転生公爵の驚愕。(2)
「ローゼ!?」
バンと派手な音を立てて扉が開く。
血相を変えて飛び込んで来たレオンハルト様は、私の方へと駆け寄ってくる。何があったんだと視線で問われても、何も返せない。
私自身も上手く呑み込めていないから、誰かに説明する余裕なんて無かった。
早鐘を打つ心臓を押さえて、呼吸を繰り返す。
ゆっくりと掌を滑らせて、そっとお腹に触れた。
当たり前だけれど、何の動きもない。
煩いくらいの鼓動は私自身のものだし、震えているのも私の手だ。それでも指先から温もりが伝わってくるようで、勝手に涙腺が緩む。
ここに……私のお腹の中に、新しい命が宿っている。
私とレオンハルト様の赤ちゃんがいるんだ。
「……っ」
吸い込んだ呼吸が不自然に詰まる。
胸がいっぱいで、何も考えられない。自分が泣きたいのか、笑いたいのか。それすら分からなかった。
「……ローゼ」
俯く私に影が差す。
見上げると、身を屈めたレオンハルト様が悲痛な顔で私を見つめていた。
ああ、そんな顔をさせてしまうような事ではないのに。
この喜びを一緒に分かち合いたいのに、上手く言葉に出来ない。
幸せ過ぎて苦しいなんて、人生で何度味わえるんだろう。
くしゃりと顔を歪めた私に連動して、レオンハルト様も同じ顔をする。
大きな手が私の肩に回って、抱き寄せられた。勢いがあったせいか、逞しい胸に鼻をぶつけて、ちょっと痛い。
「大丈夫、大丈夫だ」
「レオ、」
「貴方の為なら、何でもする。何だって用意する。他国の秘薬だろうと、世界の果てに咲く薬草だろうと、何だって、オレが」
呼びかけは、切羽詰まった言葉に遮られる。
私の形を確かめるみたいに、抱き締められた。冷たい手も声も、震えている。
大きな体は私の体をすっぽりと包み込んでいるのに、まるで縋られているような気持ちになった。
どうやら私が重病だと、勘違いさせてしまったらしい。
掠れた声があまりにも苦しそうで、私は慌ててレオンハルト様の胸を叩いた。
「レオン、ちがうの」
押し付けられた胸板から顔を上げて、必死に訴える。
「……違う?」
私の言葉を繰り返すレオンハルト様は、顔色が悪い。
どちらが病人か分からないほど蒼褪めた顔を見ているのが辛くて、何度も頷いた。
「病気じゃないわ」
「……ローゼ」
きゅっと眉間に皺が寄る。レオンハルト様の表情は晴れるどころか、曇ってしまった。どうやら、全く信じてもらえていないらしい。
苦しげな顔で、レオンハルト様は笑う。
愛しいと語る瞳で私を見つめて、頬に手を添えた。ちゅ、と掠めた唇は、欠片の欲も込められておらず、ただ労りに満ちている。
そのせいで反応が遅れてしまった。人前で口付けなんて、と恥じる隙もない。
「愛している。貴方はオレの心臓だ。……何処までも、傍に」
「っ……レオン!」
パシンと乾いた音が鳴る。
レオンハルト様の顔を、勢いよく両手で挟んだ。
たぶん痛かったと思う。
暗く淀みかけていたレオンハルト様の目が、驚きに見開かれた。
間近で覗き込んだ両目に光が戻ったのを見て、私はほっと安堵の息を吐く。
「レオン、ごめんなさい。本当に違うの」
叩いてしまった事と心配させてしまった事、両方の謝罪を込めて、精悍な頬を撫でる。
「私は健康だし、貴方を置いていったりしないから」
視線を逸らさずに語り掛ける。
私は嘘を吐くのが下手くそだと知っている彼は、今度こそ信じてくれたらしい。意外に長い睫毛がパチパチと瞬いて、彼の困惑を訴えている。
「なら、何故……?」
「えっと」
どう伝えようかと考えた私は、レオンハルト様の頬から手を離す。代わりに彼の右手を両手で掴んで、引き寄せた。
「ローゼ?」
レオンハルト様の困惑が増したのが、声で分かる。
それでも彼は、私の手を振り払わずに好きなようにさせてくれた。
硬い掌を、私の腹部に押し当てる。
「……ここに、新しい家族がいるの」
「……は」
呆けた声が、レオンハルト様の口から零れ落ちた。
顔を上げると、表情も抜け落ちている。呆然自失した彼と視線を合わせ、もう一度、ゆっくりと言葉を告げた。
「私とレオンの子供よ」
ひゅっと息を呑む音がして、その後は不自然な程の静寂が訪れた。
部屋の中にも外にも、沢山の人がいるはずなのに、物音一つしない。水を打ったような静けさが、数秒続いた。
「……こ、ども……?」
異国の言葉のように、拙い発音だった。
レオンハルト様は無表情のまま、はくりと空気を食む。音にならなかった言葉が吐息として洩れ、唇が震えた。
喜んでくれるはずだと信じている。
だから張り詰めた空気に負けず、瞳を見つめたまま、深く頷いた。
「妊娠したの」
短い言葉を最後まで言い切るのとほぼ同時に、前触れなく、レオンハルト様の瞳から涙が零れ落ちた。
「……!?」
驚愕する私に、透明な雫が降ってくる。
眉一つ動かさず、嗚咽も洩らさず。滂沱の涙を流すレオンハルト様があんまりにも綺麗で、状況も忘れて見惚れそうになった。
ほろほろと頬を滑り落ちる涙は、そのまま真珠にでもなりそうな程に美しい。
「……っ」
どどど、どどど、どうしよう!?
私は固まったまま、混乱していた。
何をどうしたらいいのか分からずに、掌を受け皿みたいにして、レオンハルト様の涙を受け止めている。
泣いている旦那様にするべき妻の行動は、おそらくこれではない。
明らかに間違っている。
ないけど、分かっているけど、何か勿体なかったから……!!
冷や汗を掻きながら意味不明な行動を取っていた私は、唐突に引き寄せられた。
体に負担をかけない力加減ながらも、しっかりと両腕で抱き締められる。
「レオ……」
「嬉しい」
抱き締めた私の頭に、レオンハルト様は頬を摺り寄せる。
「幸せで、どうにかなってしまいそうだ」
泣いたせいか少し掠れて甘い声は、言葉通りに喜色が溢れていた。
心から喜んでくれている事が伝わってきて、私も涙ぐんでしまう。誤魔化す為にレオンハルト様の肩口に顔を押し付け、すんと鼻を鳴らした。
「私も幸せよ」
私達は暫くの間、寄り添い、抱き合っていた。
かなり時間が経ってから、ごほんと咳払いが聞こえて我に返る。
気まずそうな顔をした若先生と、微笑ましいものを見る目を向けてくるアビさんの笑顔を見て、ようやく人前である事を思い出した。




