽きたかのように大人しくなった。
早まった行動をさせないよう見張りは付けてあるが、抜け殻のようになってしまった彼は、おそらくそんな事を考える気力もないだろう。
実行犯として雇われた男達は自分の罪を軽くしようと必死で、聞いてもいないのに色々と喋っているらしい。
そんなレオンハルト様の説明を聞いて、ほっと安堵の息を吐く。
どうやら証拠も証言も、バッチリ揃えられそうだ。
シュレッター公爵家を一新しろという無茶ぶりをしてしまった分、何らかの形でフランツ様を手助けしたいと思っていた。
「良かった。少しは力になれそう」
思わず零すと、腰に回っていたレオンハルト様の手が揺れる。
何だろうと思って見上げた先、じっと私を見つめる黒い瞳と視線がかち合った。
「……レオン?」
意図を問うように名前を呼ぶと、ふいと顔を背けられる。
拒絶されたと気付いて、私はショックを受けた。
「え、レ、レオン」
「……ごめん。見ないで」
焦って顔を覗き込もうとするのを、やんわりと止められた。
夜の闇の中では、俯いたレオンハルト様がどんな表情をしているのか分からない。けれど声の調子が、やや沈んでいるような印象を受けた。
「私、貴方に何かしてしまった?」
「違う」
レオンハルト様は私の不安を、即座に否定してくれる。でも、その後に続く言葉は中々出てこなかった。
数秒の沈黙。賑やかな演奏と笑い声を聞きながら、私はじっとレオンハルト様が話してくれるのを待つ。
「……貴方に、情けない顔を見られたくなかったんです」
「情けない顔……」
鸚鵡返ししながら、想像してみる。でも、レオンハルト様の情けない顔とやらが、全く思い浮かばなかった。だって、朝方にだけ見られるぼんやりした顔も、欠伸を噛み殺している顔だって、情けないとは思わない。気を許してくれている証のようで、ただただ愛しいだけ。
「思いつかないわ」
「貴方はまた、そうやってオレを甘やかす」
ポツリと零すと、レオンハルト様の視線がようやくこちらを向く。苦笑いを浮かべた彼は、少し恥ずかしそうに「オレは情けない男ですよ」と言った。
「貴方が彼に向けている感情は何となく分かっているし、彼がこれから、とても苦労するだろう事も理解している」
彼とは、話の流れから察するにフランツ様の事だろう。
「それと、貴方がオレを心から愛してくれている事も知っているんだ」
「!」
赤面した私に気付いたレオンハルト様は、困ったように眉を下げた。
「そう、知っている。こんな風に、オレの言葉一つで頬を染めてくれる貴方の愛を疑ってなんかいないのに……。オレはつまらない嫉妬ばかりする」
「嫉妬って、フランツ様に?」
目を丸くした私の言葉に、レオンハルト様はコクリと頷く。
「頭では嫉妬する必要が無いと分かっているんですけどね。貴方に未婚の男が近付くのが、面白くない。彼がローゼと祭りを見て回っていた事も、貴方が彼の力になりたいと思っている事も、正直に言ってしまえば気に食わない。……せめて表面上だけでも余裕のある態度を見せたいのに、つい顔に出てしまう。そんな自分が、オレは情けない」
溜め込んでいたものを吐き出せた事で楽になったのか、レオンハルト様の表情も心なしか穏やかになった気がする。
気負わない口調で話す彼は、いつもより少し饒舌な気がした。
「……」
情けなくなんかないと言いかけて、言葉を呑み込む。
私の本心ではあるけれど、たぶんレオンハルト様は納得しないと思った。だから少し考えて、違う言葉を口に出す。
「……レオンが、力比べで活躍していたのを見ました」
「え? ああ、あの時ですか」
あからさまに話題を変えた私に、レオンハルト様は一瞬戸惑ったような顔をした。
「レオンったら、恰好良すぎるわ。一瞬で大男を退けてしまうものだから、会場中が貴方に夢中だった。私も、そんな貴方の妻である事が誇らしかったけれど……ちょっとだけヤキモチを焼いてしまったの。『私のレオンなのに』って」
「!」
若い女の子達は、レオンハルト様の雄姿に釘付けだった。
悪者を一瞬で蹴散らすヒーローに見惚れてしまうのは当然だし、レオンハルト様が恰好良いのは私も認めているから、同志として嬉しい気持ちもある。
でも、それはそれとして、独り占めしたいというのも本音だ。
「情けないって、思う?」
「……いいえ」
レオンハルト様は、ゆっくり首を横に振る。
力の抜けた顔で微笑んだ彼に、私も笑みを返す。
「たぶん……、ううん、絶対に私のせいだと思うのだけれど、レオンは私に恰好良い面だけ見せようとしてくれるじゃない?」
ゴホッとレオンハルト様が咳き込む。
私が唐突に爆弾を放り込んだせいで、対応出来なかったらしい。無理もない。私だってレオンハルト様の前だけ可愛い子ぶっているなんて言われたら、卒倒する自信がある。
「理不尽な要求をされた事は無いし、行動を制限された事も殆ど無い。でも放置しているとかではなく、寧ろ、願い事は率先して叶えてくれる。愛の言葉は惜しまず伝えてくれるし、誰よりも大切にしてくれる。レオンは私だけでなく、女性達にとって理想の旦那様だと思うわ」
レオンハルト様は黙って私の話を聞いている。
褒められているというのに嬉しそうというより、やや不安そうな面持ちなのは、たぶん私が直前に言った言葉のせいだろう。
叱られるのを待つワンコのような目をしたレオンハルト様を見て、思わず破顔した。
「でも、たまには恰好悪くていいの。物わかりの良い振りなんてしないで。私が嫌な事をしたら嫌と言っていいし、して欲しい事があったら遠慮なく言ってほしい」
私は語り掛けながら、忍ばせてあったものを取り出す。
レオンハルト様の手を取って、それを握らせた。
「ハンカチ?」
「広げてみて」
レオンハルト様がハンカチを広げると、花の刺繍が現れる。光源が遠くの焚火だけなので粗が見え辛いけれど、昼間に見たら拙さがハッキリ分かってしまう残念な仕上がりだ。
「これは、貴方が?」
「一応、カスミソウのつもりなの。本当は獅子とか、剣とか、レオンに似合いそうなモチーフを選ぼうと思ったんだけれど、技術的に難しくて」
せめて日頃の感謝の気持を伝えたくて、カスミソウの刺繍に決めた。
そんな事を早口で伝えていた私を、レオンハルト様は引き寄せる。ぎゅっと私を抱き締めた彼は、肩口に顔を埋めた。
「下手でごめんなさい。次はもう少し、マシになっていると思うから」
「いいえ、これでいいんです。……これが、欲しかったんだ」
噛み締めるように言うレオンハルト様の背に、手を回す。
私もレオンハルト様に駄目な部分を見られたくなくて、必死に取り繕ってしまっていた。今も恥ずかしい気持ちは残っているけれど、少しずつ、短所も明かしていこうと思う。
もう大分、バレている気がしないでもないけれど。
「オレも貴方に花を用意してあるんです。帰ったら、受け取ってくれる?」
「もちろん、喜んで!」
帰宅後にレオンハルト様が私に贈ってくれたのは白い薔薇の花束と、髪飾りだった。
薔薇をモチーフにした螺鈿細工の髪飾りは、間違いなくアヤメさんの作品で、どうやら私に内緒で依頼してあったらしい。
私の好みを凝縮したようなソレは、彼の愛情を何よりも雄弁に語ってくれた。




