転生公爵の所信。
あけましておめでとうございます。
皆様にとって素晴らしい一年となりますように、お祈り申し上げます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
意気込んで参加した夜会だったが、結局、最後までいる事は出来なかった。
休憩中に髪が乱れてしまい、侍女に直してもらうにしても、同じ髪型にするには時間が掛かる。かといって、髪型を変えるのも目立ちそうだ。
夫婦だから問題ないとはいえ、休憩室で何をしていたのかと、いらぬ邪推はされたくない。
父様がどういう心境で私の頭を撫でたのかは知らないが、早めに帰れという意図だと前向きに受け止めて、さっさと家に帰る事にした。
無理をした自覚はなかったが、翌日に少し熱が出てしまったので、それなりに疲れていたんだと思う。そう考えると、帰る切っ掛けをくれた父様に感謝だ。
熱はすぐに下がったものの、レオンハルト様に無理は禁物だと言い聞かされ、一週間ほど療養した。
更に三日が経過した日の午後。
私は日当たりのよいテラスで、のんびりとお茶をしている。
体調はすっかり元通り……どころか、元気が有り余っているくらいなのに、仕事はさせてもらえない。私の一日の業務と言えば、夜会で知り合った方々から届くお手紙にお返事を書く事くらい。
デスクワークくらいなら問題ないと思うのだが、レオンハルト様からも家人からも止められている。
妊娠中なのに夜会に出て、熱を出した私が全面的に悪いので逆らわない。
膨らみ始めたお腹をそっと撫でながら、『迂闊なお母さんでごめんね』と我が子に詫びた。
「もうそろそろ、領地に帰ろうかな」
カップを傾けながら、ぽつりと呟く。
社交シーズンはまだ終わってはいないが、王都に残っていても、どうせ私に出来る事はない。それなら出産に備えて、体調の良いうちにプレリエ領に移動しておいた方がいいだろう。
医療施設にはヴォルフさんを始めとして、優秀で頼もしい人達が揃っているので心配はないと思うが、あまり長く空けたくない。
それに夜会で宣伝した螺鈿細工についても問い合わせが来ているから、職人と打ち合わせしたいし。
「うん、帰ろう」
「それがいいよ」
「!?」
独り言に応えが返ってきた事に驚く。
侍女や護衛は少し離れた場所に控えてもらっているし、何より職務に忠実な彼等は、話しかけない限り喋らない。
声の方向へと視線を向けると、さっきまで誰もいなかったはずの場所にラーテが立っていた。私と目が合うと、彼は微笑む。
相変わらず、神出鬼没だ。モデルか俳優のように人目を引く容姿なのに、どうしてこうも存在感を無くせるのか。何度見ても不思議でならない。
マジマジと眺めていた私だったが、ふと、ある事に気付く。
ラーテは笑っている。とても笑っている。
知らない人が見たら、彼は大層、機嫌が良いのだなと思うだろう。
しかし、それなりに付き合いが長くなってきた私は、辛うじて彼の目が笑っていない事に気付いた。
ラーテは厄介な事に上機嫌な時だけでなく、不機嫌な時もよく笑うのだ。
「……な、何かあった?」
「ん? 何かって?」
ニコリと笑顔の凄味が増す。
その迫力に気圧されて、思わず少し身を引いた。
質問に質問で返すなと言いたいけれど言えない。
おかしい……私は一応、主人なはずなのに。
「ええっと、何も無いならいいのよ。うん」
引き攣った笑顔で当たり障りのない返事をすると、ラーテは笑顔を消す。テーブルを挟んで向かいの席に勝手に座り、頬杖をついて私を見た。
ジトリとした目付きは、さっきよりも分かり易く不機嫌をアピールしている。その顔が拗ねた子供みたいで、今度は怖くなかった。
「……ねぇ、今回は消していいかな?」
「……何を?」
きょとんと目を丸くする。
主語が無いので意味が分からない。会話の流れで察する事も出来ずに問い返すと、ラーテは更に目を眇めた。
恨みがましい目を向けられても、分からないものは分からない。
「前回は止められたから我慢したでしょう」
ナゾナゾを出題されている気分になった。
どうやら前にも似たような事があったけれど、私が止めたから我慢したらしい。そしてまた同じような事があったから、今回こそは消してもいいかと、そう聞いているようだ。
「目的語を言ってくれないと、判断しようがないわ」
「言ったらきっと駄目って言うよ」
「なら言わなくても駄目よ」
苦笑して答える。するとラーテは呆れもせず、怒りもせずに、フイと視線を逸らす。
返事をする前から既に、答えが分かっていたかのような反応だった。
「あんな老害、生かしておく価値なんてないのに」
「!?」
今日のラーテは随分と感情が分かり易いなって、微笑ましく思っていたのに。急に話題が物騒になって戦慄する。
「け、消すってそういう……!?」
今さっきまでの気安い会話に人命が掛かっていたのかと思うと、冷や汗が出る。
「だって、ああいう輩は何があっても改心はしない。サクッと消した方が、世の為人の為……そしてお嬢さんの為にもなる」
私の為になるとラーテが言うくらいだから、敵対関係にある人物。
私の事が気に食わない人は割といると思うけれど、直接、敵意を向けてくる人はそういない。分かり易かったのは、先日の夜会で会ったシュレッター公爵くらい。
「ちょこっと嫌味を言われただけよ?」
何てことないのだと示すと、ラーテは私を軽く睨む。
「旦那に愛人を斡旋されそうになったのに?」
見ていたのか、人伝に聞いたのか。
夜会での一幕は、ラーテにも筒抜けらしい。
「お嬢さんが寛容に許しても、あっちは一方的に敵視し続ける。貴方がどれだけ素晴らしい行いをしても、輝かしい功績を挙げても関係ない。『女だから見下していい』っていうしょうもない価値観で、貴方を貶め続ける」
確かにシュレッター公爵の価値観は、きっと、そう簡単には変わらない。
男尊女卑の考えが当たり前な人にとって、女だてらに当主となった私は、何をやっても目障りな存在だろう。
「いや、それだけじゃ済まない。お嬢さんの名声が高まれば高まるほど、勝手に恨みを募らせて、何を仕出かすか……」
俯いたラーテの目から、光が消える。
テーブルの上に置いていた彼の手に力が籠り、ギチと天板に爪が食い込む嫌な音がした。
「そうなる前に」
低い呟きを掻き消すように、パァンと派手な音が鳴った。
私がラーテの眼前に両手を突き出し、叩いた音。いわゆる、猫だまし。
ラーテの暗く淀みかけていた目が、真ん丸になる。
それこそ、驚かされた猫ちゃんみたいに。
「ラーテ」
「……」
「心配してくれて、ありがとう」
「!」
ラーテは暗殺者として、国の暗部を見つめ続けてきた人だ。金と権力の強大さも、正義の脆さも誰よりも知っている。
そんな彼からすると、綺麗事しか言わないひよっこ領主の私は、さぞ危なっかしく見える事だろう。
「でも、そんな事はしなくていいの」
「……お嬢さん、オレは」
「今の貴方は、私の密偵でしょう」
ラーテは、さっきよりも大きく目を見開く。
その瞳を正面からじっと見据えた。
貴方はもう暗殺者ではない。だから。
「そんなの、業務外だわ」
からりと笑って告げる。
暫く固まっていたラーテは、ゆっくりと氷が解けるように表情を崩す。
「……何ソレ」
泣き笑うような顔をしたラーテに、ほっと安堵した。
出会った当初は胡散臭い笑顔しか見せてくれなかったのに、随分と感情が豊かになったものだと思う。
私達を脅かそうとする敵に対しては容赦無しだが、それくらい今の環境が彼にとって心地良いものだとしたら、嬉しくもある。
「強くならないと」
ぽつりと零すと、不思議そうな目を向けられた。
今の私には、守らなければならないものが沢山ある。
家族や友人、側近や家人。医療施設の人達や領民も、皆が幸せで暮らせるように。
そして、私を大切にしてくれる人達に手を汚させない為にも。
私は強くならなくてはいけない。
「まずは経済力かな」
決意も新たに、ぐっと拳を握り締めた。




