転生公爵の祭り。(5)
でも、力比べだと決め付けてしまうのは危うい。
どちらにも気を配った方が良いだろう。
幸いにも、力比べと料理大会は開始時間が異なる。
力比べで何も起こらなければ、料理大会の会場へと移動しよう。
「そろそろ力比べの大会が始まっているはずです。急ぎましょう」
護衛にレオンハルト様や各会場の責任者への言伝を頼んでから、フランツ様を伴い、力比べの会場を目指す。
「凄い人だ……」
「本当に」
フランツ様の独り言めいた言葉に、思わず同意を示す。
到着した時には既に大会は始まっていたようで、分厚い人の壁が出来上がっていた。随分と盛り上がっているらしく、歓声や野次に掻き消され、会話も儘ならない。
人垣の隙間から覗くと、テーブルを挟んで向かい合わせに立つ男性二人が睨み合っている。テーブルに肘をついた二人は握手するように互いに手を握り、審判の合図で力を込めた。
『力比べ大会』という名目にしているが、実際は腕相撲だ。
農業高校の体育祭みたいに米俵でも持ち上げたらどうかと思ったが、稲作文化のない我が国には米俵が無かったので断念した。
小麦粉の袋も重そうだけど、何か違うし……。
単なる腕相撲では盛り上がりに欠けるかもしれないと不安があったけれど、杞憂だったらしい。引くほどヒートアップしている。
「今のところは、問題なく進んでいるようですね」
隣にいるクラウスが、周囲を見回しながら言った。
「そうね。でも念の為、警戒を」
「かしこまりました」
頷いたクラウスは、力比べの会場の警備を担当している騎士を呼び寄せる。
「フランツ様。人が多いので難しいでしょうが……」
「はい。探しております」
私が言うまでもなく、フランツ様はシュレッター公爵の側近を探していたようだ。祭りの浮かれた空気には似付かわしくない、鋭い視線で辺りを見渡している。
釣られるように私も怪しい人がいないかどうか確認していると、ふいに周囲がざわつき始めた。
今までも賑やかだったが、さっきまでの喧噪とは明らかに質が異なる。陽気な騒々しさが消え、戸惑うような空気が広がっていた。
何が起こっているのか確認しようにも、人が多くてよく見えない。
騎士達に守られながら誘導され、ようやく競技台が見える位置に移動した。
「!」
今、正に試合を始めるところだったのだろう。テーブルを挟んで立つ二人の男性と、審判。彼等の視線の先には、一人の男性が立っている。
どうやら飛び入り参加が出たらしい。
ルール上、問題はない。
その方が盛り上がるだろうと村民達から提案してくれたくらいなので、飛び入り参加自体は、別にいい。
だが、試合に割って入った人物が問題だった。
二メートルを優に超す長身と、それに見合う大柄な体躯。全身、分厚い筋肉で覆われており、褐色の肌には大小様々な傷が刻まれている。
目付きは鋭く、分厚い唇は片側だけが歪に吊り上がっていた。
どう見ても一般人ではない。傭兵か、軍人……いや、だとしたらあまりにも品が無い。にやにやとした笑い方は、ゲームに出てくる山賊のようだ。
人を顔で判断するのは良く無い。顔付きが怖くても性格は優しい人は割といる。でも、これは明らかに違う。
淀んで濁った目と卑しい笑みからは、『壊してやろう』という明確な悪意を感じた。
試合相手の腕を折るくらいは、やりかねない。
「やはり邪魔するか……!」
低く掠れた声でフランツ様は呟く。
次いで、ギリリと歯を噛み締める音がした。
「私が排除します」
そう言って人混みを掻き分け、前へと進もうとする彼の手首を掴んで止める。
「待って」
「え」
「大丈夫よ」
「あの……え?」
フランツ様は戸惑うように私と、掴まれた手首とを見比べる。無作法だったかと謝罪して手を離すと、彼は小さな声で「いえ」と呟いた。
俯いたフランツ様は私が掴んだ場所を確かめるように、そっと擦る。
「ごめんなさい、痛かった?」
「い、いえ。全く。……そ、それよりも大丈夫というのは?」
顔を上げたフランツ様の目元と、形の良い耳の先が赤い。もしかして彼は、女性が苦手なのかもしれない。
申し訳ない事したなと心の中で、もう一度詫びた。
「おそらく、彼がいるから」
「……彼?」
「挑戦者を受け付けているんだってな? ならオレの相手をしてくれよ!」
訝しむようなフランツ様の声に、飛び入り参加した大男の声が被さる。
声を張った大男は、試合をしようとしていた男性の片方を押しやるように退かす。どかりとテーブルに肘をつき、『来いよ』と示すように指を折り曲げた。
対戦相手に選ばれてしまった青年は、蒼褪めて一歩後退った。顔を強張らせた審判は、助けを求めるように周囲を見回す。
会場はシンと静まり返り、これ以上ないくらい空気は冷え切ってしまった。
観客席の最前列にいた子供はしゃくり上げるように泣き始め、最悪の状況となりかけたその時。
「では、オレが相手をしよう」
淀んだ空気を切り裂くような、凛とした声が響いた。
会場中の視線が、そちらに吸い寄せられる。
後ろに流した、艶のある黒髪。切れ長な同色の瞳。雄々しい美貌は年を重ねて衰えるどころか、より魅力を増している。ヴィンテージワインのように深い色香と香しい美しさは、若人には真似出来まい。
品の良い濃いグレーのフロックコートを脱いだ彼は、傍にいた男性にそれを預けた。白いシャツのカフスを外し、袖口を捲る。筋張った手首のなんと色っぽい事か。
ぐるりと軽く肩を回した彼は、唖然としている大男に視線を合わせる。
ニコリと笑って、テーブルに肘を置いた。
「待たせたな。じゃあ、やろうか」
「……っ! 優男が! 怪我して泣くんじゃねえぞ!?」
余裕を見せつける彼に、大男はいきり立つ。額に筋を立てて、叫ぶように言った。
大男は、あまりこの国では見かけない顔立ちだと思ったが、やはり他所の生まれらしい。我が国最強の騎士にして、近隣諸国に名を轟かせた勇将、黒獅子の顔を知らないとは。
テーブルが揺れるほど、乱暴に肘をついた男はレオンハルト様の手をぐっと掴む。
呆然と立ち尽くしていた審判は、レオンハルト様に視線で促されて我に返る。
「では。……始めっ!」
号令からコンマ、数秒。
ダァン、と鼓膜に響くような轟音が鳴った。
体勢を大きく崩した大男は、何が起こったのか分かっていない様子だった。
見守っていた観客も私も大差ない。何が起こったのか、展開があまりにも早過ぎて思考が置いてきぼりになっている。
さっきとは違う種類の静寂が、会場に落ちる。
静まり返る中、レオンハルト様は困ったように眉を下げて審判を見た。
「……前腕の一部がテーブルについたら、負けだったよな?」
大男の腕は前腕の一部どころか、べったりとテーブルに押し付けられている。誰がどう見ても、勝敗は明らかだった。
「! レ、レオンハルト様の勝利ですっ!」
一拍置いて、ドッと会場が沸いた。
女性の黄色い悲鳴と、男性の野太い歓声が響き渡る。
大男もようやく己が無様に負けたと気付いたらしく、顔を真っ赤にしていた。
「ま、まだだっ! 今は油断していただけ……」
「見苦しい言い訳は詰め所で聞こう。おい、つれていけ」
レオンハルト様は二十センチ以上の身長差をものともせず、大男を軽々と押さえ付ける。拘束してから部下へと引き渡した。
「邪魔をした。後は楽しんで」
爽やかな笑みを浮かべた彼に、再び周囲から黄色い悲鳴があがる。
その恰好良さにうっとりと見惚れた。やはり、私の旦那様は世界一恰好良い。
「ほら、大丈夫だったでしょう?」
自分の事のように誇らしい気持ちで、フランツ様に笑いかけた。




