総帥閣下の奮闘。
※レオンハルト視点となります。
とある日の午後。厨房にて。
「…………」
「…………」
図体の大きい男が二人、無言で鉄板を覗き込んでいる。
火を使う場所という事も相まって、非常に暑苦しい光景だろう。しかしオレ……レオンハルト・フォン・プレリエも、それから隣に立つ男も、そんな事を気にする余裕はない。
「……クラウス」
「……何でしょう」
呼びかけると、一拍置いてクラウスは返事をした。
ちらりと向けられた視線は冷ややかで厳しい。
「これはクッキーと呼べるだろうか?」
「いいえ、これは炭です」
もしくはゴミ。ボソリと付け加えた言葉は視線と同様に冷たい。
かなり失礼な物言いではあるが、正直、オレも同意見なので反論はない。「だよな」と肩を落として呟いた。
オレの作ったクッキーが食べたいというローゼの小さな我儘を叶える為、慣れない菓子作りに挑戦してみたが、予想以上にセンスが無いらしい。
鉄板の上に並んだ小麦粉の塊は、キツネ色を通り越してヒグマ色になっている。そもそも焼く前の段階で生地が乾いた粘土のようだったので、その時点で失敗は確定していたようなものだろうが。
一縷の望みにかけて焼いてみたが、奇跡は起きなかった。
炭もどきを一枚手に取り、己の口に放り込む。
ジャリジャリとした食感と強い苦味、鼻を抜ける焦げ臭さに顔を顰めた。
料理上手な妻が作るクッキーは、さっくりとした歯ごたえにバターの風味で、口内でほろりと崩れる。しかも、紅茶や柑橘系の香りがしたり、ナッツの食感が楽しめたりと種類も豊富。甘党でないオレでも、ついつい手が伸びてしまうほどに美味しい。
ローゼの腕に敵うとは元より思っていないものの、それにしても酷い。
ローゼが作ったものがクッキーなら、確かにコレは炭でゴミだ。
「やはり、付きっ切りで指導してもらった方がいいか……」
料理人にクッキーの作り方を教わった時、口頭だけでなく実演も見学させてもらった。手順も自分なりにノートに纏めたし、頭に叩き込んだ。
可能な限り準備はしたつもりだったが、己の不器用さを甘くみていたらしい。
「その方が確実ではありますが、貴方の手作りとは言い難いですよね」
「ぐ……」
クラウスの指摘に、小さく呻く。
実は材料を計量するまでは、料理人が付いていてくれた。
しかし、大雑把で手先が不器用なオレの作業を黙って見ているのは苦行だったのだろう。さり気なく仕事を奪われ、途中から突っ立っているだけになってしまった。
これでは誰の手作りか、分かったものではない。
でも、だからと言って、胃を痛めていそうな料理人に黙って見ていろとも言えない。
後は一人でやってみると宣言し、渋る料理人達には席を外してもらったのだが、クラウスだけは譲らなかった。
曰く、何が入っているか分からないものをローゼマリー様に食させるなど言語道断、だそうだ。
監視役として居座るクラウスにアレコレ口を出されながら、どうにか焼き上げたクッキーだったが、仕上がりはご覧の有り様。
とてもではないが、妻に食べさせられるものではない。
「そもそも、ローゼマリー様も冗談のつもりで仰ったのでは?」
「まぁ、そうだろうな」
本気と冗談の割合は、おそらく二対八くらい。オレをからかう意図で言ったのだろうと推測出来る。
「それでも、珍しく言ってくれた我儘だから叶えたい」
人に頼るのが下手で、誰かに迷惑をかける事を極端に嫌うローゼが。
作ってもらっても無駄にしてしまうかもしれないと、我が家の料理人にさえメニューのリクエストが出来ないローゼが。
オレにだけ、分かり易い我儘を言ってくれた。
その事実がオレは、嬉しかったんだ。
だからもし冗談であったとしても叶えたいと願うのは、当然の事だろう?
幸福な思い出を振り返っていると、隣から大きな舌打ちが聞こえた。
どうやら顔が緩んでいたらしく、クラウスは憎々しげな表情でこちらを睨んでいる。昔からではあるが、最近はより一層、オレに対しての遠慮が無い。
「お前な……」
「失礼。奥歯に物が挟まりました」
クラウスはシレッとした顔でそっぽを向いた。
呑み込んだ文句の代わりに、溜息を吐き出す。
今更、この男の態度を注意したところで、何が変わる訳でもない。感情の籠らない謝罪を適当に投げ寄越されるのがオチだ。
それにクラウスに求めるのは、礼儀正しさでも上司への敬意でもない。ローゼを守る忠実な護衛である事、それだけ。
そしてクラウスは、その一点に関しては誰よりも信頼出来る。
「もう一度、作り直すか」
「あまり材料を無駄にしないでくださいよ」
「……次はもう少し手際が良くなるだろうから、大丈夫だ」
『本当か?』と言わんばかりの胡乱げな目を向けられたのを黙殺した。
炭と化したクッキーを脇に除け、再び材料を計る作業から始める。
「ところで、ローゼはどうしている?」
「少し前までは居室でお礼状を書かれていたそうですが、今は寝室で仮眠を取られているようです」
「吐き気で眠れないのか、昨夜も何度も起きていたからな……。警備は?」
「扉前には護衛騎士が二人、外にはラーテが控えております」
「そうか」
ラーテもクラウスと同様に癖が強い男だが、実力とローゼへの忠誠心は本物だ。クラウスとはあまり相性が良くないようだが、互いの能力は認めているらしい。
「国王陛下が早めに手を打ってくださったので、目立った動きをする輩は今のところおりません。ただ、効力が大き過ぎるのも問題ですね。媚びを売ってくる連中のせいで、ローゼマリー様がお忙しくなるのは如何なものかと」
「面会についてはローゼの体調が落ち着くまで、もう暫くは待たせるつもりだ」
「礼状もいっそ待たせておけばいいのに」
クラウスは眉間に深い皺を刻む。
オレも正直、体調の方を優先してほしい。だが、過保護にし過ぎても、ローゼの負担になるだろう。
それに、王女時代から高位貴族との交流を避けてきたローゼにとっては、礼状や手紙の遣り取りも重要な社交。本来なら今年は夜会や茶会にも積極的に参加する予定だったが、妊娠が判明して難しくなった。
「そう言うな。確かにローゼの体も心配だが、これからを思えば味方を増やしておくのに越したことは無い」
「国王陛下の動き次第で掌を返すコウモリ共ですよ?」
「そんな人間だけではないさ」
確かに国王陛下や王太子殿下とローゼとの仲が良好と知り、擦り寄ってきた人間はいる。だが、ローゼの功績を認め、興味を持っている者も多い。
一緒くたに捨ててしまうのは、勿体ない。
「国王陛下の件に加え、プレリエ領は今、最も注目を集めている土地です。ローゼマリー様の人の良さに付け込み、利用しようとする輩は掃いて捨てるほどに出てくるでしょう」
「それを見極めるのがオレの仕事だ。……それに」
言葉を区切ると、クラウスは視線で先を促す。
「それに、ローゼはそれほど弱くない」
ローゼは優しい人だが、それだけではない。
領主として、医療施設の責任者として、民を守ろうと奮闘してきた彼女の一年半を、オレは知っている。
「オレもお前も、邪魔をするべきではない」
本音を言えば、愛する妻を危険から遠ざけてしまいたい気持ちはあった。誰からも何からも傷付けられないよう、屋敷の奥深くに仕舞い込んでしまいたいと。
だが、そうしてしまえば今までのローゼの努力を無に帰してしまう。
クラウスも頭では分かっているのだろう。
口を引き結び、眉を顰めた不機嫌そうな面持ちではあるが、反論は無かった。
「……クラウス」
「……何ですか」
むっつりと黙り込むクラウスに呼びかけると、ジトリとした目を向けられる。
「ところで、小麦粉ってどれだ?」
必要な材料以外は邪魔になるだろうと、計量後に仕舞われてしまった。
麻袋のどれかが小麦粉なんだろうが、複数ある。しかもどれも白っぽい粉が入っているので、判別がつかない。
「…………」
長い沈黙の後、クラウスは首を横に振った。
果たして、本当にクッキーを作れる日が来るのか。
遠い道のりを思い、オレは力なく項垂れた。




