或る薬師の悩み。
※クーア族次期族長、ヴォルフ・クーア・リュッカー視点となります。
オステン王国の視察が、一週間遅れで一昨日から始まった。
公爵家の代表として出迎えたのは、何故かマリーではなく旦那の方。妻に余計な虫がつくのを嫌がったレオンハルトの策略かと疑いかけたが、どうやら何か面倒な事情が絡んでいるらしい。
まぁ、何にせよ、その方が良いだろう。
プレリエ領が誇る若き女公爵は、とんでもない美人だ。意図せず恋に落とされた男達の数を考えたら、年若い王子に会わせるのは危険。
面倒ごとは、避けられるなら避けるべきだ。
幸いにも、周辺諸国の若い騎士らの憧れである黒獅子将軍の名は、どうやら遠い島国にも届いているようだ。
第三王子ハクト殿下も例に漏れず彼に憧れており、御伽噺の英雄を前にした子供の如く、目を輝かせていた。
公爵本人が歓待せずとも、問題ないだろう。
案内を担当しているロルフからも、滞りなく予定を消化していると報告を受けた。
オステン王国の国民性なのか、真面目な人間が多いので楽だ。何処かのバカ貴族に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
「ヴォルフ様」
廊下を歩いていると、背後から呼び止められた。
立ち止まって振り返ると、リリーが駆け寄ってくる。
「少しお時間宜しいですか?」
「ええ、いいわよ」
「研究所の方で今、会議をしているんですが……お話が平行線を辿っているんです」
困り顔のリリーの言葉を聞いて、オレの眉間に皺が寄る。
「頑固者の爺共が、また我儘を言っているのかしら? 設備も資材も十分過ぎるくらいなんだから、これ以上は罰が当たるわよ」
溜息と共に呆れを吐き出すと、リリーの眉が下がった。
予想に反して、「いいえ」と首を横に振る。
「お爺様達は、マリー様が提示する予算が……その、多すぎると」
「は?」
がりがりと首の後ろを掻いていた手を止めた。
唖然とした声が、勝手に口から零れ落ちる。
「え、聞き間違い? 今、『多過ぎる』って言わなかった?」
「言いました……」
力なく呟いたリリーは、周囲をさっと確認してからオレへと身を寄せる。『屈んで』という意図に従うと、耳元でひそりと、とんでもない金額を告げた。
「え、聞き間違い?」
同じ言葉を繰り返すが、動揺して声が裏返る。
聞き間違いであってくれというオレの願いを、リリーは首を横に振る事で切り捨てた。
「しかもその額すら初期投資であり、追加予算は都度、申請するというお話で……」
「マリー!!」
なにをしているんだ、あの子は!?
オレは踵を返し、目的地を執務室から研究施設へと変更する。
リリーはオレの後から、小走りで付いて来た。
「この病院建てるだけで、いったい幾らかかってると思ってるの!? しかも研究なんて、必ずしも結果が出るものじゃないのに。採算がとれるどころか、数年は赤字が続く事がほぼ決定している機関にそこまで割くなんて!」
「マリー様もその辺りは当然、ご理解されているはず。命より重いものは無いのだから、それを救う研究に掛かる費用なんて、いくらあっても足りないくらいだと仰ってます」
「っそ、れは……」
声が詰まる。
思わず足を止めてしまった。
「とても有難い、理想的な言葉よ。でも私達は、必ずマリーに結果を返せる訳じゃない。領地の経営に負担にならないよう、私達も協力して、切り詰められるところは切り詰めるべきだわ」
「『出来ないなら、出来ない事を証明しただけでも十分な成果』」
「!?」
凛とした声に、目を見開く。
肩越しに振り返った先、リリーは迷いのない瞳で続けた。
「手順や材料が違うと理解出来たのなら、違う方法を試せばいい。間違っていると気付く事で見えてくる道があるのだと」
「……成果が簡単に出せないのは、織り込み済みって事?」
脱力した私は、天を仰いだ。
病院を建てただけでも、この国、否、この世界の医療水準を押し上げるのに十分な貢献をしている。でも我が主は、その程度で満足はしないらしい。誰も見た事のない高みを目指しているのだと知って、言葉を失った。
あの子はいったい、何処までオレ達を惚れさせたら気が済むのか。
金も設備も材料も、全て用意する。他の煩わしい事は一切気にしなくていい。最高の環境を整えるから、命を救う為に尽力してくれ、なんて。
医療に携わる者なら、誰だって惚れる。この人の為に全力で尽くそうと、そう思わない人間がいるものか。
少なくともクーア族は、洩れなく全員、がっちり心を掴まれただろう。
「ああ、もう。好き」
「私もです」
顔を両手で覆った私の独り言に、リリーが同意を示す。愛を確認し合っている構図になってしまったが、相関図の矢印は双方、マリーにしか向いていない。
「……つまり、リリーはマリーを諫めて欲しいんじゃないのね?」
「私はいつでも、マリー様の味方ですので」
怖気づいている爺共の方をなんとかしろと、そういう事か。
なるほど、オレが適役だ。
「正直、私も金額を聞いて腰が引けてしまいました。でも、そのくらいマリー様は私達を信頼してくれているんだなって、思ったんです」
「……そうね。身が引き締まる思いだわ」
狡い人間は何処にでもいる。
そして、努力で登った階段を堕落で滑り落ちるのは一瞬。マリーの誠意は、相手によっては猛毒となり兼ねない。
でも彼女は、オレ達を信じてくれている。
予算が潤沢で、生活が安定していても、努力を怠る人間ではないと認めてくれているのだ。
「素直に嬉しい。……でも、ちょっと話し合いが必要ね」
喜びを噛み締めてから、すんと表情を消す。
私達は裏切らないし、目の届く範囲にいる奴には絶対に裏切らせない。
でも、これから規模が大きくなり、受け入れる人数も増える。その全員が全員、清廉潔白とは限らない。
「方向性は賛成だけど、条件はガッチリ厳しくさせましょう」
「はい!」
良い返事をしたリリーと共に、再び、研究施設を目指した。
「あら?」
道中で、見慣れた姿を発見する。
褐色の肌と硬そうな灰色の髪、琥珀の瞳。ここ数年でかなり背が伸びて、顔立ちも大人びてきたけれど、マリーには相変わらずの小生意気なクソガキ対応。
でも仕事は、とても真面目に熟す部下。
「ロルフだわ」
「休憩中のようですね」
休憩所に繋がるデッキで、若い男と話しているのはロルフだ。
話し相手の顔は見えないが、長い黒髪からオステン国の王子殿下だろうと予想がつく。




