転生公爵の祭り。(3)
「……しやがって。テメェ、覚悟は……」
護衛の背中越しに、遠くから話し声が聞こえてくる。ところどころ不明瞭ながらも、剣呑な雰囲気は感じ取れた。
建物の奥には複数の人間がおり、口論しているらしい。否、一方の声しか聞こえてこないので、脅されている可能性もある。
「ふざけんな!!」
怒声に反応して、護衛達は剣の柄に手を掛ける。
「っぐあ!?」
クラウスが一歩踏み出したのと同時に、大きな物音が鳴る。間を置かずして、奥から人が吹っ飛んできた。
「!?」
ぎょっと目を剥く私の前に、大柄な男性が転がっている。体を強かに打ち付けたのか、呻いていて、起き上がる様子は無い。
だが得体の知れない人物には変わりないので、護衛達は私を数歩下がらせた。
何が起こったのか、いまいち理解出来ていない。誰かがこの男性を吹っ飛ばしたようだが、クラウスを含め、護衛達はまだ何もしていないのに。
じゃり、と道を踏みしめる音が耳に届く。
弾かれるように顔を上げると、奥からもう一人出てくるのが見えた。
外套のフードを被っているので顔は見えないけれど、身長や体格から察するにおそらく男性。転がっている人より細身に見えるが、まさか彼が大男を転がしたのだろうか。
「止まれ!」
クラウスの鋭い声が飛ぶ。その人物は大人しくその場に立ち止まり、抵抗の意思が無い事を示すように、両手を軽く上げた。
「ここで何があった」
「……その男が乱暴を働こうとしていたので、止めただけだ」
若い男性の声だ。訛りもなく、淡々とした喋り方で、何処か品の良さを感じさせる。
それによく見ると、服もやけに仕立てが良い。一見すると平民の服装のようだが、外套の下から覗くシャツの皺の少なさやブーツの革の艶、ボタン等、誤魔化せない部分に高価さが表れている。
祭りで気が大きくなった人達の喧嘩か、シュレッター公爵に雇われた暴漢かと思ったが、彼はそのどちらにも当てはまらないように思えた。
「それで。お前は何者だ」
「……怪しい者ではない」
クラウスの誰何に、細身の男性は逡巡するような素振りを見せた。
『怪しい者ではない』というセリフこそが怪しいというのは、言っている当人も理解しているのだろう。声に力が無い。
クラウスが胡乱な目を向け、更に質問を重ねようとした。
すると、細身の男性の背後から、もう一人現れる。
「あの……」
若い女性だった。少し困った様子で眉を下げた彼女は、細身の男性とクラウスを交互に見てから口を開く。
「この方の言っている事は、本当です。そこの男に絡まれていた私を助けてくれました」
クラウスの眉間に深い皺が刻まれる。
女性の言葉を疑っている訳ではない。
なんせ彼女の事は、クラウスも私も知っている。村人ではなく、旅人でもない。彼女の正体は観光目的の一般人……を装った、女性騎士だ。
普通の祭りと違って今回は、酔っ払い同士の喧嘩以上の何かが起こる可能性が高い。制服を着用した騎士達も巡回しているが、その他に、私服の騎士や密偵が何人か、見物客に紛れている。彼女はその一人だ。
大男に絡まれた彼女は、すぐには反撃せずに、相手の出方を窺っていたのだろう。そこを、通りすがりの男性に助けられたと。
大男の目的を探ろうとした彼女は悪くない。そして助けてくれた通りすがりの男性も、もちろん悪くない。
敢えて言うなら間が悪かった。
目を伏せたクラウスは眉間を親指で押すように揉み、溜息を吐き出す。
「……詰所で話を聞きましょう」
クラウスが短く言うと、護衛の一人が転がっている男性に近付く。暴れないよう腕を拘束しながら、立ち上がらせた。
「宜しいでしょうか?」
クラウスは細身の男性ではなく、私の方を見て訊ねる。
私は苦笑して、頷いた。
「そちらの貴方も、同行して頂けますか?」
護衛の陰から顔を出して、私は細身の男性に問う。
彼の肩がビクリと揺れた。
「いや、私は……」
男性は明らかに困っていた。逃げ道を探すように言葉を濁す。
しかし、見逃す訳にはいかない。女騎士を庇ってくれたのは、おそらく本当だと思うけれど、建前上、両方の意見を聞かなければならない。
あと、申し訳ないが怪し過ぎる。
悪意が無さそうとはいえ、放置は出来ない。せめて監視はつける必要がありそうだ。
「申し訳ないが、拒否権はない」
微塵も申し訳なさを感じさせない顔でクラウスが言う。
「やらなくてはいけない事がある。出来れば、見逃してもらいたい」
「何を馬鹿な事を……」
呆れたように顔を顰め、クラウスが一蹴しようとする。
すると彼は外套のフードに手を掛け、後ろに落とす。癖のない栗色の髪が零れ落ちた。
長い前髪の奥、吊り上がり気味の青い瞳と視線がかち合う。
意志の強さを感じさせる凛々しい眉と、高い鼻筋。端整な顔立ちの青年だが、酷く顔色が悪い。肌が白いせいもあり、目元に薄っすら浮かぶ隈や唇の血色の悪さが際立つ。
「……?」
何処かで見覚えがある気がした。
記憶を掘り起こすけれど、上手く合致しない。
村人でもないし、街の人でもない。医療施設の関係者でもなければ、部下でもない。
喉の奥に小骨が刺さったような不快感を覚えながら、頭を捻る。
私は元々、記憶力が良い方ではない。しかも夜会に参加する為に、あまり交流のない貴族の顔や家系図も頭に叩き込んだものだから、更に容量が不足している。
「……あ!」
そこまで考えて、ぱっと閃いた。
ここに……農村にいるはずが無いと思い込んでいたせいで、思い出すのに時間が掛かったが、覚えがあるどころの話ではない。
まともな交流がないとはいえ、遠い親族だ。
フランツ・フォン・シュレッター。
件の公爵の嫡男であり、私のはとこでもある。
「……貴方」
フランツ様と呼びかけようとして、言葉を濁す。
人気が無いとはいえ、誰が聞いているか分からない場所で、身分を明かすのも不味い。
「どうして、ここに?」
どうしてここにいるのか。何をしているのか。父親であるシュレッター公爵は、この事を知っているのか。
聞きたい事は沢山あるけれど、最初に出た言葉はソレだった。
するとフランツ様の顔が、痛みを堪えるようにくしゃりと歪む。
「……申し訳ありません」
表情と同じくらい苦しげな声で、何となく察してしまった。
少なくとも、フランツ様がここにいる事を、シュレッター公爵は知らないだろう。




