転生王女の懐古。
イリーネ様から説明を受けて理解出来たのは、神子姫召喚と魔王消滅について、私に出来る事はほぼ無いって事だ。
魔法陣や召喚魔法を構築する知識も魔力もないし、仕組みを聞いた後では代替案も思い浮かばない。
下手に動いたら、逆に危険を増やす気さえする。
護衛の皆さんの手を煩わせないよう、大人しくしているのが一番だろうと結論づけた。
そうして、ここ数日はダンスレッスンやドレスの採寸など、普通の令嬢みたいな日常を過ごしている。
そんな平和な日の午後に、兄様がやってきた。
自室で読書をしていた私は、突然の訪問に驚きつつも出迎える。
「久しぶりだな、ローゼ。変わりないか?」
「はい。兄様は……あまり元気そうではありませんね」
北の砦から帰ってきてから、一度は顔を見せに行ったけれど、忙しそうだったのであまり話は出来なかった。
その時も顔色が悪かったけれど、時間が経ってもあまり改善されていない様子。
「可愛い妹に会えなかったからな」
真顔で冗談を言っているが、相当忙しいのは見なくても分かる。
まず、神子姫召喚と魔王消滅に関するプロジェクト。
ラプターから送り込まれる暗殺者。リーバー隊長の逝去に伴い、騎士団の編成も変わった。
それに私が父様にお願いした病院設立の件もあるし。
のんびりと読書しているのが心底申し訳ないと思う程度には、慌ただしいんだよね。
「お疲れでしたら、少しでもお休みください」
「寝るよりも、お前に会える方が癒やされる」
「心よりも頭と体を休めてくださいませ」
妹相手に真顔で甘い言葉を囁く兄様を、一蹴する。
「お茶を用意させますから、まずおかけになってください」
足取りはしっかりしているが、青褪めた顔色を見ていると心配になる。
背中を押す勢いで、ソファーに向かわせた。
そんな私達のやり取りを、護衛であるレオンハルト様は微笑ましそうな目で見ている。ちょっと恥ずかしい。
されるがままだった兄様は、何かを思い出したかのように一度足を止め、レオンハルト様を振り返った。
「部屋の外で待機していてくれ。帰る時は声をかける」
兄様の発言に驚いて、私は目を丸くする。しかしレオンハルト様は苦笑いを浮かべて、「かしこまりました」と了承した。
私の護衛であるクラウスを連れて、退室してしまう。
「宜しいのですか?」
平和過ぎて実感が薄いけれど、一応、兄様も私も暗殺者に狙われている立場だ。
そして実感が湧かないのは、守ってくれている人達のお陰である訳で。
「信頼しているからな」
少し離れた程度、全く問題ないと言い切る兄様に、それもそうかと納得する。
「急ぎの仕事は片付けたんだ。少しくらい、兄妹水入らずの時間を望んでも、バチは当たらないだろう」
「分かりました。では、お茶を……」
「いい。必要ない」
おいでと手招かれて、隣に腰を下ろす。
「まずは、これを渡しておこう」
そう言って兄様が取り出したのは、シンプルなクリーム色の封筒。赤い封蝋の刻印には、見覚えがあった。
「ヨハンから?」
「ああ。私宛のものと一緒に届いたから、配達がてら抜けてきた」
差し出された手紙を受け取る。
隣国ヴィントに留学しているヨハンは、そろそろ帰国する筈だったけれど……もしかして、もう一年延期したいとか、そういう話だろうか。
「兄様はもう、ご覧になったのですか?」
「ああ。帰国が少し遅くなると書いてあった。懇意にしていた方が、亡くなったそうだ」
「! ……それは、もしやギーアスター卿でしょうか?」
青褪めた私の問いに、兄様は頷いた。
ハインツ・フォン・ギーアスター。
隣国ヴィントの西方一帯を治める辺境伯であったが、息子であるフィリップの犯した罪で、領主の地位を剥奪される。
持病であった心臓の病が悪化し、病床に伏せていた。
「今は葬儀に出席する為、グレンツェに向かっている。ネーベルに帰ってくるのは、来月以降になるだろう」
「そう、ですか」
直接会えたのは一度だけだが、訃報を聞くとやはり辛い。
長年の交流があり、懐いていたヨハンの哀しみはどれほどのものだろう。事前に病の進行具合を聞いていたとはいえ、辛いのに変わりはない。
私か兄様が、傍にいられたらいいのに。
ああ、でも、ヨハンには苦しみを分かち合える親友がいる。ナハト王子が傍にいてくれたら、きっと大丈夫だろう。
俯いていた私の頭を、兄様が撫でる。
顔を上げると、慈しむような眼差しとかち合った。
「帰ってきたら、二人がかりで甘やかしてやろうな」
「子供扱いするなって、怒られそうですけどね」
ふふ、と密やかな声で一緒に笑う。
「子供扱いできるのなんて今だけだ。あと一、二年もすればお前達は手元から離れていってしまうからな」
少し寂しそうな声で、兄様は呟く。
悲しげな顔を見た私は、数度瞬きを繰り返す。
「……私もヨハンも、兄様の傍におりますよ?」
「そう言ってお前は、さっさと嫁にいってしまうんだろう」
拗ねた口ぶりの兄様に、私は驚きを隠せない。
凄く珍しいものを見ている気がする。
「お嫁さん……」
復唱すると、ぽんとレオンハルト様の顔が思い浮かぶ。しかし兄様の視線を感じ、慌てて頭を振って、妄想を追い出した。
コホンと咳払いをして、誤魔化す。
「まだまだ先のお話です。それに、結婚したとしても会いに来ます」
レオンハルト様の元に嫁げたらいいなとは思うけれど、リアルな想像はまだできない。成長したとはいえ、私はまだまだ子供だし。レオンハルト様の隣に釣り合うまで、もうちょっと頑張りたい。……主に、胸部の辺りを。
本音を告げても、兄様の表情は晴れない。
寂しそうな、悲しそうな顔を見ていると、なんだかこちらの胸まで痛んでくる。
結婚前夜に、親に挨拶しているみたいな気分になってきた。
まだ結婚が決まった訳ではないどころか、婚約者さえいないのに。
なんだって兄様は、今日に限ってこんなにも感傷的なんだろう。
疲れているせいかな?
「兄様、少しここで休まれては? 一時間経ったら起こしますから」
ソファーで横になってもいいし、私のでよければベッドも貸そう。
「……ああ、そうだな」
「では、このソファーをお使いください。寝台の方が宜しければ、用意しますね」
「いや、ここでいい。ローゼ」
「はい?」
「膝を貸してくれ」
「……はい?」
ソファーを立ち上がった姿勢のまま、私は固まる。
今、なんか聞こえたような……聞き間違いかな?
一生懸命、現実逃避をする私を見上げ、兄様はソファーをぽんと叩いた。
「膝枕をしてほしい」
聞き間違いではなかったらしい。
そんな真っ直ぐな目で言われても、私はどう反応したらいいか分からないんですが……?




