転生公爵の社交。(2)
ふぅ、と小さく息を零す。
緊張は大分解れてきたものの、代わりに少しばかりの疲労感があった。
高位貴族との会話は、些細な事でも足を引っ張られかねないので気が抜けない。相槌一つすら、考えながら返さなければならない会話は、正直言ってしんどい。
かといって夜会は終わりが近いどころか、今が一番盛り上がっている時間帯だ。頃合いを見て引き上げたいけれど、まだ流石に早過ぎる。
「ローゼ」
呼ばれて顔を上げると、レオンハルト様からグラスを渡された。
細身のフルートグラスの中身は透明で、ほのかに柑橘系の匂いが香る。おそらくレモン水。
会場を回る侍従等の持つ盆にはワイン等の酒類しか載っていなかったので、たぶん、わざわざ注文してくれたんだろう。
「ありがとう」
「疲れたでしょう? 少し寄り掛かって」
私にグラスを渡すと、レオンハルト様は体を支えてくれた。私の腰に回した腕には厭らしさが全く無くて、穏やかな労りだけを感じる。
改めて思うけれど、本当になんでこの人、攻略対象じゃなかったんだろう。
失礼な話だけれど、攻略対象だったヨハンやクラウスよりも女性の扱いを心得ているのに。
痒い所に手が届くというか、家でも肌寒いと感じる前にショールを巻き付けられるし、月の物で体調を崩している時は、鬱陶しくない程度の距離感で何かと気遣ってくれる。
その上でこのお顔なんだから、そりゃあモテるよね。
「どうしました?」
じっと私が見つめている事に気付いたレオンハルト様は、首を傾げる。
「幸運を噛み締めていただけ」
答えになっていない答えを返すと、彼は不思議そうな顔をしたけれど、追及はされなかった。
「仲睦まじい事ですな」
レモン水で喉を潤しながら休憩をしていると、ふいに声が掛かる。
視線を向けると男性が近付いてきた。年齢は五十代半ばくらい。体格は中肉中背だが、やや出っ張ったお腹が、品の良いウエストコートのシルエットを崩している。
後ろに撫でつけた髪は白髪交じりの茶色。吊り上がり気味の目は薄い青。年相応の皺やたるみはあるものの、顔立ちは整っていた。
「お久しぶりです、殿下。……ああ、失礼。プレリエ公爵とお呼びすべきでした。私の事は覚えておいでかな」
「もちろんですわ。シュレッター公爵閣下」
支えてくれていたレオンハルト様の腕から抜け出し、挨拶をする。
もちろんと笑顔で言い切ったが、内心では間違っていたらどうしようかとハラハラしていた。
シュレッター公爵は父様の従兄弟……つまり私とも親戚関係にあたるが、まともに交流した記憶は無い。式典で数回、顔を合わせた程度の仲だ。
「あの小さく可愛らしかった王女様が公爵家の当主になるとは、未だに信じられません。私が年を取るはずだ」
「まだ至らぬ点も多く、学ぶ事ばかりです」
特に好かれてもいないし嫌われてもいないと思っていたが、ちょっと認識を改めた方がいいかもしれない。
値踏みするような目で見られているし、さっきから遠回しに『公爵とは認めていない』と言われている気がするのは、被害妄想だろうか。
良くも悪くも保守的な方だと聞いているので、私個人というよりは、女性で公爵となった事に思うところがあるのだろう。
たぶん王女時代は好き嫌い以前に、興味を持たれていなかったんだろうな。
「またまた、ご謙遜を。ご活躍は聞き及んでおりますよ。プレリエ領は目覚ましい発展を遂げているようですし、医療施設の運営もかなり順調だとか」
「閣下にお褒めいただき、光栄です。ですが私一人の力ではございません。優秀な夫の支えがあってこそですわ」
余所行き用の笑顔を貼り付けて答えると、シュレッター公爵の視線がレオンハルト様へと移る。
「おぉ、オルセイン卿……、では無くプレリエ卿でしたか」
「レオンハルトとお呼びください」
「では、レオンハルト殿。こうして話すのは数年ぶりだったか」
レオンハルト様は「ご無沙汰しております」と答えながら、私の隣に立つ。
「確かに彼は、とても優秀な男だ。剣の腕は勿論の事、頭もとても切れる。その上で、この男ぶりだ。貴方一人を支えるくらい、訳ないでしょう」
手放しで誉めるシュレッター公爵に対し、レオンハルト様は少しも嬉しそうでは無かった。笑顔なのに目が笑っていない。
シュレッター公爵の言葉の端々に、私への侮りを感じるせいだろうか。
久しぶりに不機嫌なレオンハルト様を見た気がする。
口を開こうとした彼の手を、スカートの影に隠れて握った。チラリと私の方を見たレオンハルト様に微笑んで、『気にしていないよ』と意思表示をする。
実際に、全く気にならない。
大好きな人が私の代わりに怒ってくれているんだから、嫌味の一つや二つ、笑顔で躱せるというものだ。それにこの程度の皮肉、社交界では挨拶と一緒。
「今日も姪から、貴方に紹介してくれと強請られましてな。身内を誉めるのは気恥ずかしいですが、中々に美しい娘です。もちろん、プレリエ公爵には及びませんが」
そう言いながら、シュレッター公爵は周囲を見回す。
軽く手招くと、年若い女性が近付いて来た。
十六、七才くらいの少女で、シュレッター公爵と同じ色彩ながらも顔立ちは似ていない。凛々しい顔付きの公爵に対し、彼女は垂れ目がちの大きな目や下がり気味の眉が、庇護欲を掻き立てる。
小動物を連想させる可愛らしい少女は、レオンハルト様を見て微笑んだ。
「お初にお目にかかります、プレリエ公爵様。レオンハルト様。バールケ伯爵が次女、サンドラと申します」
挨拶の最中も、サンドラ嬢の視線はレオンハルト様に釘付けだ。
憧れなのか、本気なのかは分からないけれど、明らかに熱の籠った眼差しにドキッとする。
「はじめまして、サンドラ嬢」
笑顔で対応しながらも、己の心の狭さに愕然としていた。
レオンハルト様がモテる方なのは分かっていたはずなのに、一々、ヤキモチを焼いてしまう自分にガッカリした。
「私、お二人に憧れておりましたの。今、こうしてお話し出来ている事が本当に夢のようで……胸がいっぱいで息が出来なくなりそうです」
頬を染めて、胸をそっと押さえる仕草のなんと可憐な事か。
「社交界デビューを果たしたばかりだというのに、同年代の男に目もくれず、困ったものです。レオンハルト殿、宜しければ思い出作りに一曲、踊ってやっていただけませんかな?」
シュレッター公爵の言葉を聞いて、サンドラ嬢の目が輝く。
咄嗟に嫌だと思ってしまったけれど、こんな言い方をされてしまえば断る事も難しい。一曲だけだからと自分に言い聞かせ、レオンハルト様の手を離そうとした。
しかし彼は、それを許さない。ぐっと力を込められた事に驚き、軽く揺らいだところを抱き留められる。
「ローゼ、気分が悪い?」
「え?」
戸惑う私の腰をがっちりと掴み、レオンハルト様は気遣うように覗き込む。
「場所を移して、少し休みましょうか」
「え、でも」
「貴方は今、一人の体ではないのだから、無理はしないで」
サンドラ嬢はどうするのだろうかと視線を向けようとしたら、頬に添えられた手に阻止された。
「シュレッター公爵閣下。申し訳ございませんが、妻を休ませたいので失礼致します」
「あ、ああ……」
妊娠中で且つ具合の悪い妻を放って、別の女性をエスコートしろとは流石に言えなかったのだろう。顔を引きつらせながらも、シュレッター公爵は頷いた。
サンドラ嬢とシュレッター公爵の視線を背中に感じながら、その場を後にする。
休憩室を目指しながら、レオンハルト様の横顔を盗み見る。
彼は、さっきまでとはまた別種の不機嫌そうな表情をしていた。
「れ、レオン……?」
「……何があっても今日は、貴方の傍を離れないと言ったはずです」
「!」
離れずに隣に置いてくださいね、という言葉を思い出す。
夜会に参加すると決めた私に、レオンハルト様が出した条件がソレだった。
不安なんて感じるのも馬鹿馬鹿しくなるくらい、私だけを優先してくれる彼に胸がいっぱいになる。
「ごめんなさい」
「……オレも、大人げなくてごめんなさい」
ばつが悪そうに眉を下げて、レオンハルト様は呟いた。
二人で顔を見合わせて、笑い合う。
さっきまで心に溜まっていたモヤモヤは、いつの間にか消えていた。




