転生公爵の午後。(2)
どっちもいい年の大人なんだから、放っておいても止めてくれるだろう。そんな楽観的な考えは、カラスが懐に手を入れた事で崩れ去った。
「待って、待って! 終了!!」
大きめの声で制止すると、カラスは不満げな顔で私を見る。それでも渋々、手を下げてくれたので安堵した。
暗器は駄目だよ、暗器は。
流石に本気では無いだろうけど、武器を出すのもアウトだから。
二人のじゃれ合いは、普通に刃物が飛び交うので洒落にならない。
この程度なら避けられるだろうという、ある意味、信頼があるからこその無茶なんだろうけど、切実に止めてほしい。
「カラス、落ち着いて。刃物は駄目よ。ラーテが悪いのは分かるけど、挑発に乗らないで」
「……分かった。ごめん、姫さん」
「えっ。こ、こちらこそ」
目を伏せたカラスは、一見、神妙な面持ちをしている。
殊勝に謝る彼に面食らい、思わず吃った。
「姫さんから見えるところで、流血沙汰は駄目だよな。場所か方法を変えるから」
「そうじゃない」
思わず、真顔で首を横に振ってしまった。
『多少は性能落ちるけど、替えは用意しておくから』とか、『これを機に新型に変えよう』とか、何処まで本気で言っているんだろう。
うちの密偵はスマホじゃないんだよ。
恐ろしい提案を一つ一つ丁寧に拒否すると、カラスは不満そうな顔に戻った。
「ちょっとだけでも駄目?」
「ちょっとってどういう……」
「一本くらい」
「単位が怖いから駄目」
なまじ想像の余地があるから怖い。深く考えたら負けだ。最早、なんの勝負なのかは自分でも分かってない。
「オレが大切にされているの、分かった?」
己の欠損が懸かった物騒な遣り取りの中でも、ラーテは悠然とした態度を崩さない。質の悪い笑顔で言う彼に、カラスのみならず私のコメカミにも青筋が浮かんだ。
一本くらい、カラスにあげてもいいかもしれない。何処だか知らんけど。
「姫さーん……」
「止めて。頷きそうになるから止めて」
ジトッとした目を向けてくるカラスから、必死に視線を逸らす。
私の中の天使と悪魔が取っ組み合いの喧嘩を始めてしまう。
「やっぱりラーテみたいな性悪に、この職場は勿体ないと思うんだけど」
ようやく諦めてくれたのか、カラスは長い溜息を吐き出す。
椅子に深く座り直した彼は、背凭れに体重を預ける。
カラスの言う職場とは、プレリエ公爵家の事だろう。
国王直属の優秀な密偵に誉められるのは素直に嬉しい。でも、過分な評価な気がする。
我が領は優秀な人材が揃っているから上手く回っているけれど、その分、一人一人の負担は大きい。
ラーテもかなり、こき使ってしまっているし。軌道に乗るまでは、これからも苦労を掛けると思う。
「羨ましい?」
「黙れ、害悪。羨ましくない訳あるか」
ラーテの煽りに対し、カラスは吐き捨てるように言う。
「ラーテの労働時間を知ったら、そんな事言えなくなるわよ」
私の警護に諜報活動、非戦闘員であるクーア族の護衛など、ラーテの仕事は多岐に渡る。密偵は他にもいるとはいえ、彼は夜間も私の護衛に就いてくれる事が多く、拘束時間がとても長い。
タイムカード制だったら、労基の監査が入って営業停止になっているレベルだ。
しかし、カラスはそれがどうしたと言わんばかりに鼻で笑う。
「労働時間ならこっちも負けてないから」
そういえばそうだった。
父様は私以上に人使いが荒い。そしてこの世界に、働く庶民の味方、労働基準監督署は存在しなかった。
「それを差し引いても、一般的に考えて、今のプレリエ公爵家以上に働き甲斐がある職場はないでしょ」
「? 賃金も、際立って良い訳ではないけれど……」
十分な報酬を約束したいし、今後、上げていく予定ではある。
でも現状、他領と比べて突出して良いとは言い難い。
首を傾げる私に、カラスは呆れ顔になった。
「人は金だけで動く訳じゃない」
戦国時代の武将が、そんな名言を遺していたような気がする。
人は利益の為だけに動くんじゃない。上に立つ者の人望や能力が、人を動かす……とかなんとか。
私には分不相応な評価だが、そこまでカラスに認めて貰えるのは素直に嬉しい……。
「名誉欲は時に、他の欲を凌駕する」
違った。
恥っず。え、ヤバ。恥ずかしっ。
さっきの感動、自惚れた過去の私ごと無かった事にしてほしい。
「姫さんは間違いなく、後世に語り継がれる存在だ。アンタの今後の一挙一動が、歴史書に書き記される」
落とされた後に持ち上げられても、情緒が追い付かない。
喜ぶには、聞き捨てならない言葉が多過ぎる。一挙一動を書き記されるとか、恐怖でしかないんだけど。
「姫さんと共に名を遺せる人間はごく一部とはいえ、可能性はゼロじゃない。遣り甲斐を感じる人間は多いだろうな」
さらりととんでもない発言をしたカラスは、「陰に生きるオレには関係ない話だけど」と付け加える。
じゃあ結局は、カラスの『羨ましい』は何に掛かるんだ。
疑問を率直にぶつけると「美人な上司」と返ってきて脱力する。どこか厭世的な部分があるように見えていたカラスだが、意外と普通の成人男子だったらしい。
「まぁ、オレの事はいいとしてだ。これから姫さんの周りには有象無象が群がるだろうから、気を付けた方がいい。利用しようと企む奴や、足を引っ張ろうとする敵がわんさかいる」
緩い空気が消え、カラスは真顔になる。
私の甘さや駆け引きの下手さを知っている彼の助言に、私は深く頷いた。
社交界も商売の世界も、甘くはない。経験の浅い私が気を抜けば、あっという間に骨も残さず喰い尽くされるだろう。
酷い顔をしていたのだろうか。カラスは表情を和らげて、口角を軽く上げる。
「とはいえ、姫さんが全部抱える必要はないから。蛇の道は蛇って言うし、曲者の相手は曲者に任せな。周りにいっぱいいるでしょ、厄介な保護者」
『使ってやれ』と笑うカラスに釣られて、私も小さく笑った。
「てか、厄介な保護者代表、帰ってこないね」
カラスは視線を屋敷に向けて、ぼそりと呟く。
その不名誉な言葉が指すのは、もしや私の旦那様でしょうか。
「クーア族と医者が、まだ街から戻って来ていないんだと思うよ。付けた護衛も帰ってないし」
答えたのはラーテだ。
焦っている様子は無いので、時間が押しているといっても誤差の範囲なんだろう。
でも、さっきの話を聞いて、不安が過る。
医療施設に深く関わるクーア族と医師も、きっと周囲から注目されている。出先で何かトラブルに巻き込まれてやしないかと、心配になってきた。
「大丈夫かしら?」
「姫さん……。脅したオレが言う事じゃないけど、心配し過ぎ」
カラスが呆れ顔というより、困り顔になってしまった。
確かに、お使いに出した子供ならともかく、護衛付きの大人を心配するには、まだ時間が早過ぎる。
「ちょっと様子を見て来るわ」
恥ずかしさを誤魔化す為に、席を立つ。
すると視界が、急に暗くなった。
「……っ?」
「!?」
ザアッと血の気が引く。
足元がぐわんと揺れて、吐き気がした。立っていられない。
体から力が抜けて、膝から崩れ落ちるのと同時に誰かに抱き留められる。
周囲の音がどんどん遠ざかって、慌てた声が誰のものか分からない。ラーテか、カラスか。レオンハルト様の声も、混ざっている気がした。




