護衛騎士の不安。
※ローゼマリー付き護衛騎士、クラウス視点になります。
コツリ。靴音を響かせて、とある一室の前で立ち止まる。
重厚なマホガニーの扉を見据えたオレは、苛立ちを振り払うように、短く息を吐いた。
人差し指と中指の背で、扉を三度打つ。さして間を空けずに中から誰何する声が返った。
「クラウスです」
入室の許可が下りてから、ドアノブに手をかける。
飾り気のない部屋の奥、執務机に積み上げられた書類の向こう側に団長はいた。
団長の顔からは、先週まで色濃く残っていた疲労の色が消えている。目元の隈も薄くなって、顔色も良くなった。
上司の体調が良くなったのは、喜ぶべき事だろう。
しかし、素直に喜べない自分がいる。先日この部屋で、オレが見ていない間に起こった出来事が関係しているのかと考えるだけで苛立ちが込み上げた。
ローゼマリー様に聞いても教えてくれないから余計に、勘ぐってしまう。
オレの大切な主人に一体何をしやがったと、掴みかかりそうだ。
「……何だ、その顔は」
よほど酷い顔をしていたのだろう。団長は眉を顰めて問う。
「生まれつきです」
居丈高に言い放つと、呆れ顔で団長は「そうか」と呟いた。
報告書を手渡すと、すぐに目を通し始める。不備があった場合にすぐ訂正出来るようにと、その場に留まる事にした。
手持ち無沙汰のオレは、団長の顔を不躾に眺める。
男の顔なんて見ても面白くもなんともないが、ローゼマリー様がお好きな顔だと思うと興味が湧く。
書面の字を追う濁りのない黒色の瞳に、長い睫毛が影を落とす。秀麗な額にかかる黒髪は硬そうで、少しクセがあった。凛々しい眉に通った鼻筋。形の良い唇は引き結ばれている。
表情がないせいか、彫刻めいた美しさが際立った。
何処かに欠点はないのかと、ムキになって探したくなってくる。
勝てる部分が一つや二つはある筈。頼む、あってくれ。
「……クラウス」
睨みつけるように観察していると、団長は視線を書類に落としたまま口を開いた。
「視線が煩い」
見るなと言外に告げる彼は、涼しい顔のまま。
取り乱した格好悪い姿でも晒してくれたなら、少しは溜飲が下がるというものだが。
「すみません。団長の顔色が良くなったように見えたので」
申し訳無さなど微塵も感じていないが、口先だけの謝罪をする。
ついでのように「何か良い事でもありましたか」と付け加えると、ぐしゃりと何かが潰れた音がした。
何の音だと探る前に、団長の手によって握りつぶされた紙が目に入る。しわくちゃになった書類が音の出処だったらしい。
ローゼマリー様の傍に侍るという至福の時間を、十二分間も割いて作成した書類に何をしてくれてやがるんだ。
「団長」
抗議の意味を込めて呼ぶが、団長は心ここにあらずといった様子。何も持っていない方の掌をじっと見つめ、何かの感触を思い出すかのように握ったり開いたりを繰り返している。
意味不明だ。そう、意味不明なのに、その仕草を見ているだけで不快になるのは何故だろう。
「団長!」
「……っ」
先程よりも大きい声で呼びかけると、団長はハッと我に返る。
「……クラウス」
長い沈黙の後、団長は顔を上げる。
平静を取り繕ってはいたが、迷うように一瞬揺れた瞳を見て、未だ混乱している事を察した。
若くして近衛騎士団長に就いただけあり、団長は有事であっても取り乱す事のない人だ。それが、こうも分かりやすく動揺するとは。
「先日、お前はここに……いや、あの方は」
躊躇するかのように、言葉が途切れる。
しかし、団長の問いをオレは正確に理解した。
先日、ローゼマリー様はこの部屋を訪れたか。
そう聞きたいのだろう。二人の間に何があったのかは知らないけれど、事実を確認したいらしい。
つまり団長は寝ていて、ローゼマリー様が来た事に気付かなかった。……いや、それならオレに確認するのはおかしい。という事は、寝惚けていて夢か現実かの判別がつかないと。
……ふざけんな。
あんなにもお可愛らしい顔をさせておきながら、寝惚けていただと!?
ていうか、本当に何しやがった。
ちょっとした接触程度なら、初心なローゼマリー様ならともかく、団長が動揺するとは思えない。
嫌な想像が頭の中に浮かび、自然と拳に力が籠もる。
噛み締めた奥歯が、ギリと不快な音を立てた。
殴り倒して縛り上げ、犯罪者として突き出してやりたい。
不敬罪で処分されればいいのにとも思う。
しかし、オレの大切な主人がそれを望んでいない。
あの時のローゼマリー様のお顔には、不快さは微塵もなかった。恥ずかしそうではあったが、同時にとても幸せそうで。
……本当に、なんでこの男なんだ。
目を伏せたオレは、虚しさや苛立ちを全て詰め込んだ、長い溜息を吐き出した。
「……先日、こちらまでご案内致しました」
知るかと吐き捨てたい本心を堪えて事実をそのまま伝えると、団長の切れ長な瞳が見開かれる。
「!」
部屋の外で待機していたので、それ以上は知らないがと付け加えても返事はない。
呆けた顔で団長は、再び己の掌を見つめる。
「つまり、あれは……夢ではない、のか……?」
独り言のように呟いて、掌を握りしめる。
端正な顔が一拍置いて、ぶわっと赤く染まった。
「!?」
何事かと呆気に取られる。団長の赤面なんて珍し過ぎるものを前に、すぐに反応出来なかった。
「やらかした……!」
団長は真っ赤になった顔を片手で覆い、机に突っ伏す。
机に叩きつけた拳は派手な音を立てたが、痛みも気にならない様子で羞恥に悶え、呻いている。
さっき望んだ、取り乱している格好悪い姿を嫌という程見ているが嬉しくない。ローゼマリー様に見せてやりたいという意地の悪い気持ちすら起こらないのだから、相当だろう。
正直、ドン引きだ。
「団長……何しやがったんですか」
「…………いや」
低い声で問うと、団長は長い沈黙の後に目を逸らす。
態度も声も全てが、疚しい事がありますと馬鹿正直に告げている。やっぱり処そう。
それから何度問い詰めても、団長は口を割らなかった。
その代わりではないだろうが、苦笑いのまま、オレの暴言を咎めずに聞いている。
「あの方の嫌がる事をしたら、オレが許しませんよ」
睨みつけて言うと、団長は軽く目を瞠る。
その後、目を眇めた彼は何かを思案するように視線を落とす。
「そうだな。……その時は遠慮なくやってくれ」
思いの外、硬い声だった。さっきまでの苦笑は消え、表情も真剣だ。
「オレがあの御方に危害を加えようとしたら、躊躇いなく斬り捨ててほしい」
「……は」
想像もしていなかった言葉に、オレの口から唖然とした声が洩れる。
「一体、何を……」
たちの悪い冗談を言うなと切り捨てたかったが、真剣な表情を見れば、それが嘘でも冗談でもないと分かる。
何か言わなくてはと思うのに、何も思い浮かばない。
シン、と冷えたような静寂が、室内に流れた。
団長は少し表情を緩め、ふと息を零す。
「すまん。冗談だ」
苦笑いを浮かべた団長は、話はこれまでだと言うように、書類へと視線を戻した。しわくちゃになった紙を戻そうとする団長は、いつもの団長だった。
その後すぐに別の近衛騎士がやってきて、話は有耶無耶のまま終わってしまう。
きっと話を蒸し返しても、はぐらかされるだろう。明確な根拠はないが、何故かそう思った。
印を貰った報告書を受け取り、退室する。面倒な仕事を終えて、ようやくローゼマリー様の元へ帰れるというのに気分は晴れない。
言い知れない不安のようなものが、ずっと心に蟠っていた。




