第一王子の憤り。
※ネーベル王国王太子、クリストフ視点となります。
薄っぺらな笑顔を貼り付けて、ご令嬢方と談笑し始めてから、二十分。普段、無表情で通している私の表情筋は、早くも悲鳴を上げている。口の端が引き攣りそうだ。
日頃から愛想良く振る舞い、どんな相手でも笑顔で対応出来る弟を尊敬した。
「王太子殿下も、そう思われますか?」
唐突に話を振られて、ビクリと体が跳ねそうになる。どうにか堪えたが、心臓は早鐘を打っていた。
まずい。何の事かさっぱり分からない。呆けていたせいで、全く話を聞いていなかった。かといって、正直に聞いていなかったと答えるのも角が立つだろう。
困り果てた私の脳裏に過ったのは、世渡り上手な弟の助言だった。
以前にヨハンが言っていたように、少し困ったように微笑む。
すると話を振ってきたご令嬢は、頬を赤らめてから俯いた。
「申し訳ございません。品の無い事を申しました」
「私達も……」
「そうですわね。殿下は外見で女性を判断したりなさらないでしょう」
他のご令嬢方も同調するように、口々に話し始める。
彼女達の言葉を拾い集めて総合的に判断すると、どうやら異性の外見に関する好みを聞かれていたらしい。
「やはり、王太子殿下は他の殿方とは違いますのね」
「ええ、本当に」
ご令嬢方は頬を染めたまま、嬉しそうに微笑み合う。
その様子を眺めながら、ヨハンの助言の的確さを噛み締めていた。
彼曰く、『困った時は何も言わずに笑え。そうすれば、相手が良いように解釈してくれるから』らしい。
ただ、今回の場合は良心が痛む。
相手の話を聞いていなかった私に非があるというのに、ご令嬢方に好意的な視線を向けられていて、酷く居心地が悪い。
熱い視線から逃れるように視線を逸らすと、丁度、大広間へと入ってきた人物の姿を見つけた。
私以上に無表情で愛想の無い……しかし、誰よりも存在感のある男を見て、鎮まりかけていた怒りが再燃する。
悠然とした足取りで歩く男に苛立ちながら見つめていると、視線がかち合う。相手は特に驚いた様子もなく、尊大な態度のまま目を眇める。ふん、と鼻で笑われたように感じたのは被害妄想だろうか。
その後、私から興味を失ったように視線は逸らされる。
取り澄ましたその横顔を殴ってやりたいと、心の底から思った。
「失礼。用事を思い出しましたので、これで」
「えっ」
「そんな……」
ご令嬢方は引き留めようとしたが、私の視線の先にいる国王の存在に気付いて納得したらしい。
消沈したご令嬢方の間を抜けて、国王のいる場所へと真っ直ぐ向かう。
庭園に面したバルコニーに出た国王は、飲み物を受け取るところだった。
黒みのある赤い液体をグラスに注ぎ終えた侍従は、私の冷えた眼差しに一瞬怯んだ様子だったが、すぐに表情を取り繕う。
国王がひらりと手を振ると、頭を下げてから去って行った。
「何用だ。休憩の邪魔をするのだから、それなりの理由なんだろうな?」
休憩中だと見せつけるように、ワイングラスを軽く揺らす。
「……それは失礼致しました。私とヨハンを押し退けて捥ぎ取った休憩時間は、とっくに終わったものかと」
たぶん私の額には、青筋が浮かんでいる事だろう。あまりにも腹が立ち過ぎて、服で隠れる部分なら殴っても許されるのではと、物騒な考えが頭を過る。
そもそも休憩を取れたのは……否、ローゼに会いに行けたのは、私かヨハンだったはずだ。その権利を横から掠め取ったくせに何を堂々と。
盗人猛々しいとは、正にこの事。
ローゼと会える機会は元々多く無いが、今後はもっと少なくなる。近いうちにローゼは領地に帰ってしまうだろうし、出産後も暫くは領地を出ないだろう。
そして王太子である私は、簡単には王都を離れられない。
今のうちに出来る限りローゼとの時間を大切にしたいと思ったから、可愛い弟であるヨハンにも譲らなかった。
もちろんヨハンも譲らなかったので、最も簡単に勝敗がつくジャンケンを採用した。
柔軟に見えて意外と頑固なヨハンは、グーを出すのではないかと予想した結果、私達は相子になる……はずだった。
まさか四十路となった父親が、チョキで割って入るなど誰が予想出来ようか。
呆気に取られた私とヨハンに凝視されても、国王は欠片も表情を崩さない。いつも通りの無表情のまま、『私の勝ちだな』と言ってのけた。
当然、我に返った私達は納得しなかった。
真剣勝負に横入りするなとか、後出しは不正だとか、今思い出しても顔から火が出そうな、程度の低い抗議をした。幼子の喧嘩かと呆れるが、成人男性二人でジャンケンをしている時点で、既に手遅れなのかもしれない。
私達の不平を黙って聞いていた国王は、一通り言い終わるのを待った。
腕を組み、思案するように、わざとらしく視線を左上に逃がす。その後、ゆっくりと瞬き一つ。
こちらに視線が戻ってきたかと思うと、国王は僅かに口角を上げた。
笑ったと判断する前に、ゾワリと背筋に冷たいものが走る。
『では、前回の貸しを返してもらう事にするか』
絶句する私達を見て国王は、楽しげに目を細める。
貸しと言われて思い付いたのは、以前、義母上とヨハンと私の三人でプレリエ公爵家のタウンハウスを訪ねた時の事。
目の前の男が、わざわざ送ってきた手紙に書かれていた一言がソレだった。
その日の夕方に城に帰ると、執務机の上に書類が山積みになっていた。てっきりその仕事こそが対価に相当するのかと粛々と片付けたのだが、考えてみれば、そう言われてはいない。
だからと言って、今、ここで行使するか?
『それとも、お前の言うように年功序列だと主張するべきか?』
分かり易く、当て擦られた。
確かにヨハン相手に『年功序列』だなどと、脅す言葉を使った私に非がある。しかし、責める権利があるのはヨハンであって、国王ではない。
『どちらでも好きな方を選べ』
どちらを選んだところで、結果は変わらない。ギリギリと歯噛みしながらも『前者で』と答えたのは、二度とこんな屈辱を味わいたくなかったからだ。
貸しをそのままにしておいたら、今度はどんな無理難題を押し付けられるか分かったものではない。
そんな馬鹿馬鹿しい遣り取りを経て、国王はローゼの元へと向かったはずだった。
てっきり一時間は戻らないと思っていたが、まだ三十分程度しか経っていない。急ぎの用事でもあったのならば兎も角、当人は未だ休憩中だと主張している。おかしな話だ。
「まだ休憩中ならば、もう少しローゼに付いていてあげれば宜しかったのでは?」
ローゼに嫌がられて退散してきたのではないかと、意地の悪い憶測を立てる。
そんな私の考えに気付いているのか、いないのか。
国王はワイングラスを優雅に傾けた。無駄に絵になるが、どうせ酒を飲んでも酔わない体質なのだから、水でも飲んでおけと思う。
最高級のフルボディが勿体ない。
味わっている様子もなく、それこそ水の如く半分ほど嚥下した国王は、呆れたような目を私へと向ける。
「身重の娘に長々と接待をさせろと? 少しは常識を弁えろ」
家族で一番の非常識人に常識を説かれ、ショックで死にたくなった。
「それに母親なら兎も角、身内の男など何人付いていたところで役に立たん」
「!」
悔しいが言い返せない。国王もだが、私が傍にいたところで、ローゼに何もしてあげられないだろう。寧ろ、気を遣わせて、疲れさせてしまう恐れすらある。
もしや私やヨハンの邪魔をしたのは、それが理由?
いや、そんな訳がない。そんな細やかな気遣いが出来る男では無かったはず。
「お前達も、あまり構いすぎるな」
「ですが、今回の夜会で嫌な思いもしたでしょうし。……心配です」
大広間から出ていく直前、ローゼはシュレッター公爵に話しかけられていたようだった。女性を軽視する発言が多い人物だ。ローゼが女公爵の地位を賜った事についても、何かしら思うところがあるようだった。
嫌味の一つや二つ、言われた事だろう。
しかし国王は、馬鹿馬鹿しいと示すように鼻を鳴らした。
「それほど柔ではあるまい」
ローゼは芯が強い。しかし優しいあの子が、あからさまな悪意に慣れているとも思えなかった。
「仮に気に病んでいたとしても、アレの夫がどうにかする。お前達の出番は無い」
確かにローゼが傷付いていたら、レオンハルトが放ってはおかないだろう。それに、辛い思いをしているのならば尚更、兄よりも最愛の夫が傍にいる方が良いに決まっている。
私よりも国王の方がローゼの事を理解しているのではないかと、嫌な考えが頭を過る。しかしソレを、頭を振って掻き消した。




