転生公爵の祭り。
手で庇を作って、空を見上げる。
澄み渡る青空には、絵筆で薄く刷いたような雲が細く棚引いていた。日差しは温かく、からりとした風が肌に心地よい。
文句なしの秋晴れ。絶好の行楽日和。絶好の……。
「収穫祭日和だわ」
ぽつりと呟いた言葉すらも空に溶けていくような、気持ちの良い日だ。
けれど私の気持ちも晴れ渡っている、とは言い難い。
レオンハルト様から伝え聞いたラーテの報告では、シュレッター公爵が良からぬ事を企んでいるらしい。
私に直接的な攻撃を仕掛けてくる可能性は低いが、収穫祭の賑わいに紛れて、嫌がらせをするかもしれないと。
それを聞いて、思わず溜息が零れた。
どうして、そこまで嫌われているのやら。
人の感じ方はそれぞれで、自分は何もしていないと思っていても、誰かの恨みを買ってしまっていた、なんて事は珍しくないとはいえ、だ。
王家主催の夜会でシュレッター公爵と会った時は、挨拶程度の会話しかしていない。ほんの一言、二言、言葉を交わしただけで、嫌われるほどの関わりは持っていない。
理不尽だと愚痴りたくなるけれど、理由は分かっている。
私が女公爵である事。それだけで、あちらからすると嫌うに値する理由となるんだろう。
あと、私が嫌がらせに屈せずにいるのも気に食わないのだと思う。
もし私が泣き寝入りしていたら、多少なりとも溜飲が下がり、興味を失ってくれていたのかもしれない。
でも無理だ。不作等の切迫した理由もなく関税を引き上げられて、はいそうですかと受け入れられる訳がない。
こちらにだって、領民の暮らしを守る義務がある。有利な条件を提示してくれた他領に取引をシフトするのは当然だ。
そう己に言い聞かせても、呑み込み切れないものがある。
嫌われるのは辛い。恨まれるのも辛い。
人から向けられる悪意は、怖い。
自分が傷付けられるのも怖いけれど、自分のせいで大切な人達が傷付けられるのは、耐えがたいほどに怖い。
「…………」
胸の奥に蟠る不快感を逃す為に、そっと息を零す。
「晴れましたね」
不意に掛けられた声に、俯きかけていた顔を上げる。
いつの間にか隣に立っていたのは、レオンハルト様だった。
「レオン」
「ここ一週間はハッキリしない天気が続いていたので、どうなるかと思いました。てるてる坊主とやらを量産した甲斐がありましたね」
「そうね」
柔らかい表情に釣られるようにして、私も引き結んでいた唇を緩める。
私の旦那様は、謎の人形を窓辺にぶら下げるという妻の奇行にドン引きせず、付き合ってくれる優しい人だ。
「街の方は既に賑わい始めているようですよ。商人達が宣伝してくれた効果が出たのか、王都からも人が来ているようです」
「そうなのね。良かった」
「行きがけの馬車の中からも少し見られると思いますが、時間が取れたら、二人で見て回りましょう」
「……」
何事もなければ、という言葉を勝手に付け足してしまう。
思わず力が入り、握り締めようとした掌に大きな手が滑りこんできた。
指と指をきゅっと絡められる。硬い掌の熱に温められて初めて、自分の指先が緊張で冷え切っていた事に気付いた。
「レオ……」
「大丈夫」
真っ直ぐに向けられた瞳には、嘘も誤魔化しも無かった。
「今日はきっと、良い一日になりますよ」
穏やかで優しいのに、不思議と力強さを感じさせる深い声だった。
無条件に信じられる大好きな人の言葉に、自然と肩の力が抜ける。ふ、と零した息と共に、胸の奥にこびり付いていた不快感もすっと消えた。
「……うん」
へらりとだらしない笑みを浮かべると、レオンハルト様も笑顔になった。
私は一人ではない。
頼りになる旦那様や、仲間達がいる。
きっと大丈夫。
「では、参りましょうか」
「はい、行きましょう!」
繋いでいた手をエスコートへと変え、私達は馬車へと乗り込んだ。
村へと向かう前に、商業区画の一角を通ってもらう。
窓の外をちらりと覗いた私は、鮮やかな景色に目を奪われた。
黄色にオレンジ、緑色。豊穣を連想させる色合いの布や旗が、微風にひらひらと揺れる。店先を彩るのは、美しくアレンジされた花々。鉢植えやフラワースタンド、ハンギングボールと形は様々だが、どれも華やかだ。
大きなカボチャや野菜をオブジェのように飾っている店もあり、どこかハロウィンを彷彿とさせる。
ひらひらと花弁が舞う光景は幻想的で、ぽかんと口を半開きにしたまま見惚れた。
「すご……」
「オレも、ここまで本格的になるとは思いませんでしたよ」
私の隣から外を覗き込んだレオンハルト様は、そう言って苦笑する。
呆然としながらも、同意を示す為に頷いた。
いつかこんな景色を見たいとは思っていたけれど、それは今すぐだなんて無謀な目標では無かった。
何せ、収穫祭を開催すると決定したのは、ほんの二ヶ月前。
しかも古い慣例に従った形ではなく、私の思い付きを盛り込んだ破天荒なものだ。
文献も前例も準備期間も無い、ないないづくしの無謀な祭り。
無事に開催出来るだけでも奇跡だ。
だから、徐々に規模を大きくしたいと思っていた。
今ではなく、いずれ。何年も先の未来に我が子の手を引きながら、凄いでしょって言うつもりだったのに。
まさか、こんなにも早く叶うとは。
「貴方の協力者は何故か、異様……失礼、非常に有能な者が多いですからね」
レオンハルト様は感嘆とも呆れともつかぬ声で、そう言った。
夢のような光景を見つめる私の脳裏に、ユリウス様やヒイラギさんの顔が浮かぶ。
優秀な彼等は、収穫祭の会議の時も遺憾なく能力を発揮していた。分かり易く出しゃばるのではなく、控え目な提案で、話の筋を私に有利な方向へと導いてくれた。
二人共、タイプは違うものの似ている部分は多い。
人当りのよい笑顔と柔らかな物腰、それから並大抵の事では揺るがない度胸。ついでに、ちょっぴり黒いお腹も。
そんな怒られそうな事を考えながらも、感謝した。
きっと収穫祭が盛り上がるよう、二人共、尽力してくれたに違いない。
「あとでお礼に行かないとね」
開店前にも拘わらず、既に人で賑わい始めている大通りを眺めながら呟いた。
レオンハルト様がくれた言葉通り、きっと今日は良い日になる。




