転生王女の悪夢。
※残酷な表現がありますので苦手な方はご注意ください。
気がついたら、暗闇の中に立っていた。
前方にはただ純粋な黒が広がっている。目を凝らしても何も見えない。距離感も定かでないので、前に向かって手を伸ばしてみた。指先に触れる感覚はなく、一メートル弱の距離には何もないと分かった。
緩慢な動作で周囲を見回しても同じ。ただ暗闇だけが広がっていた。
そもそも、どうして私はここにいるんだろう。
どうやってここまで来たのかも、分からない。
霞がかったようにハッキリしない頭を働かせて、記憶を掘り起こした。
私、何していたんだっけ?
確か、ベッドで眠っていたような……。
記憶を手繰り寄せると、中庭で寄り添う男女の姿が思い浮かぶ。
そうだ。私、失恋したんだっけ。
思い出しても、相変わらず実感はない。紗幕の向こう側の景色みたいに輪郭の朧気なソレは、他人事めいてすらいた。
私自身の感情が追いついてこなくても、体は不調を訴えて、そのままベッドで眠っていたような気がする。
途中で外が騒がしかったようだったけれど、確認するのも億劫で、布団を頭から被って眠り続けた。
そこから記憶が、ぱったりと途絶えている。
眠ったまま、フラフラと彷徨っていたんだろうか。夢遊病の兆候があると誰かに指摘された記憶はない。朝起きたら知らない場所にいたという経験もない筈だ。
それとも急に発症するケースもあるんだろうか。
棒立ちしたまま考え込んでいたけれど、いつまでもこうしている訳にはいかない。
流石に城の外には出ていないだろうし、ひとまず部屋に戻ろう。
そう判断して、ふと足元に視線を落とした。
「……?」
足元に、何かがある。
黒い影のような塊。何があるのか確認しようと目を凝らすけれど、暗くて見えない。大きさも厚みもそれなりにある。
丁度、私が蹲ったくらいの大きさだろう。
足元のそれに気を取られていると何処かで、キィと軋む音が鳴った。
少しだけ開いた扉が、ゆらゆらと不安定に揺れている。開いた隙間から細く光が差し込んだ。室内が淡く照らされる。
薄まった暗闇の中、室内の様子がうっすらと目に映った。飾り気のない部屋をぐるりと見回してから、足元に視線を落とす。
得体の知れない塊の正体を見極めようとした私は、一瞬息を詰める。呼吸を止めたまま、大きく目を見開いた。
「…………ひっ……!?」
乾いた悲鳴が洩れる。
床に広がる髪の毛、青白い小さな顔。細い首に華奢な肩、力なく投げ出された小さな手。塊の正体は、人だった。
ピクリとも動かないその人の腹は、真っ赤に染まっている。ひと目で、致命傷だと理解出来てしまう程に、大量の出血だった。
人が。人が、死んでいる……?
受けた衝撃が大きすぎて、ふらりと足元が揺らいだ。
恐怖と焦燥に叫びだしそうになって、口を両手で塞ごうとする。
その段階で、自分が右手で何かを握っている事に気付いた。
何かを持っていた記憶はない。それに、今まで気付かなかった事が不思議で、握っていた物を目の前まで持ってきた。
短い棒状の何かは濡れているようで、ポタリと雫が床に落ちる。薄暗い中、黒い液体に塗れたソレの一部が、ギラリと光を弾いた。
「……なに、これ……?」
鋭い刃と、纏わりつく黒い液体。……否、黒ではない。赤だ。赤黒い液体がナイフの刃から私の手へと伝い落ちる。
「いやっ……!」
放り投げたナイフは床に落ちて、血溜まりに波紋が広がった。
心臓が壊れてしまいそうな勢いで鼓動を刻む。
短く呼吸を繰り返しても、酷く息苦しい。頭が割れそうに痛んだ。
わたし……、私が、やったの?
私が殺した? 嘘、そんな訳ない!
混乱した頭を抱えながら、ゆっくり後退る。
だって、そんな事をした記憶もなければ、する理由もない。
何かの間違いだ。私はやってない。やっていないはずだ。
頭の中で繰り返しながら、また一歩距離をとる。
目を逸したくても視線は縫い留められたように、床に転がる体へと向く。
細くて、小柄な体。私と同じくらいの女の子だろう。
紺色のプリーツスカートから投げ出された足も、簡単に折れてしまいそうに細い。
……まって、……ちがう、違うよね。
服装に、見覚えがあった。むしろ、彼女以外にその服装をしている人を見た事がない。前世の日本ではよく見た姿でも、この世界では珍しい。
ちがう。ちがう、ちがう、ちがう。そんな訳ない。
祈るような気持ちで繰り返しながら、遠ざかった体にゆっくり近づく。
ひゅうひゅうと、喉が耳障りな音をたてる。上手く息が吸えない。
青白い顔にかかる髪の毛を、震える手で退かす。
大きく見開かれた目に生気はなく、木の虚のようだ。薄く開いた唇は青ざめ、頬は真っ白。健康的な美少女であった彼女とは似ても似つかない様相ではあったが、見間違えはしない。
異世界から来た、神子姫。
物言わぬ死体となって転がっていたのは、花音ちゃんだった。
「……うそ」
悲鳴の代わりにこぼれ落ちたのは、些細な物音にも掻き消されてしまいそうな小さな呟きだけだった。
さっきまでの恐怖は遠ざかって、現実味のない絶望感が襲いかかってくる。
……私が、花音ちゃんを殺した?
なんで。そんな事する訳ない。そんな事をする理由がない。
本当に?
必死に否定する声に重なって、誰かが問いかける。
本当に理由がないのか。本当に心当たりがないのかと、立て続けに疑問をぶつけてくる。
本当に私は、彼女を恨んでいなかったの?
「そこにいるのは誰だ!?」
扉が開いて、誰かが入ってくる。
聞き覚えのある声は、今、一番聞きたくなかったもので。
彼は花音ちゃんの傍らに膝をついて、華奢な体を抱き起こす。
事切れている彼女の体を抱きしめた彼は、私を見た。
漆黒の瞳が絶望に染まっていく。
「姫君……貴方が……?」
違うと叫びたいのに、声が出ない。
『違わないさ。オマエが、殺した』
頭の中に、誰かの声が響く。
違う、違う、違う……!
私はそんな事しない。花音ちゃんは私の大事な……。
『友達だとでも言うのか。長年思い続けてきた愛しい男を奪われて、それでも友達だと?』
……っ、それは、……それでも。
大切な人には、違いないもの。傷つけたくなんて、ない!
『正直になれよ。諦めたくないんだろう? どんなに綺麗事で覆い隠そうとも、オマエの中に渦巻く欲望は、消せやしない』
私は、そんな事……。
『欲望のままに、奪え。殺せ。全部オマエの望むがままに』
止めて……!!
「……っ!」
叫んだ瞬間、目が覚めた。
真っ暗な部屋の中、自分の荒い呼吸の音だけが響く。
恐怖で体が動かない。周囲を確認する事だけでさえ、酷く恐ろしかった。
震える手を寝台について、ゆっくりと体を起こす。全身汗だくで、夜着が肌に張り付いていて不快だ。
まだ夜明け前なのか、辺りは薄暗い。
でも目が闇に慣れて、室内の様子がうっすらと確認出来た。
ここは、見慣れた自分の部屋。室内には誰もおらず、足元に死体も転がっていない。
……夢。
そう理解すると共に、全身から力が抜けた。
両手で自分を抱き締めると、全身が小刻みに震えていた。
「だいじょうぶ……大丈夫よ、さっきのは悪い夢」
自分に言い聞かせるように繰り返す声も、掠れて震えている。
私は花音ちゃんを殺したいなんて思ってない。
憎んでもないし、恨んでもいない。
『諦めたくないんだろう?』
「……っ」
脳裏にさっきの言葉が思い浮かぶ。
心の奥底を見透かされた心地だった。
失恋したと頭が理解しても受け入れられないのは、私がまだレオンハルト様を好きだから。彼を好きな気持ちは、僅かばかりも目減りしていない。
諦められるはずなど、なかった。
じゃあ、もしかして。
他の言葉も私の本心なんだろうか。
私はレオンハルト様の気持ちなんて関係なく、花音ちゃんから奪いたいと思っている?
レオンハルト様を傷付けても。花音ちゃんを……殺めてでも?
ただの夢と呼ぶにはあまりにも生々しい、凄惨な場面が脳裏に浮かんだ。血溜まりに横たわる華奢な体と、虚ろな瞳がフラッシュバックする。
ゾクリと、背筋を冷たいものが伝い落ちる。
一際大きく、体が震えた。
怯えを振り払う為に、慌てて頭を振る。
どんなに醜い感情が私の中にあっても、理性でしっかりと押さえ込めば最悪の事態は避けられる筈だ。弱気になっては駄目。私の行動を決められるのは、私だけなのだから。
そう自分に言い聞かせた途端、頭の中にさっきの夢の声が蘇る。
『欲望のままに、奪え』
「そういえば……あの声は、なに?」
私の心の声だというには、違和感があった。
聞き馴染みのないような、あるような。性別どころか年齢さえも定かでない。
ザラリとしていて、耳障りなノイズみたいに不鮮明で。沢山の声が重なったみたいな不協和音。
「……まさか」
破滅の象徴。この世の厄災と呼ばれた存在を表す単語が、脳裏に浮かぶ。
もしソレが、私の中にいるのだとしたら……――。
考えうる限り、最悪の想像だった。
「そんな……」
呆然とする私が虚ろな目を向ける先、暗闇の中で黒猫がじっと私を見つめていた。




