転生公爵の午後。
※引き続き加糖気味ですので、ご注意ください。
爽やかな風が通り抜ける。
運んできた若草の匂いを吸い込むと、溜まった疲労感も溶けて消えていく。
天気の良い日は庭でゆっくりするのが好きだ。特に初夏の午後は、格別に気持ち良い。
私の好みを把握してくれているのか、結婚祝いであるタウンハウスは、建物以上に庭園にお金を掛けてある。
整えられた芝生と生垣、動物を模したトピアリー。
小さいながらも池があり、中央には美しい女神の彫像が優雅に微笑む。
細い石畳の小道に沿うように、庭師が丹精したハーブガーデンが咲き誇る。今の時期は丁度、カモミールや矢車菊が見ごろを迎えて、通行人の目を楽しませた。
まだ蕾のつる薔薇を這わせたアーチを抜け、レンガの階段を上がると隠れ家のような場所が現れる。
溝彫りと柱頭の渦巻で装飾された白い円柱とドーム型の天井のガゼボは、鳥かごのように見えて可愛らしい。
華奢な鋳物の椅子二脚と小さなガーデンテーブルだけで、いっぱいになってしまう小さなものだが、私のお気に入りの場所だ。ここでレオンハルト様と二人、のんびりと過ごす時間は何にも代えがたい。
美味しいお茶とケーキが用意されているなら、尚更。
この世にこれ以上の贅沢はないと、断言出来る。
フォークを縦に刺すと、さして抵抗なくサックリと沈み込む。
重力に負けたクランブルを皿の上に落しながら、ぱくりと口の中に放り込む。ほんのりとシナモンの香りが鼻に抜ける。次いで、煮詰めたリンゴのグラッセと、カスタードクリームの程よい甘さが舌の上に広がった。
「美味しい」
思わず、笑みと共に呟きが零れ落ちた。
するとレオンハルト様は言葉なく口角を上げる。まだ自分の分のケーキには手をつけてもいないのに、その微笑みはとても満足そうだ。
レオンハルト様の手元にあるのは、チェリーのタルト。キルシェの独特な香りとクレームダマンドの組み合わせがとても美味しいのだけれど、アルコールに弱い私は持て余してしまう。ちなみに、サバランも。
それを理解しているのだろう。レオンハルト様は、私が興味を持ちながらも注文しなさそうなものを選ぶ。そして食べたそうにしていると、一口くれるのだ。
甘い。ケーキではなく、レオンハルト様が私に甘過ぎる。彼は、私専用のダメ人間製造機な一面がある。
彼の旧友であるギュンターさんも、『人間ってここまで変わるものなんですね』って呆れていた。
「食べる?」
じっと見過ぎたのか、レオンハルト様は自分の皿を私の方へと押す。
少し考えてから、頭を振った。すると彼は悪戯を企む子供みたいな笑い方をして、「食べさせて差し上げましょうか?」と言い出す。
『可愛い』を連呼したのを、密かに根に持っていると見た。
「……結構です」
「それは残念だ」
じとりと睨んでもからりと笑うだけで、効果は無い。
さっきまでの可愛らしいレオンハルト様は、期間限定品だったらしい。そうと知っていたら、もっと堪能したのに。
不服を感じながらも、意地悪そうな顔もいいなと見惚れてしまうのだから、我ながら現金だと思う。
大き目に切り分けたタルトを食べていると、レオンハルト様の表情が真剣なものへと変わる。
「それはそうと、体調は如何ですか?」
どうやらクラウスから報告を受けたらしい。心配げに曇る表情を晴らすべく、私は笑みを浮かべた。
「見ての通り、元気ですよ。暫く立て込んでいたので、少し疲れが溜まったんだと思います」
「ならば良いんですが……。念の為、医者に診せましょう」
「えっ。そんな大げさな」
驚きに、思わずタルトを落としかけた。
強がりでも何でもなく、元気なのに。何故か自己申告を無視されて、周りが挙って重病人に仕立て上げようとしてくる。
プレリエ公爵家のお抱えのお医者様は、ご高齢な方なので、タウンハウスの方には息子の若先生に来てもらっている。
クーア族からも数人、王都の視察がてら同行して貰っていた。
でも、街での資料集めや薬の材料の選定も兼ねているので、全員、かなり忙しいはず。
医療施設計画が稼働したばかりのうちの領では、職種も身分も関係なく駆けまわっているのが現状。
一時の事とはいえ、こうしてのんびりお茶をしている身で手を煩わせるのは心苦しい。しかも元気なのに。なんなら全力で走り回れそうなくらい元気いっぱいなのに。
どうにか回避出来ないものかと頭を悩ませている私の頭上から、ふっと影が差す。見上げると、席を立ったレオンハルト様が私を覗き込んでいた。
身構える間もなく距離を詰められ、唖然としている私の頬を彼は両手で包む。怒るでもなく、苛立つでもなく、ただ静かな瞳でじっと見据えられた。
「大袈裟だ、過保護だと呆れられても構わない。誰かに迷惑を掛け、負担を強いる事になるのなら、その分の補填はオレが請け負いましょう」
真顔で淡々と話すせいで、言葉を挟む隙が無い。
反応出来ない私の手からフォークがぽろりと落ちる。皿の縁に当たって、カシャンと音を立てた。
「ローゼの体調はプレリエ領にとっても、オレ個人にとっても、何よりも優先して気にするべきものだ。貴方の命は、貴方だけのものではない」
レオンハルト様の真剣さに、息を呑む。
領主として諫められているのに気付き、反省すると共に、伴侶としての自分を不甲斐なく思った。
もしも立場が逆だったとしたら、私だって同じ事をする。
レオンハルト様に体調不良の兆しがあったら、彼に自覚症状がなくても、不安になっただろう。ただの疲労でも、軽い貧血でも、軽視して欲しくない。
「はい。ごめんなさい」
素直に謝罪すると、レオンハルト様はようやく表情を緩めた。
「貴方の心臓はここに繋がっているのだと、自覚を持って」
彼は『ここ』と言いながら己の胸の中央を、拳でトンと叩く。
目を丸くする私を、出来の悪い仔犬を見るような目で見た。
「オレを、一人では生きていけない弱い男にしたのは貴方だ。ちゃんと責任取って、最期まで面倒見てくださいね」
「!」
言うだけ言って、彼はそのままガゼボを出て行く。医者の手配をしに行ったのだろう。屋敷の方へと向かう後ろ姿を呆然と見送ってから、頭を抱えた。
ジタバタとテーブルの下で足踏みしながら身もだえる。
「あーもうっ! すき」
馬車の中で珍しく翻弄出来たと思ったら、何十倍の威力でやり返された。
悔しいけれど完敗だ。経験値が違い過ぎて、敵う気がしない。
私だってとっくの昔に、貴方なしでは生きられなくなっていますけど!?
「なんか、出会い頭に口の中に砂糖を詰め込まれた気分なんだけど」
「!?」
一人で暴れていたはずの私に、唐突に声が掛かった。
弾かれたように顔を上げると、さっきまでレオンハルト様が座っていた席に別人が、当たり前の顔をして腰掛けている。
反射的に叫びかけた声を呑み込む。
何故なら、頬杖をついているその人物の呆れ顔に見覚えがあり過ぎたからだ。
「カラス!?」
カラスは父様直属の優秀な密偵であり、且つ、私にとっても気の置けない友人でもある。でも、久しぶりに会えて嬉しいという感情よりも先に、『何故ここに?』と思ってしまった。
「どうして貴方がここにいるの?」
疑問をそのまま投げると、半目で軽く睨まれた。
「姫さんが具合悪いって噂を聞いたから、様子を見に来ただけ」
「それは、ありがとう?」
「そしたら新婚夫婦の甘ったるい遣り取り見せつけられて、胸焼けを起こしそうになってる」
「うぐ」
心配してくれたんだと感動する暇も無く、嫌味を言われた。
私だってさっきの会話シーンと、その後の醜態を人に見られていたのかと思うとダメージが半端ないんですけど。
「なに。お前はうちのお嬢さんを虐めにきたの?」
さっきまで誰もいなかった場所に、またもや人が立っている。
爽やかな笑みを浮かべながら、「なら出てけ」とカラスが座る椅子を長い足で蹴っているのはラーテだ。
虫も殺さないような上品な顔をして、ガラが悪い。
カラスといい、ラーテといい、気配がないから心臓に悪い。手品のトランプみたいに軽率に増えるの、止めてくれないかな。
「別に虐めてねぇわ」
輪を掛けて不機嫌になり、カラスは舌打ちする。
しかし神経がザイル並みに太いラーテが気にするはずもなく、飄々と躱す。
「そうだよね、ごめん。独り身のカラスは僻んでいるだけだよね」
「いやお前も同じだろうが。おっさん」
昔から気になっていたのだけれど、ラーテっていくつなんだろう。
カラスより年上なのは確からしいが、容姿はどう見ても同年代。年齢不詳にも程がある。一度だけ聞いたけれど、笑って誤魔化された。
「確かに独り身だけれど、オレの主人は若く美しい人妻。対するお前の主人は美形のおっさん。職場環境は、同じどころか天と地ほど違うよ?」
にたりとラーテは口角を吊り上げる。
カラスのコメカミに青筋が浮かんだ。
「ぶっ殺すぞ、老害」
「やれるものならやってみなよ、クソガキ」
ラーテがカラスを煽るので、この二人は寄ると触ると喧嘩を始める。相性が悪いというより、ラーテの性格が悪いんだと個人的に思っている。
人妻という言葉を意味深に使わないでほしいし、うちの父様をおっさん呼ばわりするのも止めてほしい。いや、美形のおっさんなのは事実なんだけど。
睨み合う二人を眺めながら、私は溜息を吐き出した。




