総帥閣下の奮闘。(2)
菓子作りを始めてから、一週間。
オレは料理人の偉大さを改めて感じていた。
クラウスとオレの二人だけでは、どう足掻いても成功する未来が思い描けなかったので、早々にプロに助けを求めた。
付きっ切りで指導してくれた料理長は、オレの不器用さに唖然としながらも、根気強く付き合ってくれた。
そうして試行錯誤を繰り返し、どうにか形になったのが今日。
ローゼの休憩時間に合わせて用意したのはいいものの、今更になって恥ずかしくなってくる。茶菓子の一つとして紛れ込ませようかとも思ったが、芸術品の如き繊細な菓子の中では、不格好なクッキーはかなり浮いていた。
当然、ローゼもすぐに気付いたようだ。
大きな目が、丸くなる。ぱちぱちと何度か瞬いた彼女は、白い皿に手を伸ばした。歪な形をしたソレを指先で摘まみ上げる。
まじまじと眺めてからローゼは、隣に座るオレへと視線を移した。
雨上がりの空みたいな青い瞳にじっと見つめられて、勝手に頬が熱を持ち出す。居た堪れなくてそっと視線を外した。
数秒の沈黙の後、サクリと小さな咀嚼音が聞こえた。
恐る恐る視線を戻すと、ローゼが持っていたクッキーが欠けている。柔らかそうな頬が動くのを見守っていると、ゴクリと喉が上下した。
ローゼは呆けているオレと目を合わせてから、笑み崩れる。
幸せが自然と溢れたみたいな顔で、ふにゃりと。
「美味しい」
「……!」
それは、初めての感覚だった。
喜びとか誇らしさとか、馴染みのあるもののようで少し違う。まるで胸の中に空いていた部分が、温かいもので満たされたような幸福に酔いしれた。
オレがローゼを笑顔に出来たという達成感。
それからオレが作ったものがローゼの血肉になるのかと思うと、不思議なほどの満足感が込み上げる。
これは癖になるなと、心の中でごちた。
「本当に作ってくれると思わなかったわ。大変だったでしょう?」
一枚、また一枚と皿の上のクッキーの数を減らしながら、ローゼはオレに問いかける。サクサクと軽快な音が鳴るのが、嬉しくて仕方ない。
「料理人には世話をかけましたが、楽しかったですよ」
「料理が好きになりました?」
「ええ」
半分は嘘だ。
料理を作るが好きなのではなく、ローゼの為に何かを作るのが好きだ。ローゼが喜んでくれるなら、別の趣味でも好きになるだろう。園芸でも、刺繍でも、装飾品作りでも、彼女が身に着けてくれるなら、死ぬ気で上達させてみせる。
そう考えると、オレの趣味は『妻』だと言っても差し支えないかもしれない。
綺麗に食べ終えたローゼは、満足そうに「ご馳走様でした」と手を合わせた。
「本当に美味しかった」
「それは良かった。また作ったら、食べてくれますか?」
「もちろん。喜んで」
気遣いではなく本心で言っていると分かる笑顔に、オレも嬉しくなる。今度はクッキーではなく、もう少し手の込んだものに挑戦してみたい。
『もう勘弁してください』と蒼褪める料理長の幻覚が見えた気がするが、そっと意識の外に追いやった。
「気に入ってくれて嬉しいです」
「硬さも甘さも丁度良かった。レオンはあまり料理が得意ではないのかと思っていたから、少し意外だったわ」
以前に魔導師長とヴォルフ達から差し入れで貰った麦茶を飲みながら、ローゼは呟く。
話した記憶はないが、どうやら彼女はオレの不器用さを知っていたらしい。
「いや、最初は失敗ばかりでしたよ。小麦粉の種類すら分からずに、クラウスと二人で頭を抱えていました」
「えっ。……クラウス?」
ローゼは、意表を突かれたような声を上げた。
次いで、何とも言えない表情になる。甘いと思って口に入れたら苦かった時のような微妙な顔をするので、オレは面食らった。
「え、ええ。クラウスは、オレだけではまともなものが作れないのではないかと心配したようで、隣でずっと見張っていました」
「ちなみに手は出してない、ですよね……?」
「はい」
口は出してきたが、手は出していないなと考えながら頷くと、ローゼは大きく息を吐き出した。安堵したように表情を緩めているが、オレは訳が分からずに戸惑うばかりだ。
「ローゼ?」
「これからも、手は出させないでくださいね。レオン一人で最初から最後まで作ってください」
「……? 分かりました」
正直、話の流れが掴めていない。
しかしローゼもそれ以上説明する気はないようなので、オレも追及はしなかった。
「ところで、レオンに相談があるんですが」
気を取り直したように、ローゼは話題を変える。
「何でしょう?」
「来週あたりから、お客様をお迎えしようと思っているんです」
「……体は大丈夫ですか?」
確かに、高位貴族等からの手紙が届いて半月が経つ。
あまり待たせ過ぎるのはどうかと思うが、悪阻で食欲が減り、細くなったローゼを見ていると心配する気持ちの方が勝る。
「大分、落ち着いてきました。夜に起きる回数も減りましたし、来週にはもう少しマシになっていると思います」
「無理は禁物ですよ」
「分かりました。……それから、もう一つあるんですけど」
「?」
ローゼは言い辛そうに言葉を濁した。
もじもじと視線を彷徨わせて、時折、様子を窺うようにオレを見上げる。小動物のような可愛らしい姿に微笑ましさを感じながら、次の言葉を視線で促した。
「領地に帰る前に、夜会に参加しておきたいなぁ、なんて」
「……は?」
低い声が出た。
ローゼはオレの反応を見て、慌てふためく。
「あ。もちろんお医者様に相談して、了承を得てからの話です。その、一回だけでもいいんですけど……」
だんだんと声の勢いが無くなり、ついには語尾が掻き消えた。
萎れた花のような様子を見て、自分の顔が強張っているのを自覚する。息を吐き出して、眉間の辺りを指で揉み解す。
怖がらせたいのではない。
ローゼの手をそっと握ると、彼女は顔を上げる。
「理由を聞いても?」
なるべく優しい声を心掛けて聞くと、ローゼは口を開く。
「一つは、広告塔の役割をちゃんと果たしたいなって思っているんです」
広告塔、と聞いて思い当たるのは、異国の細工が施された装飾品。ローゼが、プレリエ領の新たな資金源として見込んでいる商品の一つだ。
ローゼから王家の方々に贈ってあり、デザイン違いでオレとローゼの分もある。揃って身に着ければ、かなり目立つ事だろう。
「あと、いつまでも引き籠りの王女のイメージを定着させたままじゃ、いけないなって」
ローゼは眉を下げて、苦笑した。
「今までは私個人がどう言われようと気にしませんでしたが、これからはそれじゃ駄目なんです。公爵家の当主である私の評価が、そのまま家の評価に繋がってしまう」
「ローゼ……」
「この子が大きくなる前に、家を潰しちゃったらまずいですからね」
ローゼは腹部をそっと撫でながら言う。冗談交じりの言葉で誤魔化したのは、場の空気を和らげる為だろう。
嫌な事から逃げずに立ち向かおうとする妻が誇らしく、愛おしい。
煩わしい全てのものから守り、隠してしまいたい気持ちは変わらずあるけれど、ここで足を引っ張るほど、愚かではないつもりだ。
「離れずに、隣に置いてくれる?」
「レオン、じゃあ……」
「約束してくれるなら、いいですよ」
寂しいような、嬉しいような気持ちを抱えながら、情けない条件を突きつける。
するとローゼは、花開くように笑った。




