転生公爵の休息。(2)
執務室に移動した私は手を引かれるがままに、窓際にある応接セットの方へと向かった。
ダークブラウンのローテーブルは、樹齢百年以上のウォールナットを切り出した一枚板で拵えたもの。
華美な装飾の類は一切無いが、シンプル故に上品な仕上がりだ。
本革の鋲打ちソファーも、テーブルに合わせて深みのある焦げ茶で纏められている。ほどよく沈み込む座面は、とても座り心地が良い。前世でお気に入りだった低反発マットにも負けていない。
そんな素晴らしい家具は当然の事ながら、値段もかなり跳ね上がる。
医療施設の設備投資にどどんと突っ込んだ私では、おそらく手が届かなかっただろう。
本物志向の父様か、はたまたセンスの良い母様か。どちらが選んでくれたのかは知らないけれど、とても良い物を贈ってくれた。
近々、商談や会議で活躍する予定だったのだが、まさか、ティースタンドやらティーポットやら、果ては一輪挿しを飾った花瓶等で、華やかに飾り付けられるデビューを飾るとは。
せっせとお茶の用意を整えてくれる侍女達を見守りながら、ふとそんな事を考えた。
「飲み物は如何なさいますか?」
「ミルクをお願い」
「かしこまりました」
紅茶が飲みたいところだけど、妊娠中だからカフェイン摂取は控え目にしなくちゃいけないんだよね。
ユリウス様にお願いして、ノンカフェインのお茶を探してもらおうかな。
「ローゼ、手紙が届いているようです」
「手紙?」
執事経由の手紙を、レオンハルト様が手渡してくれる。
私の妊娠については、まだ正式に発表していない。
私とレオンハルト様、双方の家族と、友人達、あとは領地に残ってくれている公爵家の皆くらい。
だから他家からのお祝いではないはず。でも知らせた人達からの返信だとしても早過ぎる。つい先日、手紙を出したばかりだし。
お茶会か夜会の招待状だろうか。
「誰かしら?」
トレーに載った手紙は二通あった。
一つは簡素な封筒に緑の封蝋。葉をモチーフにした印章は、クーア族をイメージして私がデザインしたものだ。
「ヴォルフさんだわ。もう一通は……イリーネ様?」
真っ白な封筒に銀の封蝋。魔法陣に似た緻密な印章は確か、魔導師長であるイリーネ様のものだったはず。
ペーパーナイフを差し込んで二通共、開封した。
「どのような用事でした?」
「……どちらも訪問の先触れみたい」
公的な訪問ではなく、あくまでプライベート。
挨拶や急な訪問を詫びる文を除けば、どちらも『そちらに寄るけど用が済んだら帰るから、お構いなく』といった内容だ。
親しい仲でも礼儀はキッチリしている人達だから、普段なら数日の猶予を持って日取りを設定する。つまり、それだけ急いでいるという事。
タイミングを考えたら、おそらく私の妊娠に関係していると思うけれど、どんな用事だろう?
ほんのり甘いミルクを味わいながら、私は首を傾げた。
そんな遣り取りがあった翌々日。
昼過ぎにヴォルフさんが乗った馬車が到着した。周囲を取り囲む護衛は第二騎士団の面々で、指揮しているのはギュンター・フォン・コルベ団長。
玄関前に馬車が停まり、開いた扉から降りてきたのはヴォルフさん……ではなかった。
「リリーさんっ?」
「マリー様!」
私の姿を見つけたリリーさんは、小走りで駆け寄ってくる。
「お体の調子は如何ですか? 吐き気は? どこか痛いところとか……あ、貧血気味だと聞きましたが、立っていて大丈夫ですか?」
矢継ぎ早に質問され、私は目を白黒させた。
こんなにも早口で喋るリリーさんは初めて見たかもしれない。
「ちょっと、リリー。落ち着きなさいよ」
いつの間にかリリーさんの背後に立っていたヴォルフさんは、呆れ顔で宥める。後頭部を軽くポンと叩かれ、リリーさんはハッと我に返った。
「すみません……」
恥ずかしそうに頬を染めて、リリーさんは俯く。
年上の女性に失礼かもしれないが、しゅんと萎れた様子がとても可愛らしい。
そんなリリーさんを見て苦笑していたヴォルフさんは、私の方へと向き直った。私と、隣に立っていたレオンハルト様と、順番に視線を合わせる。
「色々と言いたい事はあるけれど、まずは、おめでとう」
「おめでとうございます!」
「ありがとう」
やはり、祝ってもらえるのは嬉しい。それが気を許した身内なら尚更。
じんわりと喜びを噛み締めていると、レオンハルト様がそっと手を握ってくれる。視線を合わせ、微笑み合う。
「あらあら、見せつけてくれるわね」
「!」
弾かれたように顔をあげると、ヴォルフさんはニタリと笑った。「独り身には目の毒だわー」なんて溜息交じりに言っているが、からかう気満々な表情だ。
恥ずかしくなって繋いでいた手を離そうとするが、その前にきゅっと指を絡められた。
「れ、レオ……」
「今日くらいは浮かれても大目に見てくれますよ。ね?」
穏やかな微笑みを浮かべているのに、有無を言わさない強さがある。
赤い顔で唖然とする私とは違い、ヴォルフさんは呆れたように目を眇めた。
「今日だけで済むとは思えないけど」
ぽつりと零したヴォルフさんの言葉に、控えていたギュンターさんが大きく頷く。
「……何か言いたそうだな、ギュンター」
「いえいえ、何も。ご挨拶が遅れ、申し訳ございません。公爵様、総帥閣下、ご懐妊おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます」
レオンハルト様が軽く睨むと、ギュンターさんは胸に手をあてて腰を折る。分かり易い渋面に空々しい笑顔を返すあたり、この人も結構な曲者だと思う。
同期で古い友人とは聞いているが、レオンハルト様とこういう遣り取りが出来る人は少ないので貴重だ。
推しの不機嫌顔というSSRなレアスチルをじっくり観賞したいところだが、このまま玄関先で立ち話をしている訳にもいかない。
とりあえずは中へどうぞと、皆で居室へと移動した。
お茶の準備を頼もうとすると、ヴォルフさんから待ったがかかる。
「これから他にも来客があるんでしょう? 私達は用だけ済ませたら引き上げるから、お構いなく」
どうやら本当に、用を済ませたら最短で帰るつもりのようだ。
イリーネ様も来訪予定である事を手紙で知らせておいたので、気を遣ってくれているのもあるのだろう。
「イリーネ様もプライベートでいらっしゃるので、ヴォルフさん達が問題なければ同席したいと仰ってましたよ」
「え、そうなの?」
「はい。医療施設や新薬開発について、色々とお話を聞きたいそうです」
医療施設の建設予定地が決まってなかった頃、一時的にクーア族は王城内に保護されていた。温室にも出入りしていた為、イリーネ様との面識もある。
薬草を育てているイリーネ様とクーア族の話が合わない筈もなく、専門的な話で静かに盛り上がっていた場面を何度か目撃した。
「魔導師長に報告出来るほどの進捗はないけど、大丈夫かしら」
「良い助言を頂けるかもしれませんよ?」
「そうねぇ」
リリーさんの言葉に、ヴォルフさんは少し考えて頷く。
すると何故か、背後に控えていたギュンターさんの目が輝いた。
「ああ。でも、あんまり長居しては、マリーを疲れさせてしまうわ」
「それは駄目ですね。帰りましょう!」
リリーさんがあっさりと手の平を返すと、ギュンターさんがあからさまにショックを受けている。
さっきから彼の様子が気になって、話が頭に入ってこない。レオンハルト様も気付いたようで、呆れた目を向けている。
レオンハルト様は彼の挙動不審の理由を知っているんだろうか。
「今は体調も落ち着いているので、気を遣わないでください。寧ろ、暇を持て余しているので、話し相手になってくれたら嬉しいです」
「……それなら、まぁ。少しだけ」
ヴォルフさんが了承すると、再びギュンターさんの表情が明るくなる。感謝の意を示すようにキラキラとした目を向けられて、なんとなく察した。
おそらくギュンターさんは、イリーネ様にお会いしたいんだろう。
ギュンターさんには好きな方がいるらしい。
王都で働いている年上の美女だとは聞いていたが、てっきり私とは面識のない方だと思い込んでいたせいで、深くは追及しなかった。
でも考えてみると、条件が合致している。
ルッツとテオから聞いた話では、イリーネ様は、お仕事を引退した後はプレリエ領に移り住みたいと零していたらしい。
そしてギュンターさんの想い人も第一線を退いたら、プレリエに居を構えたいと言っていたとか。
これは、もしかして?
私の抱いた疑念は、執事から届いたイリーネ様の到着のお知らせに頬を赤らめたギュンターさんを見て、確信へと変わった。




