転生公爵の社交。
うん、吐きそう。
好奇の視線に晒されながら、私は心の中でそう呟いた。
いい加減、公爵家の当主としてしっかりしなければならないと覚悟を決めてやってきた、王家主催の夜会。
レオンハルト様にエスコートされながら会場に踏み込んだ途端、四方から強い視線が突き刺さった。
自惚れでなければ、会場中の視線が私達に集まっている気がする。
母様から伝授されたアルカイックスマイルを貼り付けて、どうにか保ってはいるものの、目立つ事が苦手な私にとって、この状況は苦行でしかない。
王女として人前に立つ機会も割と多かったけれど、その時の経験なんてまるで役に立たなかった。
民衆の視線と貴族の視線とはこうも違うものか。
民の視線にも好奇は混ざっているが、あまり悪意は感じない。物珍しいものを見ているような感覚……動物園のパンダを見に来た人の心境に近いのかもしれない。
一方、貴族からの視線は値踏みに等しい。
全身を余すところなく観察され、粗探しをされているような。何か一つでも失態を演じたら、即ゲームオーバーになりそうな怖さがある。
虚勢を張ったのも忘れて、逃げ帰りたい気持ちでいっぱいだった。
「ローゼ」
「!」
小さな声で呼ばれた。
隣に視線を向けると、レオンハルト様と視線が合う。優しい眼差しに全身の強張りが解けて、ようやく深く息が出来るようになった。
そうだ。私は一人でこの場に立っている訳ではない。
私が全力で寄り掛かってもビクともしない、頼もしいパートナーが隣にいる。
私が失敗したとしてもレオンハルト様ならきっと、『次があります』と軽く笑ってくれるだろう。
そう理解したら余計な力が抜けて、自然と笑えた。
レオンハルト様にもそれが伝わったようで、彼は安堵したように柔らかな微笑みを浮かべる。
すると周囲から、ほぅ、と感嘆するような吐息が聞こえた。
レオンハルト様は微笑み一つで、老若男女問わず魅了してしまうらしい。
やはり私の旦那様は世界一。
「レオンが素敵だから、皆が見惚れています」
何食わぬ顔で会場を進みながら、小声でレオンハルト様に話しかける。
軽く目を瞠った後、彼は苦笑した。
「まさか、オレ一人に向けられた視線だと思っているんですか?」
仕方のない人だと呆れるような口調とは裏腹に、その笑顔は甘い。
「え? だって……」
「会場の八割……、いや九割は貴方に見惚れているんですよ。オレはただの添え物です」
「馬鹿を言わないで。レオンが添え物な訳ないでしょう」
顔立ちも体形も三十路過ぎてもまるで崩れず、寧ろ年々、色気が増している人がどうやったら添え物になるのか。
こんな人にパセリ役を頼んだら、メイン料理が霞んでしまう。
「貴方は相変わらず、鈍いと言うかズレてますよね」
色んな人に言われるので、私が鈍いというのは、おそらく事実なのだろう。
でもレオンハルト様だって相当だと思う。
だって会場を進む度、彼に見惚れている女性の姿を見かける。
デビュタントしたばかりであろう初々しいご令嬢も、麗しい貴婦人も、皆がレオンハルト様をうっとりと見つめているのに。当の本人は添え物気分だなんて。
ズレているのはお互い様だと言いたいけれど、我慢する。
最愛の夫がモテている事に誇らしい気持ちはあるけれど、心が狭い私は、ちょっと……ううん、結構妬いてしまってもいるから。これは私だけの秘密にしておこう。
「ローゼ?」
不思議そうな顔をしたレオンハルト様に、何でもないと笑ってみせた。
私達が会場入りしてから程なくして、王家の入場が始まる。
始めはヨハンで、次は兄様。最後が父様と母様の順番だ。
ヨハンは若い女性達の悲鳴じみた歓声を浴びながらも全く動じず、完璧な笑みを浮かべている。葡萄色のジュストコールに同色のジレ、黒のクラヴァットと暗めな色合いが、返って彼の華やかな顔立ちを引き立てている。
一方、兄様に憧れる女性達は大人しい方が多いのか、ヨハンの時のような歓声は無い。だが、その分、焼け付くような熱視線を送っている。しかし気付いていないのか、それとも動じていないのか、兄様は無表情のままだ。
白のクラヴァットと青のジュストコールとジレの組み合わせは、兄様の怜悧な美貌によく似合っている。揃えで作られたのか、同じデザインの蔦模様が金糸で描かれていた。
そしてヨハンと兄様の袖口には、私が贈った螺鈿細工のカフスボタンが輝いている。
ただ、この時点で螺鈿細工のカフスボタンの存在に気付いた人はそう多くは無いだろう。流行に敏感なごく一部の方だけ。
しかし、その後に入場した国王夫妻のアクセサリーを見て、殆どの人間が気付いたはず。
父様はクラヴァットを留めるブローチ、母様は首飾りと、最も目立つ位置に着けているのだから。
我ながら良い仕事をしたと、胸中で自画自賛する。
これ以上ない広告塔だわ。
当初は、父様も母様も顔面が強すぎてアクセサリーの輝きが食われてしまうんじゃないかと危惧した。
けれど色素の薄い両親と黒ベースの螺鈿細工の相性は意外にも良く、陰影のように互いの良さを際立たせている。
衣装も濃淡の差はあれど、夫婦揃ってグリーン系で統一しているので、良い感じに調和していた。特に母様のドレスは、明るめの緑青色と黒のレースという螺鈿細工と同じ色彩なので、揃えで作ったかのように合っている。
規格外の美貌を持つ四人の男女が並んでいる光景は、正に圧巻の一言。そして、それぞれが同じ細工のアクセサリーを身に着けているのだから、とても目立つ。
私の目標の一つ。プレリエ領の目玉となり得るアクセサリーの宣伝は、良いスタートを切れたのではないだろうか。
その見込みは外れていなかった。
各々が自由に過ごす時間となると、待ち構えていたかのように私達夫婦は囲まれた。
懐妊祝いや挨拶という名目で話し始めても、視線はアクセサリーに釘付け。特に社交界の流行を牽引していくような女性達は、興味津々な様子だった。
「公爵様のイヤリング、とても素敵ですわ。華やかなのに上品さもあって、目を引きます。我が国ではあまり見かけない細工ですが、もしや異国の?」
「ええ。大陸の東にある島国、オステン王国の職人が手掛けた品です」
「東の島国ですか……。そんな遠方の国ですと、取り寄せるのも簡単ではございませんわね」
流行に敏感なルーベン侯爵夫人は残念そうに、眉を下げる。
他国の品だとは予想していても、流石に大陸の外だとは思わなかったのだろう。
手の届かない物と知れば、余計に欲しくなるのが人の性。イヤリングに注がれる視線が更に熱を帯びた気がする。
『得たり』と心の中で悪い笑みを浮かべながら、話を続けた。
「本来ならばそうなのでしょうが、実は我が領地にオステン王国出身の職人がおりまして。このイヤリングも、その職人の作品なんです」
「まぁ! プレリエ領に」
イヤリングに触れながら微笑むと、侯爵夫人の目が輝く。
旦那様と共に挨拶に来た当初は、優雅で隙の無い貴婦人といった佇まいだった侯爵夫人だが、今はソワソワと少し落ち着きが無い。
職人について詳しく聞きたいのだろうが、これ以上あからさまには情報収集が出来なくて困っているらしい。
美を競い合う社交界では、お気に入りの仕立屋や細工職人の情報はなるべく秘匿しておきたいと考える人が多い。
どこの店の品かと訊ねるのはマナー違反とまでは言わないものの、深く追求するのは止めましょうねという、ふんわりとした暗黙の了解がある。
だが、社交界で誰よりも目立ちたいという欲求を一切持っていない私には、関係のないルールだ。
情報ならいくらでも開示するから、どんどん経済を回していただきたい。
「近く、プレリエ領に出店する予定ですので、ご興味がおありでしたら是非、ご来店くださいませ」
扇で口元を隠しながら、少しだけ声を潜める。
侯爵夫人は少女のように満面の笑みを浮かべ、頷いてくれた。
侯爵家当主である旦那様のお相手をしてくれていたレオンハルト様に視線を向けると、彼は小さく笑う。
その眼差しが『上出来です』と褒めてくれているような気がして、一人浮かれた。




