総帥閣下の画策。(2)
※引き続きレオンハルト視点です。
前話と比べてシリアス気味ですので、ご注意ください。
人気のない廊下を進む。
今夜は風もないのか、静まり返った館内にオレの靴音が良く響いた。
ランタンを片手に、執務室のドアノブを引く。ギィ、と重い音を立てて扉が開くと、真っ暗な室内にぽつんと佇む人影が一つ。
南向きの大きな窓から差し込む月明かりが、長身の男の影を浮かび上がらせた。
部屋の奥、中央に据え置かれたローゼの執務机に寄り掛かるようにして立っていた男は、オレが一歩室内に入ると顔を上げる。
「やぁ、どーも」
薄明りの中でも分かる端整な顔立ちの男は、無表情から一転、お手本のように綺麗な笑みを浮かべて片手を上げる。
しかし不思議と、笑顔の方が不気味に感じた。寧ろ無表情の方が人間らしく見えたのは、この男の本性を知っているからなのだろうなと、心の中で一人ごちる。
「眠るところだったのに、呼び出して申し訳ないね」
悪びれる風もなく言ってのける男に、思わず苦笑が洩れた。
これほど心の籠ってない謝罪も珍しい。
「いいや、構わない。報告を聞こう」
応接セットに近付き、机にランタンを置く。ソファーに腰を下ろしてから、ラーテに視線を向けた。
「様子はどうだった?」
オレが問うと、ラーテはにやりと口角を上げる。
「随分と楽しそうな事になっていたよ。奴さんは、今頃になってようやく焦り始めたらしい」
口調も声も酷く楽しそうだ。悪辣とした笑みは、さっきの貼り付けた笑顔よりも感情が籠っている。
よほどアレが嫌いらしい。まぁ、オレも同じだから、咎めはしないが。
ラーテには、シュレッター公爵領の偵察を命じていた。
ダニエル・フォン・シュレッター。
シュレッター公爵家の当主であり、現国王陛下の従兄弟。大層な肩書きだが、身分と血筋以外、誇るもののない凡愚だ。
典型的な古い時代の男で、男尊女卑の考えが染み付いている為、女公爵であるローゼの事も目の敵にしている。
直接、暗殺者を向けてくるような度胸はないようだが、それでも無害とは言い難い。社交界でローゼに不利な噂を流したり、領地間の交易で関税を上げたりと、つまらない嫌がらせばかりする。
しかし、幸いにもシュレッター公爵の人徳の無さのお蔭で、今のところ大事には至っていない。
人前に出る事が少なかった王女時代なら悪質な噂に踊らされたかもしれないが、今のローゼは社交にも参加している。
誰よりも美しく、流行の最先端を行く女公爵と、何も成し遂げていない老いた公爵のどちらに媚びを売った方が得かなんて、火を見るよりも明らかだ。
下品な噂はローゼの耳に届く前に、賢明な人々によって消されていく。
交易の方は一時的にやや滞っているものの、長い目で見れば些末な事だ。
なにも商売相手はシュレッター公爵領だけではない。特にプレリエは今、世界各地から注目を集めている。取引相手なんて探すまでもなく、あちらから手を挙げてくる。
最終的に割を食っているのは、シュレッター公爵領の領民の方。
「関税上げたって、取引が減れば税収も減る。当たり前の話なのにね。今更焦って馬鹿みたい」
ふふ、とラーテは機嫌良さげに喉を鳴らす。人の不幸でこれほど上機嫌になるとは性格が悪い。
顔と心の綺麗さは比例するとは限らないらしいと、失礼な感想を抱いた。
「その『当たり前』が分からないから馬鹿なんだろう」
「言うねぇ」
ラーテに言われ、性格悪いのはお互い様だったなと思い直す。
ローゼの前では紳士でいるよう心掛けているが、本当のオレはラーテと同じく性悪だ。
「馬鹿ついでに、自領の税も上げるつもりらしいよ。税収が減った分は下の人間から巻き上げればいいなんて、絵に描いたような暴君だよね。面白いくらい定型通り」
呆れたなと、溜息を吐く。
これほど無能なのに、よく今まで地位を保てたものだ。
……いや、無能だからか。自分は遊びに夢中で仕事を側近や妻に投げていたからこそ、今まで何事もなく領地運営が出来ていた。
ローゼに対抗心を持ち、公爵自ら動き始めた事が最悪な事態を招いたのだろう。
「これでは、そのうち誰もいなくなるな。いつ気付くやら」
「最後の一人になるまで気付かないんじゃない? 暴君ってそういうものでしょ」
「夫人と息子が気の毒だ」
「害虫はさっさと消してやった方が、世の為人の為だと思うよ」
ラーテの切れ長な目に、殺意が宿る。瞬き一つする間に、人当たりのよい青年が無慈悲な暗殺者の顔に変わった。
抜き身の刃のように鋭い視線を受け止めながら、オレは目を眇める。
「だとしてもお前は動くな」
「あれ? いつから平和主義者になったの?」
「いや、逆だ。気の毒だとは思うが、手を貸してやるほどお人好しではない。身内の不始末は彼等が片付けるべきだ。それに」
「……それに?」
「お前に汚れ役をさせては、ローゼに叱られる」
ラーテは軽く目を瞠る。
洩れ出ていた殺気が消え、憮然とした表情へと変わった。面白くないと主張するように、ジトリとした目で睨まれる。
「……何だ?」
「……お嬢さんの事なら何でも分かっているって態度が、どうにも気に食わなくてね」
言い掛かりに近い文句をぶつけられ、息を零すように笑った。
「誉め言葉だと受け取っておくよ」
うわー、とドン引きしたような顔をされたが気にしない。
「ところで鉱山の方はどうだった? 近年になって採掘量がずいぶん減ったと聞いたが」
シュレッター公爵領の北西部には、銀と銅の鉱床がある。鉱山の歴史は長く、先代の頃から主要な資金源として重宝されてきた。
しかし、資源は無限ではない。当たり前の事だが、採掘すればいずれ尽きる。
「かなり厳しい状況みたいよ。聡明な奥方が掘らせなかった区域に、手を出す気らしい。下手したら、死人が大量に出るかもね」
「…………」
オレは無言で拳を握り締めた。
鉱山労働者は常に死と隣り合わせだ。落石やガスの事故で、毎年、一定数の人間が命を落とす。どんなに気を配っても、完全に事故を防ぐ事は難しい。
しかし、だからこそ、経営者の方針で生存率が大きく変わる。
シュレッター公爵夫人は、才媛と名高い方だ。
おそらく有識者や経験者の意見を聞き、落盤の可能性が高い区域の採掘を禁じていたのだろう。
しかし、優秀な人間には墓穴に見えても、無能の目には手付かずのお宝の山と映る。
夫人がどんなに道理を説いたところで、人命を軽視しているあの男は、きっと諦めはしまい。
「この件に関しては、ローゼへの報告を禁ずる」
「……御意」
ラーテは視線を落とし、素直に頷いた。
ローゼがこの件を知ったら、きっと放置は出来ない。だが、他領の事情に口を出す事は越権行為に当たる。
それにシュレッター公爵の判断が非道でも、法は犯していない。まだ起こってもいない事故について抗議すれば、汚名を被るのはローゼの方だ。
それでも昔のローゼならば、自分の不利益など気にせずに心の命じるままに行動しただろう。しかし今の彼女は領主であり、医療施設の責任者でもある。愛する領民や仲間、それに家族を道連れにすると分かっていて、動けるだろうか。
オレはそんな判断を、ローゼにさせたくはない。
それこそ越権行為だろうと断罪されるとしても、お前のエゴだと誰に責められるとしても。オレにも譲れないものがある。
「……鉱山労働者達に、噂を流す事は可能か?」
「もちろん」
ラーテは口角を吊り上げて答えた。
「指揮する人間が代わって、かなり危険な作業をやらされるらしいって本当の話に加え、落石での死亡事故もいくつか捏造しておこうか。部下に怪我人のフリさせたら、少しは信ぴょう性も増すんじゃない?」
「頼む」
全員ではなくとも、労働者の何割かは尻込みするだろう。ついでに上に抗議して、作業をボイコットしてくれたら時間稼ぎになる。
その間にシュレッター公爵夫人と子息が、何らかの対策を講じてくれればいいが。
「じゃあ、そんな感じで。定期報告は部下を送るから」
「分かった」
話は済んだとばかりに、ラーテは寄り掛かっていた執務机から背を浮かす。
扉へと向かう途中で足を止め、オレの方を向いた。
「そういえば、祭りの警備もしっかり対策した方がいいよ。あの阿呆なら、嫌がらせくらい企みかねない」
「衛兵はもちろん配備するが……。尻に火が付いた状態で、そんな幼稚な事に気を回すか?」
「火が付いているのに気付いてないからね」
「なるほど」
皮肉めいた笑みと言葉を残し、ラーテはさっさと出て行った。
「祭りの邪魔など、させてたまるか」
一人残された部屋で、自分に言い聞かせるように呟く。
眠気と戦いながらも、サッシュに刺繍をしていた妻の顔を思い浮かべ、改めて心に誓った。




