転生公爵の休息。
理想の妊婦さん像というものがある。
日当たりの良い場所で編み物をしながら、時折手を止め、お腹に手を当てて穏やかに微笑む。そんなマリア様みたいな姿を思い描いていた。
もちろん、自分が同じになれるだなんて思っていない。実の父にイノシシと呼ばれた女が、そんな、おこがましい。
でも少しでも近付けたらいいなと、思っていた訳だが。
毛糸で輪っかを作り、通したかぎ針の先で引っかけた糸を引き抜く。
同じ工程を慎重に繰り返し、小さな円形になったところで手を止める。
ぷは、と詰めていた息を吐き出して天井を仰いだ。
「……わたし、編み物も向いていないみたいだわ」
誰にいうでもない独り言を、ぽつりと呟いた。
分かっていた。
やる前からちゃんと、分かってはいたんだ。
私は、手先が器用ではない。
高位貴族の女性の必修科目である刺繍も、昔から苦手だった。もっと言うなら、前世でも家庭科部に所属しておきながら、編み物、縫物は可能な限り回避していた。
料理は好きだけれど、裁縫には謎の苦手意識がある。
妊娠を機に克服してみようと思ったけれど、そう簡単な道のりではないらしい。
間違えないようにしようと必死なあまり、無意味に息を止めてしまう。そのせいか、少し編むだけでも非常に時間がかかる。
しかも、それだけ労力をかけても、仕上がりはとても微妙。何度、解いてやり直したか、数えるのも嫌になってきた。
プロに頼んだ方が良いのではと諦観混じりに考えて、慌てて頭を振って打ち消す。諦めるのはまだ早い。
赤ちゃんもお店で買った物の方が喜ぶ気がするとか、気付いては駄目よ。
挫けそうになる気持ちをどうにか鼓舞し、再びかぎ針を握り直す。
水中に潜る前の人のように息を大きく吸い込んだところで、声が掛かった。
「あの、奥様」
声の主は侍女の一人だった。
少し離れた場所で控えていた筈の彼女は、少し躊躇った様子を見せた後、言葉を続ける。
「少し、休憩されては如何でしょう? あまり根を詰め過ぎると、お体に負担がかかってしまいます」
「それが宜しいですわ。ミルクを温めて参りましょうか?」
「王都で人気の菓子が手に入ったそうですので、そちらもご用意しましょう」
一人が声を上げたのを皮切りに、他の二人も援護射撃に回る。
特に疲れてはいなかったけれど、こうなってしまうと否とは言い難い。微苦笑を浮かべてお願いすると、三人はとても良い笑顔で頷いた。
日当たりの良い場所で編み物なんて、それ自体が休憩な気がするんだけれど、まぁ、深く考えるのは止そう。
妊娠が発覚してから、公爵家の皆は非常に過敏になっている。
私が何かを持とうとしたり、急ぎ足にでもなろうものなら、四方八方から制止の声が掛かり、慌てて誰かが飛んでくる。
行き過ぎとも思える過保護具合だが、なにせ筆頭が旦那様なので誰も止められない。
このままだと私は子供が生まれる頃には、何も出来なくなっているのではないかという危機感があるが、今のところ、止める方法は思い付かない。
心配してくれているのだと分かっているし、好意を無下にしたくはない。
「奥様。お茶のご用意はどちらに致しましょう?」
「? ここで良いわ」
嬉々としてお茶の準備に取り掛かろうとした侍女が手を止める。
戸惑うような様子で顔を見合わせた彼女等は、視線で発言を押し付け合っているように見えた。
何故、お茶をする場所でそんな反応をするんだろう。
私は本来、お茶は外でするのが好きだ。この時期と天気なら、庭園のガゼボが丁度良い。しかし体を冷やすからと、今は止められている。
もう少し体調が落ち着いたら、一日一、二時間程度なら許可も下りるようだが。
「差し出がましいようですが、その……旦那様をお誘いしては?」
他二人の圧に負けた侍女の一人が、おずおずと口を開く。
私は思わず、首を傾げた。
「レオンを? お仕事中でしょう?」
「ええと」
貧血で体調を崩しがちな私は現在、ドクターストップがかかり、お仕事はお休み中だ。
その為、レオンハルト様が当主代理としてお仕事を全般、請け負ってくれている。
もう暫くお休みして体調が安定したら無理しない程度に手伝う予定だが、今は傍にいても何も出来ないので、せめて邪魔しないよう執務室には近づかないようにしていた。
話が聞こえてくると参加したくなってしまうので、自戒の意味もあるが。
「それに、さっき様子を見に来てくれたばかりだし」
「そう、ですよね」
普段は上品ながらも歯切れの良い話し方をする彼女らしくもなく、言葉を濁す。何か言いたい事があるのに、言葉に出すのを躊躇っているような。
回りくどいけれど、立場上、はっきり言葉に出来ない事も多いのかもしれない。
私が表情から読み取れたら一番いいのだろうけれど、申し訳ないが全く分からない。
額面通りに受け止めるなら、侍女の皆は、私にレオンハルト様をお茶に誘ってほしいらしい。なんで?
レオンハルト様はお仕事の合間を縫って、私の様子を見に来てくれている。
一時間前にも顔を出してくれたばかり。これでお茶になんて誘ったら、お仕事の妨害になってしまう。
「邪魔するのも申し訳ないわ」
「邪魔なんて……。寧ろ、逆ではないかと」
ぽつりと小声で付け加えた言葉の意味が分からず、私はきょとんと目を丸くした。
どういう事かと問おうとした時、測ったかのようにドアが鳴る。
「はい、どうぞ」
ノックに応えると、数秒の間を空けて扉が開く。
現れたのは、ばつが悪そうな顔をした旦那様だった。
「……レオン? どうしたの?」
驚きに固まってしまったが、すぐに表情を引き締める。
さっきの今で部屋に来たのだから、何か急ぎの用があったに違いない。領地でトラブルかと身構える私に、レオンハルト様は困ったように眉を下げた。
「……何をしているかなと、思って」
予想から大きく外れた言葉を聞いて、面食らった。
さっき会ったばかりだと言いそうになったのを、慌てて呑み込んだ。
たぶん言ったら、レオンハルト様は落ち込んでしまう。
根拠はないけれど、しょぼんと萎れた仔犬のような顔をしている彼を見る限り、的外れではないと思う。
私が座るソファーの傍まで歩いてきた彼は、隣に腰掛ける。かぎ針と毛糸を机に置くと、そっと包み込むように手を取られた。
「レオン?」
「情けないのは、重々承知ですが」
とても言い辛そうに言葉を濁したレオンハルト様は、それでも覚悟を決めたように続ける。
「退屈しない程度の時間でいいので、執務室にいていただけませんか?」
「え?」
「貴方の事が気になって、仕事が手につかない」
開き直ったようにレオンハルト様は言った。
それでも恥ずかしいのに変わりはないのか、唖然とする私を見て薄っすらと頬を染める。瞳を伏せ、目を逸らす様には妙な色気があって目の毒だった。
「具合が悪くなっていないか、何か困っている事はないか。部屋に閉じ込めてしまったけれど、退屈して嫌になってはいないか。そんな事ばかり考えてしまって、仕事が全く進みません」
一時間弱、傍を離れただけで、まさかそこまで考えてくれるとは。
愛されていると喜ぶ気持ちと、心配し過ぎだと驚く気持ちがせめぎ合う。ついでに、普段の私の落ち着きの無さが間接的に証明されている気がすると、複雑な気持ちになった。
たぶん、目の前で倒れてしまった記憶が尾を引いているんだろうな。
「……邪魔ではありませんか?」
「全く。寧ろ、貴方が傍にいてくれた方が捗ります」
躊躇なく言い切ったレオンハルト様の背後で、同行してきていたらしい側近と侍女三人がコクコクと頷いている。
侍女達がしきりにレオンハルト様との休憩を勧めていたのは、これが原因らしい。
一、二時間ごとの様子見でも多いと思ったけれど、もしかしたら、それ以外にも廊下まで来ていたのかな。
扉の前でウロウロして、しょんぼり肩を落として帰る姿を想像して、つい笑ってしまう。
「では、そうさせてもらいますね」
「ありがとう」
私の大好きな旦那様は、少年のように可愛らしい顔ではにかんだ。




