侯爵夫人の驚き。
※レオンハルトの母親、ガブリエラ視点です。
夜だというのに、その場所は、まるで真昼のように明るかった。
蔦と花を組み合わせた図柄が彫られた太い柱は等間隔に並び、馬蹄型のアーチを描く。高い天井には化粧漆喰で装飾された大きなフレスコ画。
そこから吊り下げられた巨大なシャンデリアは、太陽の代わりに煌々と輝いている。
王城の大広間は、ネーベル王国の栄華を象徴するように美しかった。
そこに集う人々もまた絢爛たる衣装に身を包み、着飾っている。貴婦人方のドレスは色とりどりで、まるで花畑のようだ。
とすると、蜜に惹かれるように寄っていく男性達は蝶か蜂だろうか。
「ガブリエラ?」
隣に立ち、エスコートをしてくれていた夫に名を呼ばれた。
ぼんやりしていたので、心配をかけてしまったのだろう。
「ごめんなさい。少し圧倒されてしまったわ」
小声で謝ってから、余所行き用の笑顔を貼り付ける。
気を抜いて醜態を晒しては、いつ足を引っ張られるか分からない。
我が家……オルセイン家が長男レオンハルトの功績により陞爵して、伯爵から侯爵となってから、まだ二年足らず。
表面上は隠していても、胸中では侮り、見下している高位貴族の多い事。
遠回しな嫌味ばかりぶつけてくる人達にはうんざりするが、特に傷付きもしないし、そもそも相手にしない。
オルセイン家の歴史は古く、優秀な騎士を輩出する事で有名な家門だ。侮られる覚えなどない。爵位でしか人を測れない程度の人間と同等まで堕ちる気などないから、笑って躱している。
「…………」
そこまで考えて憂鬱になり、つい溜息が零れた。
私や夫はいい。社交界に潜む悪鬼等の対処には慣れたものだし、負けないだけの逞しさと図太さがある。息子達も立派に育ってくれたので、心配はない。
しかし、華奢で可憐な義理の娘にあの悪意が向くかもしれないと思うと、居ても立っても居られない心地になった。
長男レオンハルトのお嫁さんは、王女という貴い身分に生まれながらも、とても純粋で優しい心の持ち主だ。
芯の強い方だとは知っているが、人の悪意に慣れているようには見えなかった。
「心配ね」
「心配だな」
誰が、とは言わずとも夫には通じたようだ。
ローゼマリー様は、普段は領地の運営に尽力し、中々王都にはいらっしゃらない方だが、今日の王家主催の夜会には、珍しく出席されるらしい。
先日、公爵家の方にお邪魔した時に聞かされて驚いた。あまりに驚き過ぎて、夫と私の二人がかりで、無理はしないでくれと泣き落とそうかと思った。
真っ直ぐな性質の彼女に、毒沼のような社交界の空気は合わないだろう。通常時でも心配で堪らないのに、今は身重の体。
お嫁さんと孫に何かあったらと思うと、気が気でない。
全力で止めようとしたが、息子であるレオンハルトに諭された。守ろうとしてくれるのは有難いが、足枷になるような事は止めて欲しいと。
息子の言う通りだった。
私にとっては大切な義娘だが、ローゼマリー様は公爵家の当主でもある。確かに、囲い込み、守るだけでは彼女の為にはならない。
私も夫も断腸の思いで、見守る事を決めた。
とはいえ、心配が消える訳ではない。
男尊女卑の風潮が強いこの国では、初の女公爵という立場のローゼマリー様を見る目は厳しい。
それからレオンハルトを伴侶とした事も、面白くない人間がそれなりにいる。
自分の息子を手放しで誉めるのは少々気恥ずかしいが、レオンハルトはとても優秀だ。
国内で最も優れた剣の使い手であり、近隣諸国に名を轟かせる近衛騎士団長でもあった者を、当主ではなく、ただの婿にするとは何事かと、眉を顰める者もいた。
馬鹿馬鹿しい話だ。そんなものは、当事者以外が口を挟む事ではない。それに王女殿下がオルセイン家に降嫁していたら、それはそれで気に食わないくせに。『元伯爵家ごときが』と声高に叫ぶ想像が容易に出来る。
要は嫉妬だ。
美しく、才能ある若い夫婦を妬んでいるだけ。天上の月を落とそうとして、小石を投げている愚か者達の戯言に付き合ってやる必要など無い。
そんなつまらない者達の言葉などに、惑わされてほしくない。
けれど、どこまで守れるだろうか。
今も会場にいる人間の話題に上るのは、プレリエ公爵夫妻だ。
特にローゼマリー様の注目度は高い。プレリエ領が医療や貿易の要として注目されているというのは理由の一つだが、彼女自身も関心を集めている。
王女時代から輝かしい功績の数々を残しているローゼマリー様は、公の場には殆ど姿を現さない。王家が出席する公式行事などは別として、社交の場ではほぼ見かけた事がない。
それ故に、憶測で色んな噂が流れていた。
両親である国王夫妻との不仲説。ご兄弟である王太子殿下との不仲説。出回っている絵姿は偽りであり、ご家族に似ても似つかない容姿だなんて失礼なもの。
それから、功績自体の信ぴょう性を疑うものさえあった。
噂の対象が王族である為、表立って騒ぐ者こそいないものの、ひっそりと下世話な噂を楽しんでいる人間は少なくない。
大聖堂で執り行われた結婚式で披露された、女神の如き麗しい花嫁姿を見て黙った人間もまた多かったが。
それから、懐妊の知らせを受けた国王夫妻がお祝いの品を山のように贈った事で、不仲説も減った。
それでも、全く無くなった訳ではない。
どうにかして足を引っ張ろうと目を光らせている輩は、哀しいが、何処にでもいるものだ。
「大丈夫だろう」
「貴方……」
沈んだ顔をしていたのだろう。夫は元気づけるように、私に笑いかける。
「私達の子供達を信じよう」
「……そうね」
ふ、と口元を緩めた。
幾多の苦難を乗り越えてきたあの子達なら、きっと大丈夫。
互いの顔を見つめて頷き合った、その時。
プレリエ公爵夫妻の入場を知らせる声が上がった。
会場中の視線が扉へと集まる。
金縁で装飾が施された大きな二枚扉が、ギィと重い音を立てて開いた。
ハッと、誰かが息を呑む音がした。
それは傍にいた誰かのものかもしれないし、もしかしたら私自身のものだったかもしれない。ただ茫然と見惚れていた私は、そんな判断すらまともに出来なくなっていた。
まず目を引いたのは、ローゼマリー様だった。
いつもは下ろしているプラチナブロンドを結い上げているせいか、雰囲気が変わって見える。
柔らかく編み込んだ髪に花を飾っており、上品でありながら女性らしい艶があった。
ドレスは胸の下で切り替えがあるエンパイア型。腰回りがゆったりとしているのに、太って見えるどころか、折れそうに細い。
暗い青をベースにして、首元とデコルテ周り、それから肩を黒のレースが覆う。結婚式のドレスに少し似ているが、あの時よりも色っぽく感じる。
露出の少ないデザインだし、ニードルレースも細かく凝った花模様なので、殆ど肌は透けないのに、何故だろう。色合いのせいだろうか。
耳元を飾るイヤリングは珍しく大振りだが、装飾品はそれしか身に着けていない為、下品さはない。寧ろ、白い肌に良く映えて目を引く。
黒地に虹色の蝶が舞う美しい図柄のソレは、異国の細工らしい。『螺鈿』とローゼマリー様は呼んでいた。
オステン王国からやってきた腕の良い職人を、ローゼマリー様が雇っていると聞いた。我が国では見た事のない異国情緒溢れる品は、かなり注目を集めている。
もちろん、本人の輝かんばかりの美貌には及ばないが。
端整な顔立ちのローゼマリー様は、薄化粧でも十分に華やかだ。僅かに口角を上げただけの微笑みは、匂い立つような美しさだった。
視線一つで多くの男が跪くだろうに、彼女はちらりとも余所見をしない。隣に立つレオンハルトを見上げ、視線を交わし合う。
レオンハルトは黒のジュストコールに、濃い青のジレ。白いレース地のクラヴァットの模様は、ローゼマリー様のドレスに合わせてある。
胸元には、蝶の形をした金細工のブローチ。もちろん、羽根の部分は螺鈿細工。
頭の天辺から足の爪先まで、ローゼマリー様の対を意識したデザインだ。
まるで二人で一対の羽のよう。
宵闇に現れた幻の蝶の如き美しい夫婦は、言葉一つ発する事なく、会場中の視線を攫った。
別作品の宣伝で申し訳ございませんが、今週、書籍とコミックスの発売となります。
宜しければ、お手に取っていただけると大変ありがたいです。
※詳しくは、コミックスはなろうの活動報告、書籍は十八歳以上の方のみ、お月様の活動報告をご覧ください。




