転生公爵の休憩。(2)
父様の事は未だに苦手ではあるけれど、嫌いではない。
子供が生まれた時に祖父と母親のぎこちない関係を見せるのもどうかと思うし、少しずつ歩み寄って行こう。
そう決意していると、丁度、父様と目が合った。
いつも負けてたまるかという意気込みで対峙していたせいか、反射的に睨みそうになるのをぐっと堪えて微笑んだ。
愛想良く、愛想良く、と心の中で繰り返しながら笑う。
しかし父様は、不可解なものでも見たかのように軽く眉を顰める。次いで、いつもの無表情に戻った。
釣られて私の表情筋も、スンと役目を放棄する。
父様に愛想笑いとか、私はなんて意味の無い事をしたのだろう。諺にしたいくらい、無意味。たぶん豚に真珠を渡した方が、まだ価値を見出してくれる。
「ところで」
今さっきまでの決意を早々に投げだし、不貞腐れてそっぽを向いていた私は、父様の声に視線を戻す。
「夜会はどうだ?」
率直に言っていいのなら、『疲れた』の一言に尽きる。
だが父様相手に素直に心境を明かしても、鼻で笑われるのがオチだろう。言葉を探しあぐねていると、返事も待たずに父様は言葉を続けた。
「面倒な者に絡まれていたようだったが」
どうやら、シュレッター公爵と話していた場面を見ていたらしい。
「良い経験を積ませていただきました」
苦笑して返すと、父様の眉間に再び皺が寄る。
「……まぁ、そうだな。アレは悪い意味で裏表が無い。貪欲で醜悪だが、目先のもので頭がいっぱいになってしまう小者だ。社交界の毒に慣れたい初心者にはうってつけだろう」
シュレッター公爵は分かり易く、私に悪意をぶつけてきた。どう足掻いても仲良くなれそうな相手では無いが、対処はしやすい。
対して、善人を装って近付いてくる相手は厄介だ。言葉一つ、対応一つを誤れば、即座に足をすくわれる。
そう考えると父様の言う通り、シュレッター公爵は初心者に最適な相手だったと思う。
小者扱いされた公爵の顔を思い出していると、芋づる式に、隣にいた小動物めいた女性……サンドラ嬢の顔も脳裏に浮かぶ。
「そういえば、シュレッター公爵がエスコートなさっていた女性……バールケ伯爵家のご令嬢の事はご存じですか?」
「ああ。お前の夫に執心しているようだな」
イラっとした。
いくらこちらから話題を振ったとはいえ、私が一番触れて欲しくない点を真っ先にあげるとは。
「なんだ、嫉妬か?」
「……」
「お前も普通の女のような一面があるのだな」
「昔も今も、私は普通の女ですが」
何故か感心したように言われ、不機嫌な顔のまま答える。
最愛の夫が若く美しい女性に好かれていると知り、それを『誇らしい』と言えるほど達観していない。
普通にヤキモチを焼くよ。当たり前でしょうが。
ただ、それを表に出さないよう気を付けているだけ。あんまり嫉妬深過ぎても、引かれちゃうかもしれないし。
それなのに父様は、人の気も知らずに。
ギロリと睨むと、父様は私の視線を隣へと誘導した。訝しみつつも隣を向くと、真っ赤な顔をしたレオンハルト様と目が合う。
「!?」
「……っ」
目を丸くした私を見て、レオンハルト様は顔を逸らす。
視線を戻さないまま彼は、取り繕うように一つ咳払いをした。
「どうか私の事はお気になさらず」
無理です。滅茶苦茶気になります。
レオンハルト様は掌で口元を覆い、赤く染まった顔を隠そうとしている。
彼の表情からは照れや焦りは感じても、悪い感情は窺えない。私の希望的観測かもしれないけれど、少し、嬉しそうな気さえした。
「……あまり見ないでください」
じっと熱心に見つめていると、レオンハルト様がボソボソと呟く。
掻き消えそうな小さな声と、明らかに恥ずかしそうな表情に胸を撃ち抜かれた。
うちの旦那様が、こんなにも可愛い……!!
「他所でやれ」
キュンキュンと胸を高鳴らせていたら、ウンザリした声をぶつけられる。
そういえば、父様が同席していた事をすっかり忘れていた。
流石の私も、親の前で堂々とイチャつけるほど心臓が強く出来ていない。急速に顔に熱が集まり、変な汗が出てきた。
ゴホン、ゴホンと下手な咳を繰り返してから、話を変える。
「えっと、バールケ伯爵令嬢のお話ですが」
「ああ。一応は覚えていたんだな」
呆れ声で相槌を打たれ、居た堪れない。
ええい、うっさいわ。
「サンドラ嬢には、婚約者はいらっしゃらないのですか?」
私のヤキモチは一先ず、置いておくとして。
サンドラ嬢はバールケ家の姓を名乗ったので、未婚であるはず。
もし彼女に婚約者がいるとしたら、レオンハルト様へのあの態度は少々問題ありだと思うが、まだ決まっていないのだとしたら尚更。
好意も顕わに既婚者にダンスを求めれば、愛人志望なのかと勘繰られかねない。
縁談が遠退く恐れがあるのだから保護者が真っ先に止めるべきなのに、エスコートしていた伯父のシュレッター公爵は逆に勧めてきた。
その不自然さが、ずっと頭の隅に引っ掛かっている。
「いない」
組んだ長い足の上で、父様は手を組む。
「いや、『いた』が正しいか」
「……解消になったのですか?」
過去形である事の意味を考えて呟くと、父様は首肯した。
侯爵家の嫡男とサンドラ嬢との婚約は、数か月前に破談になったそうだ。表向きは円満な解消だが、侯爵家側がお金を積んで強引に関係を切ったらしい。
「ああ、それで……」
周辺諸国よりはマシになってきたとはいえ、我が国でもまだ男尊女卑の風潮は残っている。どちらに責任があったとしても、婚約解消で傷を負うのは女性の方。疵物と呼ばれ、まともな縁談が望めなくなる可能性は、哀しいけれど高い。
サンドラ嬢がレオンハルト様に向けた、キラキラと輝く瞳を思い出す。
デビュー間もない初々しい少女の憧れだと思っていたけれど、もしかしたら、もっと切実な想いもあったのかもしれない。
「本当に、お前は困った娘だな」
「え?」
「ざまぁみろと笑い飛ばせないなら、忘れろ。余計なものは背負い込むな」
父様は目を伏せ、短く息を吐き出した。
叱るような口調なのに、向けられた瞳は何故か優しい。
「お前は、お前自身の体と子供の事だけ考えていろ」
反感は湧かなかった。
たぶん、父様の言う事は正しい。
私はほんの僅かな情報だけを拾い集めて、勝手にサンドラ嬢の境遇を想像して、これまた勝手に同情している。
そんな事をしたって、何の意味もない。
仮に私の想像が全て事実であっても、レオンハルト様の隣を譲るなんて絶対に出来ないのだから。
「はい」
私が頷くと、父様も頷き返す。
こちらに手を伸ばしたかと思うと、無遠慮に私の頭をワシワシと撫でた。
「!?」
「私はそろそろ戻る」
またな、と言って父様は席を立つ。
私が呆気に取られている間に、悠々とした足取りで部屋を出て行った。




