転生公爵の祭り。(6)
「レオンハルト様! 握手してくださいっ!」
「僕もー!」
颯爽と立ち去ろうとしていたレオンハルト様だったが、そうは問屋が卸さない。キラキラと目を輝かせた子供達に囲まれて、ヒーローの如く握手を求められている。
子供達の好意を無碍には出来ず、苦笑しながら握手に応じているうちに、どんどん人に埋もれていく。
困っている様子が微笑ましくて、つい笑み崩れてしまう。
擦り寄ってくる貴族相手ならサラリと受け流せるのに、懐いてくる子供達は上手く躱せない。レオンハルト様のそういうところが、本当に愛しいと思う。
助けてあげたいところだけど、私が行くと余計にややこしくなりそうだ。囃し立てる要素を増やすだけだと思うし。
きっと、そのうち騎士団の誰かがフォローしてくれるだろう。
それに私には、まだやるべき事が残っている。
「フランツ様、目当ての方は……」
隣に立つフランツ様を見上げると、視線がかち合った。視線の強さに驚いて言葉に詰まる。一挙一動も見逃さないと言わんばかりの目だ。
穴が開きそうなくらい、じっと見つめられて居心地が悪い。
「あの……、どうかされましたか?」
「…………いいえ」
戸惑いながら問うと、長い沈黙の後、フランツ様はふっと息を吐くように微笑む。同時に視線も和らいで、ようやく肩の力を抜けた。
なんだろう。私の顔に何かついていたかな……?
頬をそっと擦りながら首を傾げるが、特にゴミの有無を指摘される事は無かった。フランツ様は少し寂しそうな目で、ただただ優しく笑うだけ。
その笑みの意味を訊ねるのも何となく躊躇われ、私が言葉を探しているうちに、彼は気持ちを切り替えたかのように表情を引き締めた。
「周辺に、それらしい人物は見当たりません」
フランツ様は、さっき私が途中で呑み込んだ質問を正確に汲み取り、解答をくれる。
「では別のところにいるのかもしれませんね。この程度で終わるとは思えませんし」
力比べの大会に暴漢を乱入させる程度の妨害で、シュレッター公爵が満足するとは思えない。
確かに一瞬、祭りの空気は最悪にはなった。
でも大男が一人で暴れたところで、やれる事はたかが知れている。レオンハルト様が登場しなかったにしても、警備の騎士達に取り押さえられて終わりだっただろう。
そんな事はシュレッター公爵だって、分かっているはず。
作戦とも呼べない雑な妨害、しかも単騎。
目的は別にあり、こちらはただの陽動だと言われた方がしっくりくる。
警備の人間の目をこちらに集め、別の場所で何か……もっと悪質な事を企んでいるとしたら?
そう考えたら、ゾクリと背筋を冷たいものが走った。
「フランツ様。こちらは騎士達に任せて、料理大会の会場へと向かいましょう」
「はい」
私と同じような結論に至ったのだろうか。
フランツ様も硬い表情で頷いた。
料理大会の会場も、既に大勢の人で賑わっていた。
出場者の家族や友人達が声援を送り、それに便乗するように、若い男性達が目当ての女性を応援している。婚活というよりは、アイドルのコンサートのようだ。
力比べの会場のような熱気は無いものの、別の意味で盛り上がっているらしい。
ロープで仕切られた向こう側にある簡易調理場では、エントリーした六人の若い女性達が忙しなく動き回っている。竈で鍋を掻き混ぜる人、フライパンを振る人。包丁で野菜の飾り切りをする人と、皿をひっくり返しそうになっているドジっ子……は、ザーラさんっぽいけれど、見間違いかな。
気になり過ぎる調理風景から目を逸らし、観客席をぐるりと見渡す。
一見したところ不審な人物は見当たらないが、断言は出来ない。そもそも人が多過ぎるし、中には帽子等で顔が見えない人もいる。
どうしたものかと考えていると、フランツ様が一方向を見つめているのに気付く。シュレッター公爵の側近らしき人物を、見つけたのかもしれない。
「少し、お傍を離れます」
潜めた声で告げられた言葉に、小さく頷く事で返した。
探しに行くにしても、捕らえに行くにしても、私は傍にいない方がいい。
私の反応を見たフランツ様は、人混みに紛れるようにして消えた。
「クラウス」
そっと呼ぶと、クラウスは傍にいた男性に目配せをする。観光客に扮した騎士は意図を汲み取り、フランツ様の後を追った。
気になるけれど、見ては駄目。
気取られて、逃げられる可能性が高まってしまう。
視線を観客席から調理場へと移す。
既に調理を終えている人も多く、盛り付けの段階に進んでいる。
ザーラさんは、最後に味を調えようとしているのだろうか。
調味料らしき二つの瓶を両手に持ち、見比べて首を傾げている。
何だろう? まさか砂糖と塩、どっちだか分からなくなったとか?
いや流石にそんなベタな理由ではないか。
「制限時間は、あと一分です」
司会の言葉を聞いたザーラさんは、慌てた様子で片方の瓶を選んで調味料を鍋に入れた。
その一連の不自然な動作を見ていて、ふとある考えが頭を過る。
まさか。
いや、でも。
じっと会場を見つめていると、審査員の一人と目が合う。パチリと愛嬌たっぷりにウインクされて、肩の力が抜けた。
「ローゼマリー様。確保したようです」
クラウスの報告を聞いて振り返ると、フランツ様と、彼の後を追わせた騎士とに挟まれるようにして、一人の男性が連れて来られるところだった。
観客席から少し離れた場所に移動し、護衛の陰に隠れるようにして相対する。
「フランツ様、そちらが?」
「ええ。祖父の代から我が家に仕えている執事です」
六十代くらいの細身の男性だ。
白いシャツやベストはそれなりに上質のものに見えるが、後ろに撫でつけた白髪や口ひげは艶が無く、肌も乾燥して張りが無い。全体的に、草臥れた印象を受ける。
「フランツ様。これはいったい、何事でしょうか?」
「心当たりが無いとでも言う気か?」
「はて。何の事でございましょう? 私はただ休日に祭りの見物に来ただけですが」
執事は飄々とした態度を崩さない。逃げる事なく大人しく捕まったのは、後ろ暗い事など何もないという表明なのだろうか。
やけに落ち着いているのが、気に掛かる。
「いくら白を切ろうとも無駄だ。お前が何も言わずとも、捕まえてある協力者達がいずれ吐くだろう」
金で動く人間は、裏切るのも早い。
裏組織は裏組織でも、規模が大きく、統率が取れているところならば話は別だが。話を聞いている限り、シュレッター公爵の雇った人間はごろつきに近い気がする。
自分の命を懸けてまで、雇用主の情報を守ろうとするとは思えない。
だというのに、執事は淡々とした態度を崩さなかった。
「左様ですか」
「……っ! お前は、いったい何がしたい!?」
苛立たしげに、フランツ様は執事を睨み付ける。
しかし執事はちらりと視線を向けるだけ。怯えるでもなく、怒るでもなく。ただ平坦な声で、「何がしたいか、ですか」と呟いた。
「私はずっと、大旦那様のご命令に従っているだけでございます」
「……お爺様の?」
先代のシュレッター公爵は、随分前に亡くなられている。
訝しむように目を眇めたフランツ様の言葉を、執事は首肯した。
「ええ。坊ちゃまをお守りするようにと仰せつかりましたので」
笑ってそう言う執事に、私達は絶句した。
彼にとっての『坊ちゃま』とは、目の前にいるフランツ様の事では無いのだろう。
怠惰で直情的なシュレッター公爵の人格がどのように形成されたのか。執事の歪な笑顔を見ていると、その理由の一端が垣間見える気がした。
「お前は……」
フランツ様の眉間に、深い皺が刻まれる。
苦しいのか、悔しいのか。複雑な表情の彼が発しかけた声は、どよめきに掻き消された。
「何だ……?」
観客の視線を辿る形で、会場へと目を向ける。
コンテストは既に審査段階に進んでいるようで、審査員の前にはスープ皿が置かれていた。
かしゃん、と食器がぶつかる音がする。
スプーンを皿の上に置いた審査員は、口元を手で覆い、俯いてしまっていた。
「……! まさか……」
呆然と立ち尽くしていたフランツ様は、執事へと視線を移す。
彼が掠れた声で独り言のように呟くと、執事の口元がにんまりと弧を描いた。




