或る商人の驚き。
※商人 ユリウス・ツー・アイゲル視点となります。
その日、私、ユリウス・ツー・アイゲルがオーナーを務める店の商談室に、美しい音色が響き渡っていた。
青年の長い指が器用に動き、弦をかき鳴らす。
リュートが奏でるのは、かろやかな音楽。祭りに相応しい陽気な曲だが、どこか繊細な上品さも感じさせるのは演奏者の腕のお蔭だろうか。
短い演奏が終わると、間を空けずに拍手の音が鳴る。
私も追随する形で拍手したが、素晴らしい演奏を賞賛する気持ちは、忖度でも世辞でも無く本物だった。
「ヒイラギさん、凄いわ! 完璧でした」
そう言ったローゼマリー様の頬は、高揚を表すように仄かに色付いている。
「素晴らしい才能ですね。とてもではないが、一度聞いたきりとは思えないな」
感心したように呟いたのは、ローゼマリー様の夫であるレオンハルト殿だ。
「お褒めに預かり、光栄です。昔から耳だけは良いのですよ」
公爵夫妻から絶賛されながらも、照れる事無く飄々とした態度で返したのはヒイラギ殿。オステン王国から来た商人で、現在はローゼマリー様と雇用契約を結んでいる。
私と直接の面識は無かったものの、存在は知っていた。
オステン王国の商品を扱っているのなら、是非とも良い関係を築きたいと思ってはいたが、ヒイラギ殿は一筋縄ではいかない人物だった。
ヒイラギ殿は一見、愛想が良い。細身で優美な容姿は頼りなくも見える。その上で異国人とあれば、侮ってかかる人間も少なくない。
親切心を装って、彼に不当な取引を持ち掛けた不届き者もいた。しかし、そんな連中は油断を逆手に取られ、大金をむしり取られる羽目になったと聞く。
とても優秀、且つ、油断ならない人物。それがヒイラギ殿に対する私の認識だ。
いずれは交流を持ちたいが、不用意に接するべきではない。そう思っていた訳だが。
「耳が良いだけではないでしょう。まさか貴方が楽器を弾けるなんて、知らなかったわ。しかも、オステン王国の楽器とは勝手が違うでしょうに、こんなにも綺麗な音が出るなんて凄いです」
「……貴方様のお役に立てたのなら、何よりです」
何の裏もなさそうなローゼマリー様の賛辞に、ヒイラギ殿はやや言葉に詰まる。ポーカーフェイスも少しだけ崩れ、居心地が悪そうな顔が垣間見えた。
心の中で、『分かる』とヒイラギ殿に同調する。
長年商売をしていると、条件反射のように相手の裏の顔を見極めようとしてしまう。信用に足る人物かどうか、言動の端々から読み取ろうと観察するのは最早、癖のようなものだ。自分でも悪趣味だと理解している。
そのせいか、裏表のない人間にとても弱い。
ローゼマリー様のような善人を前にすると、とても後ろめたくなる。相手に責められた訳でもないのに、全面降伏したくなってしまう。
ヒイラギ殿が今、居心地が悪いと感じているのならば、私と似た感性の持ち主なのだろう。
ならば安心だ。ローゼマリー様の善性を『扱いやすい』と感じるのではなく、『やりにくい』と感じているのならば、彼女の害にはなるまい。
「オステン王国の楽器は一度見た事がございますが、弦の数が二本でしたね。それと確か、指で弦を弾くのではなく、専用の器具があるとか」
手放しで褒められる事に慣れていないのか、居た堪れない様子のヒイラギ殿の為に、話題を少しだけずらす。
するとヒイラギ殿は安堵したように、会話にのってきた。
「二胡ですね。バイオリンのように弓を使うのですが、少し弾き方が特殊でして、初心者には難しい楽器です」
「それは興味深い。いつか聞いてみたいものです」
楽器を入手したら弾いてもらえるだろうかと、言外に匂わせる。しかし彼は腹の内の見えない笑みを浮かべるのみ。言質を取られるのが嫌なのか、社交辞令すら出てこない。商人らしい態度で返され、私は苦笑した。
やはり、食えない人物であるという認識は間違っていないらしい。
「ところで公爵様。譜面はこのままお渡ししても宜しいでしょうか?」
「ありがとうございます」
楽器を片付けたヒイラギ殿は、楽譜をローゼマリー様に手渡す。収穫祭で弾く予定の曲で、確かタイトルは『祝祭の歌』。
農村では収穫祭の定番として愛され、親から子へと受け継がれてきたようだが、楽譜は存在していなかった。村民達は、楽器を奏でる時も、誰かに曲を教える時も、楽譜を見たりしない。耳で聞いて覚えるのが当たり前。
だから人によっては微妙に音程や歌詞が異なったりする。
それを統一する為に、採譜の能力を持つヒイラギ殿に同行してもらったのかと思っていた。
しかし、どうやらそうでは無いらしい。
ローゼマリー様は村民達の程よい緩さを好ましく思っているのか、介入する気はないようだ。単純に、資料として欲しかったのだと彼女は言った。
ローゼマリー様は多くを語らなかったが、文化を後世に遺したいのだろう。
史学者ですら、小さな農村の祭りの歌など気にも留めないだろうに。
「これで歌も覚えられます」
「歌も? ダンスは覚えられたと?」
「踊れるはず、です。……実際には踊っていませんが、たぶん」
からかいを含んだヒイラギ殿の言葉に、ローゼマリー様は言葉に詰まる。途中までは力強かった声が、後半から勢いを無くし、語尾は消えた。
薄々気付いてはいたが、ローゼマリー様はあまり運動神経が良くないらしい。何も無いところで転びかけた場面を、私も見た事がある。
しかも現在、ローゼマリー様は妊娠中の身。彼女を大切に思う周囲の人間は許可しないだろうし、過保護の筆頭である夫のレオンハルト殿が賛成するはずもなく。
「ローゼ。私の見ていないところで勝手に踊ったりは……」
「していません!」
レオンハルト殿にじとりとした目で見据えられ、ローゼマリー様は背筋を伸ばして答える。叱られ慣れている子と親のような遣り取りに、思わず笑みが零れた。
「ほ、本当ですよ? 無茶はしていませんし、ダンスも見て覚えたんです。当日も今年は踊れませんが、雰囲気だけでも一緒に楽しみたくて……」
私が笑っている事に気付いたローゼマリー様は、恥ずかしげに頬を染めながら言う。それがまた、言い訳をする子供のようで微笑ましい。
「収穫祭、楽しみですね」
「! ……はいっ!」
私の言葉に、ローゼマリー様は笑顔で頷いた。
一度目の会議では農民達の同意が得られず、流れかけていた収穫祭だが、二度目の会議で開催する事が決定した。
どうやらローゼマリー様が農村に足を運んだ事で、女性達の支持を得られたらしい。難色を示していた一部の男性らは、家族の説得に応じる形で承諾。今では若い人達を中心として、村が一丸となって準備を進めていると聞いた。
「今年は準備期間も足りないので、それほど大々的には出来ないと思うんですが、徐々に規模を大きくしていきたいと考えているんです」
ローゼマリー様の言葉通り、残り一ヵ月と時間がないが、それでも有意義なものにはなりそうだ。
ダンスパーティーは他の地域にもあるが、料理大会や力比べなど、ここの祭りにしかない特色もある。
二回目の会議で試食した、村で作ったジャムやピクルス、ワインも美味かった。
「賞品もささやかながら用意していて……。あ、そうだ。それで見ていただきたいものがあったんです」
ローゼマリー様は話しながら何かを思い出したのか、控えていた侍女へと視線を向ける。楚々とした美女は主人の意向を汲み取り、何かを用意する。
机に置かれた薄い箱の蓋を、ローゼマリー様が開ける。
「……これは」
中に入っていたのは、花で出来た……冠?
市井の子供達がシロツメクサを使って作っていたのを見かけた事があるが、目の前にあるのは白い薔薇の冠。
しかも生花ではない。
「布で出来た花?」
「はい、造花で作った花冠です。これはイメージを伝える為に私が作ったので、ちょっと見てくれが悪いですけど。本物は職人に依頼しているので、仕上がったら改めてお見せしますね」
確かに少し粗が目立つが、それでも十分に美しい。
ドレスや髪飾りに小さめの布の花があしらってあるのはよく見かけるが、花冠は初めて見た。
「これは……素晴らしいですね。ドレスや宝石が負けてしまいそうですが、シンプルなデザインなら逆に映える気がします。ドレスの流行に合わせれば、或いは……。いや、既存のものでも」
「いえ。これは別に、社交界で流行らせようと思っている訳ではないんです」
やや前のめりになった私の勢いとは対照的に、ローゼマリー様は軽く言って首を横に振る。
「お祭りの目玉に出来たらいいなと。これは料理大会の優勝者に贈呈するつもりなんですが、他も色々と試作中です」
「……祭りの?」
「村では、収穫祭に花を渡して愛を告白する習慣があるんです」
「へぇ、素敵ですね」
「ですよね。それで所以を聞いてみたんですが、誰も知らなかったので、本で調べる事にしたんです。信仰対象である豊穣の女神様に関する伝承を、いくつか拾ってみました」
「なるほど」
言われてみれば豊穣の女神に関する神話には、花を贈る場面は多い。恋人達への祝福、子供への加護、家族への感謝など、キーアイテムとして登場する。
そこから着想を得たローゼマリー様は、『収穫祭には大切な人に花を贈る』というイメージを広めるのはどうかと思い付いたようだ。
「生花に限定せず、花をイメージしたアクセサリーとか、花柄の雑貨とか。その時期限定の商品として売り出せば、商業区画も活気づくかなと思うんですが……どうでしょう?」
ローゼマリー様は、少しだけ不安そうにこちらを窺う。
これだけのアイディアを持っていながらも、自信がない事が彼女らしい。
祭りの件もそうだが、ローゼマリー様の発想力と地位と伝手があれば、大抵の事は成し遂げられるであろうし、きっと成功もする。
しかし彼女は、強引には進まない。どれだけ才能があっても、自分は専門家ではないと、周りの意見を聞こうとする。
その慎重さは、ともすれば欠点、弱点にもなり得る。だが同時に愛される理由でもあると、私は思う。
「良いと思います」
「人は『限定品』に弱いですからね。心配せずとも、飛ぶように売れるでしょうよ」
私の言葉に同意を示すように、ヒイラギ殿が言った。
呆れを含んだ声だったが、どこか誇らしさもある気がする。
ローゼマリー様は相変わらず、癖の強い人間に好かれるのだなと、自分の事を棚に上げて思った。




