転生王女の邂逅。
過去、この世界は魔王によって滅びの危機に瀕していた。
魔物が蔓延り、人々の心は恐怖と絶望に彩られ、闇が世界を覆いつつあった。
しかしそれは、もう何百年も昔の話。魔王が封印された事により魔物は消滅し、混沌の時代を生きた人はもう一人もいない。魔王という存在は、御伽噺となりつつある。
魔物に対抗する手段の一つ、魔法が存在意義を失くし、だんだんと失われつつあるように、魔王も人々から忘れられていった。
けれど魔王は、消えた訳ではない。
光には影が、生には死が、表裏一体で付き纏う。それは切り離せるものでは無いし、片方だけでは決して成り立たない。
人の心も、同じ。愛には憎しみが、希望には絶望が、同じだけの力と可能性をもって寄り添うのだ。
人の願いが存在する限り、魔王もまた完全に消滅する事はない。
ネーベル王国に多数存在する神殿の一つに、未だ静かに眠っている。
もしこの世界が、ゲームと同じ道を辿るとすれば、遠くない未来に揺り起されてしまう訳だが。
ゲーム内において、魔王復活に最も深く関わる人物は、神官ミハイル・フォン・ディーボルトだ。
彼は、生まれながらの魔王では無い。
ミハイルは子爵家の次男に生まれた、ごく普通の少年である。
貴族の子息として何不自由なく暮らしていたミハイルだったが、地位を捨て、神に仕える道を進む事を決意。
王都にある大神殿の神官となった。
そのまま平和が続けば、ミハイルは魔王とは関わる事無く、神に祈りを捧げながら、穏やかな一生を過ごしていたであろうが、彼が十三歳の時に、ネーベル国内が荒れ始めた。
隣国ヴィントとスケルツ王国の戦争が始まり、ヴィントと同盟関係にあったネーベルも次第に戦へと巻き込まれて行く。争いは年を跨いでも沈静化せず、大陸の西半分の五か国を巻き込み、泥沼の様相を呈してきた。
そして翌年、長引く戦争に国力が疲弊してきた隙をつき、北東に位置する隣国、ラプター王国がネーベル王国へ侵攻。新たな戦争が始まった。
その上、ネーベル国内は南方より病が広がり始める。
心優しい少年であるミハイルは、国内の惨状に、民の不幸に胸を痛めた。
特別な力など持たない自分にも、何か出来る事があるのではないかと、大神殿を飛び出し、国中を回る決意をする。
怪我人や病人を看病し、子供達を助け、死者の為に祈りを捧げ、ミハイルは荒れた国内を歩き続けた。
そして辿り着いたのは、戦場に近い辺境の村。
宵の口辺りから小雨が降り出したが、村人の多くは逃げ出しており、宿も無く、彼は近くにあった神殿で、一夜を過ごす事となった。
古く、崩れかけた神殿の中、雨を凌げる場所を探す。
奥へ、奥へと進んだミハイルは、偶然隠し扉を見つけた。狭い部屋の中には、祭壇が一つ。そして祭られているのは、握りこぶし大の石ころ一つ。
不気味に思いながらも彼は、一夜だけだと部屋の隅で、休む事にした。
しかしその夜、争いに巻き込まれ、古びた神殿は破壊されてしまう。
ミハイルは瓦礫の下敷きとなり、命を落としてしまった。
そして、祭壇の石ころも同時に破壊され、封印されていた魔王は、ミハイルの躯へ乗り移り復活を果たす事となる。
……以上の事を踏まえて頂くと、今後の私のやるべき事の多さと、ゲームと現在の状況のズレの大きさを、分かっていただけると思う。
正直、頭の中の整理がつかない。紙に全部書き出して、皆で会議したい位だ。まぁ、どっちも不可能な訳だが。
文書として残すのはリスクが高すぎるし、会議をするにも、唯一の相談相手であるレオンハルト様は多忙につき、今は無理。
私に出来る事といえば、頭の中で一つ一つ整理していく事。
正直、とっくに容量オーバーなんだけどね……。
遠い目をしつつ、逃避気味に窓の外を見やる。美しく澄み渡った青空に、何故か無性に苛立ちを感じるのは、私の心が汚れているからか。
「…………」
ふぅ、と長く息を吐き出す。
己の頬を軽く二度ほど叩き、席を立った。
「ローゼマリー様、どちらへ」
「図書館よ」
取り敢えず、必要な文献を漁る必要がある。
手短に伝えて、私は目的地に向かい歩き出した。当たり前の顔でついてくる、面倒臭い護衛騎士を携えて。
「うーん……」
人気の無い広い図書館で本棚を見渡しながら、私は小さく唸った。
どれから手をつけるべきか。
私の目標は、大きく分けて三つある。
一つ目は、戦争回避。二つ目は、病気の蔓延を防ぐ。最後は、魔王の復活の阻止だ。
これらは別個の問題にも思えるが、その実、全て繋がっている。
確認しながら進める為にも、まずは地図か。
かつん、と踏み出した足音に、当然のように追随するもう一つの足音。
私は思わず零れそうになったため息を殺し、振り返る。私よりも頭一つどころか二つ分高い位置にある男前な顔を見上げ、口を開いた。
「クラウス。貴方は入口で待っていて頂戴」
「何故でしょうか。私は貴方の護衛。すぐ傍に置いて頂かなければ、職務を全うする事が出来ません」
いやいや。
至極当然みたいに言い切っているが、貴方みたいにゼロ距離な護衛、他に見た事ないからね。護衛対象にだってプライバシーと言うものがあるんだからね、一応。
よくノイローゼにならないなぁって、我が事ながら少し憐れになる位、貴方の距離感、異常だから。
「入口で、と言っているでしょう。何かあったらすぐ呼ぶわ」
「承服致しかねます」
「……」
……この野郎。
一瞬の躊躇もなくNOと言い切る男に、私は怒りと同時に危機感を覚えた。
私ももうすぐ十一歳。世間一般で言う難しいお年頃に突入する訳だ。四六時中、男の護衛に張り付かれていては不味い事もあるだろう。
それに、中身二十歳越えの私ならともかく、神子姫はこの距離感には耐えられないんじゃないか?
将来的に、クラウスは私ではなく神子姫の護衛となる。
スイッチが入らなければ紳士的だったゲーム内のクラウスならともかく、今のクラウスを渡すのは、流石に申し訳なさ過ぎる。
今後の私の為にも、将来的には神子姫の為にも。
この男には、『待て』を覚えさせなければ……!
「……クラウス」
「はい」
「跪きなさい」
「!……畏まりました」
低い声で言い放つと、クラウスは一瞬息を呑んだ。
しかしすぐに冷静さを取り戻すと、無駄の無い動作で膝を折る。目線が、私よりも少し下になった。
見上げたままでは威厳に欠けるかと思っただけで、他意は無い。
しかしクラウスは、緊張にか、頬を紅潮させている。
そんな怯えなくても別に、物理的な躾をするつもりは無いんだけど。
「貴方の主は国王陛下であると、言ったのは私。けれど、それは私の言葉を無視しても良いという事ではないわ」
「私は決して、そのような……」
「黙って聞きなさい」
「はっ」
「私が道理に外れた命令をした場合、身分など関係なく拒否して構わない。でも逆に言えば、どうしても納得が出来無いもの以外は、従いなさいと言う意味よ」
わざと威圧的な言葉を選ぶ。
命令したい訳じゃないとか、言っていられない。今後を考えれば、このままじゃ絶対不味い。
私には、成すべき事がある。それを思えば、今、この不都合は解消しておくべきだ。
「これから先、王女である私の傍に男性の護衛である貴方が、始終傍にいれるとは限らない。……いいえ、無理な場面も多くあるでしょう。その時貴方はどうするの?剣の届く距離ではないと、諦めるのかしら?」
「いいえ」
クラウスは、即座に否定した。
「貴方様をお護りする事を諦めるなど、絶対に有り得ません。騎士としての誇りと、この命に誓って」
表情を引き締め、凛とした声音が宣言する。
少女の憧れる物語の騎士のように、凛々しくも美しい様に、私は――引いた。
そこまでは求めてねぇよ、と。
「……ならば、離れていても護る術を学んで頂戴」
引き攣りそうになる表情筋を叱咤し、なんとか無表情を保つ。出来るだけ冷静に見えるよう、努力した。
「私だけを見つめるのではなく、些細な違和感や、周囲の人間の動き、言葉、異変、色んなものに目を向けるようにして。私だけを護るのではなく、時と場所と場合に合わせて、最善の行動をとって。……貴方なら、それが出来る筈よ」
そして私のプライバシーも守ってくれと、切に願う。
「ローゼマリー様……」
クラウスは、熱い息を吐くように私の名を呼んだ。
心臓の辺りに押し当てられた掌は、強い感情を抑え込むみたいに握りしめられている。私を見上げた深緑の瞳が、切なげに細められた。
「…………っ」
その目を見た瞬間。
ぞわり、と私の背を、冷たいものが伝い落ちる。
不穏な空気に動揺する私を見据え、クラウスは頭を垂れた。
「御意に」
告げた言葉は、至って簡潔。
けれど何故かその一言は、とても重く私の耳に響く。
嫌な予感がする。とっても。
肉を切らせて骨を断つ、という言葉があるが、逆をやってしまった気がしてならない。当面の問題を解決する為に、ずっと守ってきたものをぶち壊しにしてしまったかのような。
でももう、後戻りは出来無い。
「……では、クラウス。ここで待っていてくれるわね」
「畏まりました」
とても嬉しそうに了解する男に頭痛を覚えつつも、私は本を求め歩き出した。
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