転生公爵の所信。(2)
領地に帰る相談をレオンハルト様に持ち掛けたところ、すんなり同意を得た。
王都にいると、お茶会やら夜会やら色んな誘いが届く。社交が苦手な私がストレスを溜めてやしないかと、レオンハルト様は心配だったらしい。
先日に熱を出したせいもあってか、側近達も賛成してくれたので、社交シーズン終了を待たずして、私達はプレリエ領へと帰った。
私達が不在の間、領地は特に大きな事件もなく平穏だったらしい。
変わらず元気な姿で出迎えてくれた人達を見て、安堵する。過ごした年数は王都の方がずっと長いけれど、私にとっての帰る場所はとっくにプレリエ領になっていたようだ。
それから二週間ほどは、細かな報告や引継ぎ、雑務の処理に追われているうちに経過していった。
レオンハルト様や側近等は何かにつけて私を休ませようとしたが、適度に働く分には問題なく、寧ろ気分転換になると気付いてからは好きにさせてくれている。
外出したいと言った時もレオンハルト様の付き添いを条件に、アッサリと許可してくれた。
目的地は貴族御用達の店が立ち並ぶ区画の先。馬車同士が余裕で擦れ違える道幅の広い大通りを抜け、奥まった小道へと入る。
馬車が停まったのは、小さな店舗の前だった。古びた石造りの建物は商業区画にありながらも、装飾どころか看板一つ無く、空き家のように見えた。
レオンハルト様のエスコートで馬車から降りた私は、戸を強めにノックする。
「はい」
少し遅れて、中から男性の声が返ってきた。
「どちら様でしょう?」
高過ぎず、低過ぎず。柔らかなトーンの声が誰何する。
「ローゼマリーよ」
答えると、カシャンと解錠する音がした。すぐに扉が開いて、細身の男性が姿を現す。
年の頃は二十代半ばくらい。癖の無い薄墨色の髪を腰の辺りまで伸ばし、三つ編みにしている。身に纏う黒い服はオステン国の民族衣装だが、以前会った第三王子が着ていたものとは形が少し違う。前世でいうところの、カンフースーツに似ている。
「いらっしゃいませ」
彼はニッコリと営業スマイルを浮かべた。
吊り上がり気味の細い目や、掴み処の無い飄々とした性質のせいか、キツネのような印象を受ける彼の名は、ヒイラギ。オステン国からやってきた商人だ。
「無事のお帰り、お待ちしておりました」
「ありがとう。皆も変わりない?」
「お蔭様で」
「アヤメさんは……」
ヒイラギさんと同郷の少女の名を出した途端、彼の表情がやや崩れる。
「作業中かしら?」
「ええ、まぁ」
歯切れの悪い返事に、何となく事態を察した。
「休みはちゃんと取っている?」
「言ってはいますが、聞いてくれません」
困り顔で溜息を吐き出すヒイラギさんに、私も眉を下げた。
「職人の作業を邪魔するのは気が引けるけれど、ちょっと声を掛けさせてもらうわね」
「お願い致します」
「オレはここで彼と待っていますね」
奥へ進もうとする私に、レオンハルト様が声を掛ける。
「そうね。その方がいいと思うわ」
アヤメさんは人見知りな上に、男性が苦手だ。
幼馴染であるヒイラギさんだけは例外だが、他の男性が傍にいると萎縮してしまう。
一番端の部屋の前に立って、扉をノックしようとしたが止めた。音を立てないようにそっと扉を引くと、甘いような渋いような不思議なにおいが鼻孔を掠めた。
室内には、小柄な少女が一人。
机に向かう彼女は作業に集中しており、こちらには全く気付いた様子も無い。彼女の視線も意識も、己の作品にのみ注がれていた。
真剣な横顔を見守りながら、暫し待つ。
ふ、と彼女が息を零したタイミングで、扉を叩く。華奢な肩が軽く跳ねた。
「!」
真っ直ぐな緑の黒髪を後ろで一つに束ねた少女は、私を見て目を丸くする。次いで、頬を赤く染めた。
「集中しているところ、ごめんなさい」
「こ、こちらこそ、気が付かなくて……申し訳ありません」
恥ずかしそうに俯く姿は小動物めいていて、さっきまでの怖いくらい真剣な顔は幻であったのかと疑いたくなる。
癖の無い長い黒髪に、同色の大きな瞳。時代劇に出てくるお姫様のように清楚で可憐な容姿だが、身に纏うのは小袖では無く、作務衣に似た作業着。
少女……アヤメさんは、オステン国から来た職人。私や家族が夜会でつけていた螺鈿細工は、彼女の作品だ。
「アヤメさんの作ったイヤリング、王都でとても好評だったわ」
「本当ですか……⁉」
アヤメさんの表情が、パッと明るくなる。
「その話もしたいから、少し休憩にしない?」
「……分かりました」
ちらりと手元を見てから、アヤメさんは頷く。
オッケーを貰えた事に安堵し、私はそっと胸を撫で下ろした。
アヤメさんは三度のご飯よりも螺鈿細工が好きなので、放っておくと寝食を忘れて作業に没頭する。
その集中力は素晴らしいと思うが、健康は損なわない程度にして頂きたい。
アヤメさんと共にヒイラギさんとレオンハルト様が待つ部屋へと戻ると、丁度、お茶の準備が整っていた。
アヤメさんはレオンハルト様を見るとビクリと体を強張らせたが、すぐに落ち着いたようだった。
私がレオンハルト様の隣に座り、アヤメさんは私の正面へと腰を下ろす。そしてアヤメさんの隣に、ヒイラギさんが座った。
茶菓子を摘まみながらの軽い談笑の最中も、アヤメさんはソワソワとしている様子。
ゆっくり休憩して欲しくて時間を延ばしていたけれど、気になって落ち着かないようなので、さっさと本題に入る事にした。
「夜会で螺鈿細工をお披露目したのだけれど、かなり評判が良かったわ」
「良かった……」
アヤメさんは、吐息を零すように呟く。
私が制作を依頼した時、アヤメさんはとても悩んでいた。
彼女自身は螺鈿細工を愛していても、異国の土地で認めて貰えるのか自信が無かったようだ。夜会で身に着けた私が、周りから奇異の目で見られやしないかと心配だったらしい。
「流行に敏感な御婦人方も注目してくださっていたし、既に問い合わせも来ているの。これからきっと、忙しくなるわ」
「はいっ」
生き生きとした表情で、アヤメさんは頷く。
「ああ、でも、あまり無茶はしないでね。体を壊しては元も子もないから」
「は、はい……」
「もっと言ってやってください。私が何度注意しても聞きやしないので」
「ひ、ひいらぎ……っ!」
「プレリエ公爵様にお会いしてから、アヤメは寝食を疎かにしてばかりです」
原因はお前にもあるのだと遠回しに言われているようで、居た堪れない。あははと乾いた笑いを零しながら、視線を外した。
アヤメさん曰く、私の容姿は創作意欲を掻き立てるらしい。
ユリウス様のお店に訪れていた私を偶然見かけた彼女は、それこそ何かに憑りつかれたかのような勢いで作品を作り続けたそうだ。
そしてその一つを私に献上してくれた事で、今のような交流が始まった。
アヤメさんの作品は、とても繊細で息を呑むほどに美しい。
モチーフは蝶や月、花に小鳥と多岐に渡るが、彼女曰く、どれも私をイメージして作っているとの事。
青が印象的な作品が多いので、もしかしたら瞳の色を気に入ってくれているのかもしれない。
「ローゼに魅了されているのは、オレだけでは無いようですね。誇らしくもありますが、少し複雑です」
「……レオン、やめて。恥ずかしい」
レオンハルト様の恥ずかしい言葉に赤面すると、ヒイラギからの視線が刺さる。「ご馳走様です」と言う彼の目は明らかに呆れており、以前に『他所でやれ』と言った父様のソレによく似ていた。




