第一王子の驚愕。(2)
私を含めた皆が黙って見守る中、少女の目に、ゆっくりと生気が宿っていく。
緩慢な動作で室内をぐるりと見回した後、長い睫毛が瞬いた。
そして何度か、同じ動作を繰り返す。一度目はおそらく現状を把握する為に、無意識で。二度目は自分が見たものが信じられなくて確認するように。三度目は夢であってほしいと希望に縋るような面持ちだった。
大きく見開かれた瞳からは、大きな驚きと戸惑いが読み取れる。
「は、え? うん?」
少女らしい高めの声が、意味を持たない音を発する。
「え、え? ここどこ? ……ゆめ? なんか、すごーくリアルな夢みてる?」
細い指先が、柔らかそうな己の頬を摘む。痛い、と呆けた声を洩らすのに、心が痛む。妹……ローゼよりも幼い仕草を見て、罪悪感が湧き起こった。
自分達も背負いきれないものを、こんな子供に背負わせるなんて許されるのか。
動揺して動けない私の隣で、国王が一歩踏み出す。
アルトマンの横を通り過ぎ、落ち着かない様子で視線を彷徨わせる少女の前へと進んでから、国王は口を開いた。
「異世界からの客人よ」
「ひぇ」
話しかけられた少女は、小さな悲鳴を洩らす。
大きな目で、国王の顔をまじまじと眺めた。
「目が、目がちかちかするよぅ……」
少女は、光源でも見てしまったように目を細めて呻く。
しかし国王は少女の言葉を気にした様子もなく、話を続けた。
「色々と混乱しているだろうが、説明はもちろんしよう。だがその前に、こちらの都合で、身勝手にも呼び寄せてしまった非礼を詫びたい」
申し訳なかった、と平坦な声で告げる。
謝ったのだと理解するまで、数秒を要した。相変わらずの無表情で、横柄にも思える態度だが、あの国王が謝罪。その事実は私に、大きな衝撃を齎した。
「えーっと、えと、その、何がなんだかよく分からないんですけど……」
謝られて面食らった少女は、困った顔でもごもごと呟く。
「そうだろうな。貴方への謝罪は、私の自己満足だ。受け止める必要も、許す必要もない」
「は、はあ……」
無表情のまま淡々とした様子で返されて、少女の戸惑いは大きくなったようだ。少女の中の『謝罪』という定義から外れた言動だからだろう。
一般的には、謝罪されたら、許すか許さないかの二択になるはず。だが、どちらも必要ないと国王は言った。では、なんの為の謝罪か。
己の気持ちを軽くする為の自己満足、というごく普通の感覚が国王にある筈もない。
被害者と加害者という立ち位置を、はっきりさせる為だと推察する。
少女に不利益な選択を迫る時に、従う以外の選択肢があるのだと示しているのではないだろうか。
もちろん、それが罪悪感や善意が言わせた言葉ではないと私は考える。
なにかしらの思惑があるのか、それとも。
「場所を移してから、詳しい説明をしよう」
誘導するように、国王は踵を返す。
迷っているらしい少女の背に、アルトマンはそっと手を添える。「こちらへどうぞ」と示されるのに抵抗はせず、少女は恐る恐る歩きだした。
別室に移動したのは、国王と少女の他には、私とアルトマン、それと護衛のレオンハルトだけだ。
ルッツ・アイレンベルクとテオ・アイレンベルクは、かなり消耗しているようなので、今頃休んでいるだろう。
応接間に通された少女は、キョロキョロと落ち着きなく周囲を見回している。
布張りのソファーの隅に腰掛けた彼女は、酷く居心地が悪そうだった。
私達の顔を順番に見つめてから、またしても眩しそうに目を細める。
ボソボソと小さな声で何事が言っているようだが、よく聞き取れない。顔面偏差値がどうのと聞こえた気がしたが、意味は分からなかった。
「まずは、貴方の置かれている状況の説明からだな」
国王の言葉に、少女は身を乗り出して頷く。たぶん、一番知りたい事だろう。
「ここは、貴方の生きていた世界ではない」
「!」
少女は息を呑む。
「国の名は、ネーベル王国。私は国王、ランドルフ・フォン・ヴェルファルトという。ある目的の為に、部下を使い、貴方を召喚魔法で呼び寄せた」
「ちょ、ちょっと待ってください。召喚とか、魔法とか、小説や漫画じゃあるまいし」
掌を突き出し、少女は国王の説明を止める。
国王の話を止めるなんて無礼だと咎める人間は、この場にはいない。当の本人も気分を害した様子もなく、平時の無表情だ。
「『漫画』とやらが何かは分からないが、事実だけを話している」
端的に返されて、少女は言葉に詰まる。
「魔法を使える人間は少ないが、確かに存在している。ここに貴方がいる事が、何よりの証明だとは思わないか」
「それは……」
「すぐに信じられなくても構わない。こちらの願いを聞き届けるかどうかも、説明を聞いてから判断してくれ」
少女は迷うように暫く沈黙していたが、やがて小さく頷いた。
少女は、フヅキ・カノンと名乗った。
家名がフヅキで、名前がカノン。彼女の住む国では、家名が先にくるという。
年齢は十五歳。
『女子校』と呼ばれる学び舎で、帰宅前、友達を待っている最中に召喚されたそうだ。纏っている不思議な衣は、その学び舎の制服らしい。
フヅキの簡単な自己紹介を聞いてから、国王は簡潔に説明をした。
魔王という存在が、この世界の平和を脅かしている事。
現在は封印されているが、いつ解けてもおかしくない事。
そしてフヅキが、魔王を消滅させる力を持っている可能性がある事。
無駄を省いた説明を聞いているうちに、フヅキの顔色がどんどん悪くなっていく。
冷や汗をかきながら沈黙していた彼女は、『魔王を消滅させる力』のくだり辺りで、耐えかねたように叫んだ。
「ないないない! 有り得ないです! 私は、どこにでもいるごくフツーの女の子ですからぁ!」
首を痛めてしまうのではと心配する勢いで、頭を振る。
「そういうのは勇者とか聖女とか、なんか、すっごい人達にお願いしてください。平凡な女子高生には荷が重すぎますっ」
フヅキの反応は、ごく自然なものだった。
平穏な日常を過ごしていた少女に、魔王だの世界平和だの言っても、背負いきれるものではないだろう。
国王はフヅキの言葉を聞いて、ふむ、と頷いた。
「貴方の世界には、勇者や聖女がいるのか?」
「へ? い、いいえ。今はたぶん、……いないと思います」
唐突な質問に、フヅキは虚を衝かれた様子だったが、素直に答える。
「なら、どこにどのように現れるのだ?」
「えっとぉ、小説とか漫画では、異世界から召喚された、り……」
記憶を辿るように視線を上に向けながら話していたフヅキの声は、だんだんと小さくなって、最後には消えた。
墓穴を掘ったと、自分でも気付いたのだろう。
「なるほど。貴方と同じだな」
国王の言葉の、なんとわざとらしい事か。
「そ、それはそうかもですけどぉ……、私には特別な力なんてありませんし」
「その召喚された者達は、元の世界でも力を持っていたのか?」
「…………」
フヅキは黙り込んだ。
しかし向けられる視線に耐えかねたのか、視線を逸らしながら口を開く。
「……たぶん、違います。召喚される時に、神様によって不思議な力を授けられたりするような……」
なにも馬鹿正直に、そこまで話す必要はないのに。
私の大切な妹に似た不器用さに、顔を覆いたくなった。可哀想で見ていられない。
「ならば、異世界より招かれた貴方に、不思議な力が宿っている可能性もあるという事だな」
国王の追い打ちに、少女は三十秒近く固まっていた。




