総帥閣下の画策。
※ローゼの夫、レオンハルト視点です。
時刻は夜半前。
そっと寝室の扉を開けると、室内はまだ灯りが灯っていた。妊娠が判明してから眠る時間を早めたローゼが、この時間に起きているのは珍しい。
ソファーに座っているローゼは、こちらに背を向けているので、まだオレの存在に気付いていない。何をしているのかは分からないが、よほど集中しているようだ。
声を掛けようとして、止める。足音を立てないようにそっと近づいて、彼女の手元を背後から覗き込んだ。
どうやらローゼは刺繍をしているようだ。
細長い布は、サッシュ。近衛騎士団長時代、式典に出席する時にはオレも肩から斜めに掛けていたアレだ。
光沢のある青い布の素材は、おそらく絹。そこに銀の糸で植物の図案を刺繍している。収穫祭の力比べの優勝者に贈呈する予定だからか、勝利や栄光の象徴である月桂樹をモチーフにしているらしい。
手元に視線を落とす横顔は、とても真剣だ。
何事も全力で取り組む妻を好ましいと感じるのと同時に、心配にもなる。少しくらい手を抜いても、誰も責めやしないのに。
じっと見つめていると、区切りがよいところまで終わったらしく、ローゼは手を止める。針を置いた彼女は口元に手をあてて、欠伸をした。
あふ、と呼気を洩らす様は可愛らしいが、見逃す訳にはいかない。
「ローゼ」
「……っ!?」
背後から声を掛けると、細い肩がビクリと跳ねる。
「レオン」
「夜更かしは感心しませんね」
恐る恐る振り返ったローゼに、オレはわざと怒ったような表情を向けた。ばつが悪いのか、彼女は欠伸の名残で涙が滲む瞳を逸らした。
「時間が空いたから、寝る前に少しだけ進めようと思ったんだけれど。集中していたらしくて、いつの間にか……」
「こんな時間になっていたと」
「……はい」
ローゼは、しょんぼりと萎れる。そんな姿を見せられて、怒りを保ち続けるのは難しい。
「あまり根を詰め過ぎないでくださいね」
「気を付けます」
オレが表情を緩めると、ローゼは安堵したように息を零す。
神妙な顔で自戒する彼女は、叱られた子供みたいな愛らしさがあった。
「収穫祭に間に合わせる事も大事ですが、オレにとっては貴方の体の方が大事です。今回は時間がないと分かっているんですから、簡単な刺繍にしてもいいのではありませんか?」
刺繍道具を片付けるローゼを見守りながら話しかけると、彼女は苦笑した。
「図案は簡単なものよ。ただ、私の作業が遅いだけ」
「十分、凝っていると思うんですが」
「これ以上、簡略化は出来ないわ。下手なのはどうしようもないけれど、せめて丁寧にやりたいの」
本来ならサッシュも、料理大会の優勝者に贈る花冠も、職人に依頼するはずだった。現に花冠の方は、既に図案を職人に渡してすらあった。
しかし収穫祭の三回目の会議で、風向きが変わった。
見本品である花冠を見て、既に出来上がっているのなら、改めて作らずともそれでいい……否、それがいいと言い出したのは誰だったか。
ローゼが作った造花の花冠は、確かに良い出来だと思う。しかしローゼが言うように、本職の人間が作った物には及ばないだろう。
オレは味があって好きだが、近くで見ると粗が目立つという本人の言い分も分かる。
だが同時に、『誰が作ったか』が大事だと言う村民達の言い分も理解出来た。
収穫祭復活の立役者である領主、しかも、一部の熱狂的な支持者達から女神と崇められるローゼが作ったものだ。
豊穣の女神を信仰する村民達にとっては、一流の職人の作品以上の価値があるのだろう。
そんな訳でサッシュもローゼが作る事になった訳だが。
正直、面白くないと思う大人げない自分がいた。
「……オレだって、貰った事がないのに」
「え? 何か言った?」
小さな声で零した独り言が、中途半端にローゼに届いてしまったらしい。聞き返してくる彼女に頭を振って、「いいえ」と答える。
何か言いたげな顔で見上げてくるローゼの言葉を封じるように、ソファーの上から彼女の体を抱き上げた。
ローゼは、刺繍が苦手だ。
練習してもあまり上達は見られないらしく、作品を見せてもらった事も殆ど無い。ましてや、貰えるはずもなく。
オレはローゼの刺繍が入ったものを、持っていない。
綺麗に出来なくてもいい。小さなハンカチでもいい。そう言っても、ローゼは頷いてくれない。基本的にオレに甘く、願い事は叶えてくれようとするローゼだが、こればかりは駄目だった。
ローゼ曰く、オレが恥をかくようなものを持たせられないのだとか。
『推しのポッケに私の作ったボロキレが入っているとか、解釈違いなの!』と、訳の分からない主張をしていた。
ローゼは、男心が分かっていない。
王家御用達の職人が作った豪奢なサッシュより、国王陛下から賜った勲章よりも、オレはそのボロキレが欲しいのに。
「ありがとう」
ローゼの体をそっと寝台に下ろすと、笑顔でお礼を言われた。
布団を肩口まで引き上げて、ポンポンと宥めるように数度叩く。いつもならとっくに眠っている時間だからか、ローゼの目は既に閉じそうだ。瞼が重たげに、ゆっくりと瞬く。
「眠いなら、目を閉じて」
「……レオンは?」
とろりと溶けた目が、ぼんやりとオレを見上げる。
「あと一つだけ、仕事を片付けてきます。書類のチェックだけなので、すぐに戻るから」
「なら」
「駄目。起きていたら怒ります」
待っていると続きそうだった言葉を、途中で遮る。
無言で抗議するように膨らんだ頬を指で突くと、ローゼの眉が下がった。
「寝ますね?」
「はい」
「よろしい」
喉の奥で笑ってから、ローゼの頬を撫でる。機嫌の良い猫みたいに目を閉じた彼女の前髪を指で退かし、口付けた。
「寝苦しくはない?」
「……ぅん」
ローゼの瞼が完全にくっつく。
既に半分、夢の世界に旅立っているらしく、舌足らずな応えが返ってきた。それがあんまりにも可愛らしくて、寝かせつけておきながらも、悪戯心が顔を出す。
「領民に優しくするのはいいですが、オレにも構ってくださいね?」
「うん」
「オレの為にも、刺繍をしてくれる?」
「ん」
「刺繍したハンカチ、くださいね」
「うん……」
「約束ですよ」
寝ぼけている妻を相手に言質を取る。誉められた行為でない事は百も承知だ。しかしオレは、そんな情けない事をしてでもローゼの刺繍が欲しい。
「おやすみ」
根が真面目なローゼはおそらく、覚えていなくとも反故にはしないだろうと姑息な事を考えながら、オレは寝室を後にした。




