転生王女の戦い。(2)
レオンハルト様の左手の指先から、血が伝い落ちる。
ぽたりと床に滴る様子に血の気が引いた。
傷口があまりにも痛々しくて、目を背けたくなった。でも。それは駄目。
あの傷は私の為に負ったもの。
彼が感じている痛みも苦しみも、私のせい。なら、私が目を逸らしてどうする。
唇をきつく噛み、遠のきそうになった意識を引き戻す。
「……?」
唇の痛みを感じながら、ふと思いついて指先に力を込めてみる。相変わらず自由にはならないけれど、微かに動いた。
軽い動きなら出来るようになっている。そうか、レオンハルト様に割いた力分、私への支配に綻びが出来たのかも。
たったこれだけの自由では、逃げるのは無理だ。
でも、何か出来るかもしれない。チャンスを逃さないように集中しよう。
ぐっと腹に力を入れて、しっかり両足で立った。
『……貴様は、ここで潰しておいた方が良さそうだな』
頭に響く声が、一段階低くなった気がした。
込められたのは殺気か、威圧か。向けられた訳でもない私の背筋が寒くなる。しかしレオンハルト様は微塵も怯む事はなかった。
「やってみろ」
レオンハルト様はそう言って、挑発的な笑みを浮かべる。
剣の柄を持つ右手に血に汚れた左手を添えた。
床を蹴って、私の前へと躍り出る。
袈裟懸けに振り下ろされた剣をナイフで弾く。痺れた私の手が止まっている間にも攻撃は続く。横に薙ぐような攻撃を、体を捻って躱す。
一旦後ろへ下がってから、今度は私から距離を詰める。
レオンハルト様の首に向かって突き出したナイフを、彼は最低限の動きで避けた。私の腕力の無さを手数で補うように、ナイフを幾度も振り下ろす。
首、目、心臓と致命傷となる場所を狙った攻撃は、全て空振り。苛立ったように黒猫が私の腕に爪を立てるのと同時に、レオンハルト様の体が揺らぐ。
またしても魔法の力を強めたのか。苦し気に顔を顰める彼の心臓目掛けて、ナイフを突き刺した。
「っ、く……っ!」
手に力を込めて、抵抗する。
たぶんコンマ何秒かの時間稼ぎにしかならなかったと思う。
それでもレオンハルト様には十分だったのか、隙間に滑り込ませた剣の鞘でナイフを防いでくれた。
無事だった事に安心できたのは一瞬で、私の手はすぐに次の攻撃へと移る。
首筋を狙った刃が掠って、黒髪が一房散った。次は皮膚を掠めて一筋の傷を残す。少しずつ確実に当たるようになってしまった攻撃に蒼褪めた。
たぶんレオンハルト様の体には、相当な負荷がかかっている。
長引かせては駄目だ。
でも、どうしたらいいんだろう。私が自分の体を動かせるのは、ほんの少しだけ。
ナイフを離したいけど出来ない。
手や足は攻撃に直結するからか、そこまで自由が利かない。一瞬だけ動きを止めるのがせいぜいだ。
目や口は動かせるから喋れるけれど、今の状況を言葉で打開できるとは思えないし。
レオンハルト様のように、痛みで少しは自由が利くようになるのかな。
さっき唇を噛んだけれど、いまいち実感は薄かった。もっと強い痛みって事……?
唇に舌を当てたところで、思いついた。
唇では痛みが足りないなら舌は?
「っ……」
考えただけで体が竦む。
痛いのはいや。弱っちい私は、辛いのも怖いのも痛いのも嫌いだ。ちょっと噛むだけって思っても、怖い。
でも、レオンハルト様が。
私が怖気づいている間に、レオンハルト様に小さな傷が増えた。
爪を二枚も剥いで、切り傷だらけになって。それなのにまだ、私の為に戦ってくれている。
後退したレオンハルト様は、肩で息をしていた。じっと見ている私の視線に気付いたのか、目が合う。
「!」
今が戦いのさなかである事も忘れるくらい、レオンハルト様は優しく笑った。
私を安心させる為であろうそれには、痛みや苦しみは微塵も混ざってなくて。ただ、ただ私への労りが込められている。
それを見て、心が決まった。
自分を傷付ける覚悟が決まったんじゃない。逆だ。レオンハルト様が必死に守ろうとしてくれる私を、私自身が傷付けてどうする。
ネガティブな気持ちが引っ込んだら、少しだけまともに頭が働くようになった。
そもそも眠りの魔法と、体を支配する魔法の解除方法が同じとは限らないし。痛い思いして効果なしだったら馬鹿馬鹿しいもんね。
もっと建設的な事を考えよう。
ふんす、と意気込む。
さっきみたいに、手を一瞬だけ止めるタイミングを計るのはどうだろう。レオンハルト様が打ち込んできたのに合わせたら、ナイフを取り落とせないかな。
もしくは足に力を込めて、攻撃のタイミングをずらすとか。
でもそれじゃ、逆にレオンハルト様の邪魔をしてしまうかも。運動神経に致命的な欠陥がある私では、彼の動きに合わせるのは難しい可能性も高い。
悶々と考えている間にも、戦いは続く。
レオンハルト様が振り下ろした剣を避ける為に後方へ跳ぶ。その瞬間、頭に閃いた。
ここだ!
ひらりと優雅に跳ぶ足に、余計な力を込める。
バランスを崩した体が、大きく揺れた。
運動神経がないなら、それを利用してやる。転ぶのは大得意だから!
「っわわっ!」
しかし残念ながら、体勢を崩しただけで転ぶ事はなかった。腕の中から滑り落ちかけた黒猫は、前足の爪を引っかけて、肩へと昇る。
駄目ならもう一回だと意気込む私の耳に、ひゅっと、空気を裂く音が届いた。
『っぐ』
頭に苦し気な声が響く。
私の肩に上った黒猫の首輪に、レオンハルト様は剣の先を滑り込ませるように引っかけて持ち上げた。
「フヅキ殿!!」
「っふぇ!?」
レオンハルト様の鋭い声に、花音ちゃんの戸惑ったような声が続く。
「受け取れ!」
黒猫の体が、空中に投げ出される。
「えええっ!?」
戦いの巻き添えを食わないように端に避けていた花音ちゃんは、慌てて駆け出した。




