転生王女の反省。
「それで、見せて頂いたのですか?」
「それが……まだ、です」
馬車の中、向かい合ったレオンハルト様からの問いに、私は俯いた。
父様は忙し過ぎて、日中は勿論、夜も捕まえられない。寝る前に無理を言って訪れるべきかとも思ったが、中々勇気が出なかった。
あの絶対零度の眼差しで、常識を考えろとか言われたら、泣く。いや嘘だ。たぶんブチ切れる。
「一日中忙しい方ですので、お仕事の邪魔をしてしまうと思うと、勇気が出なくて。でも、なるべく早い方が良いですよね。数日中にでも、お時間をつくって頂く事にします」
言い訳がましい言葉が、口をついて出た。
呆れただろうかと窺うように視線を上げると、何故かレオンハルト様は難しい顔をしている。呆れているというよりは、何か思い悩んでいるような。
「……どうかいたしましたか?」
控えめな声をかける。
すると細められた漆黒の瞳が、躊躇うように私を映した。
「国王陛下に会われた事を、クリストフ殿下には?」
「言っておりません」
きっぱりと言い切った私に、レオンハルト様の表情は、更に難しいものとなった。
眉間にくっきりと刻まれたシワを見て、私は焦る。なにか、不味い事をしでかしてしまっただろうか。
いくら滅多に会わないとはいえ、実の父と遭遇した事など、わざわざ報告するような内容でもないと思うんだけど、違うの?
沈黙していたレオンハルト様は、オロオロと取り乱し始めた私に気付き、安心させるように表情を緩めた。
「あ、あの……」
「ああ、違うのです。貴方を責めている訳ではありません。どうか、そんな顔をなさらないで下さい」
相当情けない顔をしていたんだろう。
子供をあやすように、レオンハルト様は私を覗き込んで笑った。子ども扱いは、嬉しいものではないけれど、今は安堵の方が勝る。
良かった……。怒らせたんじゃなくて。
「……王女殿下」
「はい」
「自分に打ち明けて下さったお話を、クリストフ殿下にお伝えするつもりはございませんか?」
「……え?」
予想外の言葉をかけられて、私は目を丸くした。
脳の処理が追いつかず、数度瞬く。レオンハルト様に打ち明けた……つまり未来を知っているって事を、伝える?兄様に?
それは、
「無理です」
するり、と言葉は滑り落ちた。
「兄様にお伝えする事は、出来ません。それ位なら、父にした方がまだマシです」
そうキッパリと告げれば、レオンハルト様の鋭い目は、私と同じように見開かれた。
ぽかんと開いた口に、まあるい瞳。レアな表情を堪能したいところだが、流石に今は場違い過ぎる。
一瞬見惚れたのを咳払いで誤魔化して、私は話を続けた。
「現実味の無い話ですが、きっと兄様は信じて下さいます。それに、話しておいた方が、今後の活動にも有利だとも思います」
「では、何故」
「クリス兄様は、私の兄であるのと同時に、次期王位継承者です。当たるかも分からない情報に行動を左右されるような事があってはいけません。私の見た未来は既に変わり始めていて、何一つ確かな物など無いのですから」
「王女殿下……」
「というのが、建前です」
真面目な顔で尤もらしい理由を語った後、私は表情も変えぬまま付け加えた。
さっきからレオンハルト様の目は、細くなったり丸くなったり、忙しい。まぁ、私のせいなんだけど。
「これから先、私の見た未来が当たってしまったとしたら、兄様はいつか国の為に私を利用しなくてはならなくなるでしょう。兄としてではなく、王子として」
「…………」
レオンハルト様は、私の言葉を否定しなかった。
厳しい表情で、ただ黙する。その場しのぎの慰めを口にしないところが、レオンハルト様らしい。
真実が厳しいものであっても、決して優しい嘘でぼかさない彼の誠実さを、愛しいと思った。
気持ちのままに、表情を緩める。
「でもそれは決して、冷たいからではありません。寧ろ優しい兄様は、きっと悩んで苦しみます。兄様は私とヨハンを、とても大切にして下さっておりますから」
王城が襲撃された日の夜、兄は私を利用する事も出来たんだと思う。
妹を利用するのではなく、王女に役目を果たさせると割り切ればいいし、私自身も役に立ちたいと願っていたんだから、負い目を感じる必要も無い。
それなのにクリス兄様は、兄として妹である私を護ってくれた。甘えろと、抱き締めてくれた。
甘えられる人がいなかったのは、兄様もきっと同じだった筈なのに。
そんな人に、好きなだけ利用しろなんて言えるものか。
「ですから私の本音は、とても単純な、ただの我儘」
私はまだ、ただの子供でいよう。
甘ったれの妹のままで在ろう。
兄様が私を『使う』のではなくて、信頼し『任せて』くれるまで。
「私は、兄に利用されたくもないし、兄に私を利用させたくもないんです」
「…………」
レオンハルト様は、静かな眼差しで私を見つめていた。
馬車内に沈黙が落ちる。ガラガラと鳴る車輪の音だけが響くが、決して気まずくは無かった。
どれ位の時間が経過しただろうか。
レオンハルト様は短く息を吐き出し、笑みを浮かべた。
とんでもなく自己中な理由に、彼は呆れるでもなく、ただ優しく目を細める。
「分かりました。貴方がそう仰るのなら、この話はここまでに致しましょう」
「レオン様……ありがとうございます」
「いいえ」
お礼を言われるような事ではありませんよ、と彼は苦笑した。
次いで表情を引き締め、頭を垂れる。
「臣下の身でありながら、出過ぎた事を申しました。お許しください」
何でも頷くのではなく、自分の意見をはっきりと告げた上での謝罪。
こういう所も、とても好きだと思う。……思うんだけど、突き放されたようで寂しい。
王女じゃなかったら、もっと砕けた感じに接して貰えたんだろうか、と思う。
でもそうしたら、こうして守ってもらう事も出来無かった。
「王女殿下?如何なされましたか?」
「…………」
思えば、あの対応は、神子姫が神子姫だったからなんだ。
甘やかすだけじゃなく、叱られたり、時に励まされたりして。艶のある低音で、名前を呼んでもらえた。大きな手で、頭を撫でてもらえた。
……いいな。狡いな。
私だって、あの大きな手で撫でてもらいたい。馬鹿だなお前、なんて軽口を叩いて欲しい。軽く小突かれて、しょうがない奴だって、我儘聞いて欲しい。
「ごめんなさい。何でもありません」
でも、全部無理。私が王女である限り、叶いっこない夢。
無い物ねだりの我儘なんだ。
哀しいけれど、それが現実。
どうしようもない事で、またレオンハルト様を困らせてはいけない。
そう思って、誤魔化すように笑った……のだが。
「王女殿下」
「え……は、はい」
「何でもないようには、全く見えませんよ」
レオンハルト様は、全く誤魔化されてくれなかった。
それどころか……少し怒っているように見えるのは、気のせい?
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