転生王女の疑念。(2)
リーバー隊長の肩に担がれたまま、暗闇を見つめる。
いくら目を凝らしても、敵の姿も、レオンハルト様の姿も見えなかった。目に映るのは、走る速度に合わせて揺れる松明の炎と、それに照らされた枝葉だけ。
レオンハルト様は強いから、大丈夫。
そう思いたいのに、怖くて、怖くて堪らない。
「近くに敵はいないようですね」
リーバー隊長は周囲を確認してから、私を肩から下ろす。
ふらりと来た方向に一歩踏み出すと、肩に手がかかった。見上げたリーバー隊長は無言で私を見つめる。
私はレオンハルト様のマフラーに鼻先まで埋めて、ぎゅっと握りしめた。
分かっている。私が戻ったところで助けになるどころか、邪魔になるだけ。
頭では理解しているのに、体が駆け出しそうになる。彼の元へ行きたいと、正直な体が叫ぶのだ。
「……っ」
ぎゅうっと目を瞑って、両手で頬を張った。
しっかりしろ、ローゼマリー。
敵が……ラプターの間者がすぐそこまで来ているなら、泣いて駄々をこねている場合じゃないだろう。
やるべき事があるはず。
「行き、ましょう」
「……はい」
リーバー隊長は何か言いたげな顔をしていたが、暫し逡巡した後、頷いた。改めて二人で、森の奥を目指す。
どれ位、歩いただろうか。
作業みたいに黙々と足を動かし、ただひたすらに進み続けたので、時間の経過すら曖昧だ。
寒さと疲労、そしてレオンハルト様の事で頭がいっぱいになっていたからだろう。眼前に迫るまで、私はそれの存在に気づかなかった。
「止まって!」
リーバー隊長の制止に驚いて、私は弾かれたように顔を上げる。一番に目に入ったのは、リーバー隊長の背中。次いで、前方で揺らめく黒い影だった。
敵かと思い、一瞬身構えた。
しかし、すぐに違うと分かる。黒い影の正体は敵ではなく、松明に照らされて影絵の如く壁に映し出された、木の影だった。
薄汚れた白い壁を見上げ、私はポカンと口を開けた。
呆然と立ち尽くす私の前にあるのは、古びた建物だ。暗くて全体像が見えないが、おそらく神殿と呼ばれるような造りの建築物。
「本当にあった……」
喜びよりも戸惑いが勝る。自分で仮説を立てておきながら、半信半疑だったから。
「こんな森の奥にあるとは……驚きましたね」
リーバー隊長が松明を掲げると、蔦が絡みついた太い柱と、苔で薄緑に汚れた白い壁が、ぼんやりと浮かび上がる。
薄暗い灯りの中に浮かびあがるシルエットは、神秘的というより、ホラーゲームのタイトル画面みたいで怖い。
「殿下、行きましょう」
「は、はいっ」
迫力に圧倒されていた私は、リーバー隊長の声に我に返った。
正面の石段を上ると、大きな両開きの戸がある。
高さは私の背の倍……たぶん、三メートルくらい。表面に蔦の模様が細かく刻まれている二枚扉に、リーバー隊長は手を伸ばす。
扉には取っ手がないようなので、押しているが開く様子はない。軋んだ音をたてて僅かな隙間が開くが、それだけ。隙間に指をかけて引こうとしても同じ。
おそらく中から施錠されているのだろう。
暫し苦戦していたリーバー隊長は、ため息を吐き出してから、私を振り返った。
「殿下、松明をお願いしても?」
「はい」
差し出された松明を、両手で受け取る。
「少し離れていてくださいね」
「? はい」
言われるがままに、松明を持ったまま後退した。
するとリーバー隊長は、思いっきり扉を蹴りつける。
「!!」
大胆な行動に目を見開く私の前で、扉が勢いよく開いた。ガラン、ガランと何かが転がる音が響く。
転がったのは、割れた木片だ。おそらく内側から閂でもかけてあったのだろう。年数を経て腐った閂は、木っ端となり果てたが、扉は無事のようだ。ごめんなさい、と小さな声で誰に向けているか分からない謝罪を呟いた。
中からカビ臭い空気が洩れる。
鼻と口を手のひらで覆いながら、中を覗き込む。踏み出した瞬間、靴音が反響した。
私から松明を受け取ったリーバー隊長は、視線で中へ入るよう促す。
久しく人が踏み込んでいなかった証のように、床には埃が積もっている。足跡がくっきりと残った。壁のレリーフは黒く汚れて、蜘蛛の巣がかかっている。
神殿は随分と古そうな印象は受けるものの、想像よりは原形を留めていた。
屋根も壁もまだ崩れていない。ゲーム内での描写では、もっとボロボロのイメージがあったのだが……もしかして、ここではない?
もしくは、戦争が起こらなかったお陰で残っているのかも。ミハイルがゲーム中で村を訪れた時には、戦線は随分と近そうだったし。戦争が起こった場合、この森も焼けて、神殿も壊されていたのかもしれないな。
「殿下、あまり離れないでください」
「はい」
キョロキョロと建物内を見回していた私は、慌ててリーバー隊長の後に続いた。
奥に進むと階段があって、そこを上ると左右に大きな石像が配置されている。その奥は壁一面に、大きな絵が描かれていた。
「凄い……」
フレスコ画だろうか。
光輪を背負った美しい女神と、相対するように描かれているのは黒い炎。おそらく魔王を表しているのだろう。
「壁や床を調べてみましょう」
「はい」
私とリーバー隊長は、建物内を調べ始めた。
端から順に壁を手探りで伝っていく。指先はすぐに、真っ黒に汚れた。埃が積もった床を手で探るのは流石に躊躇われたので、靴で一歩一歩確かめるみたいに歩く。
東側から反時計回りに進んでいると、割とすぐに扉を見つけた。
正面の入口に比べると、かなり小さくて簡素な造りの木のドアだ。
外から施錠されているようだが、リーバー隊長が蹴破るとアッサリ開いた。しかし、扉は隠し部屋には繋がっていない。単に外へ出るための裏口みたいなもののようだ。
そういえば、正面の入り口は内側から閂がかけられていた。外に出るためにはもう一つ扉がなきゃ駄目だもんね。あって当然だ。
気落ちしながらも、別の場所を探してみる。だが、何も見つからない。
そんなはずない。ここで間違いないと思うのに。
気持ちばかり焦って、時間は無為に過ぎていく。
「ありませんね……」
リーバー隊長の声にも焦りが滲む。
私は汚れるのも構わず壁に耳を押し当て、反響を確かめるために叩いた。
早く、早く見つけなきゃ。
レオンハルト様のところに戻りたい。一刻も早く、無事な姿を見たいのに。どうして見つからないんだろう。
「この絵に何か、手がかりがあったりしませんかね?」
「確かに、一番怪しいのはこれですが……見ただけでは分かりませんね」
私とリーバー隊長は、北面いっぱいに描かれた絵の前に立つ。
隅々まで調べ尽くしてしまい、残るのはこの絵くらいのものだった。
「見事なものだ。名のある絵師の作でしょう」
リーバー隊長は松明をかざし、感心するように呟いた。
私も頷いて同意して、絵を見上げる。絵画に関しての知識はほぼ無いけれど、素人目にも作品の素晴らしさは分かった。
風に靡く髪の一筋、肌のハリ、ドレスのシワまで写真のように細かく描かれている。特に優しく微笑む唇のツヤや、僅かに赤らむ頬、瞳に宿る生気は見事で、今にも動き出しそうにさえ見えた。
「女神と……この炎は、魔王でしょうか」
リーバー隊長は黒い炎を照らしながら、首を傾げる。
豊かな金色の髪と青い瞳を持つ女性は、キトンに似た白いドレスを身に纏い、光輪を背負っている。微笑みを浮かべた女性……おそらく女神は、武器の類は持たず、黒い炎に向かって白い手を差し伸べている。
対する黒い炎は、リーバー隊長の言う通り、魔王を象徴しているのだと思う。女神の手を避けるように右隅に追いやられた炎は、ゴウゴウと禍々しく燃えている。中心は怨嗟を内包しているが如く、赤黒い。背景の抜けるような青空や女神の纏う白に比べ、そのドロドロとした赤黒さだけが異質で、酷く浮いて見えた。
「…………もしかして」
私は眺めていた絵に手を伸ばし、途中で止めた。
世界が世界なら、国宝にでも指定されるような絵に触れてもいいものか躊躇ったのだ。唇を噛み締めて、迷いを振り切るために頭を振る。
思い切って、黒い炎の中心に触れた。
指先に力を込めると、手のひら大のブロックだけ僅かに沈む。どうやら動きそうだ。
「リーバー様」
「代わりましょう」
振り返ると、心得たとばかりにリーバー隊長は頷いた。
彼が押すと、十数センチ四方のブロックが鈍い音をたてて中へと吸い込まれていく。ガコンと大きな音がしたと思ったら、それ以上は動かなくなったようだ。
穴の中を手探りで調べていたリーバー隊長は、上部に何かを見つけたらしい。肩越しに私を振り返る。
「取っ手が出てきました。引けそうですが」
「お願いします」
リーバー隊長が力を込めると、じゃらりと鎖が擦れる音がした。同時に絵の一部分がゆっくりと動く。
映画の某考古学者が遺跡で見つけるギミックみたいだ、と考えながら阿呆面を晒す私の眼前に、入り口が姿を現した。
高さは一メートルちょっと。幅はたぶん、一メートル欠けるくらいの四角形の穴は、階段で下へと続いている。
隙間から覗くのは、何かが潜んでいそうな暗闇だ。
「当たり、ですね」
高揚して掠れたリーバー隊長の声を聞きながら、私はゴクリと喉を鳴らす。
身を屈めて、隠し扉を潜る。滑り落ちないように壁についた手は、寒さと緊張で最早、感覚がなくなりかけていた。
一段、一段、踏みしめるように下りる。空気は籠もっていて、息がし辛い。黴臭さだけではない、独特の臭気に思わず鼻を押さえた。
リーバー隊長が松明を翳すと、室内の様子が浮かび上がる。
ぼんやりと照らされた室内は、想像していたよりも狭い。中に置かれているのは、石で出来た祭壇。その上には左右に火の灯っていない燭台があり、中央の台座には、拳大の石が鎮座していた。
ドクンと心臓が大きく脈打つ。
「あった……」
呟いた声は、緊張に掠れていた。
見つけた。やっと、見つけた。
「これが魔王の封じられた石ですか……」
険しい顔をしたリーバー隊長は、松明で石を照らす。
丸いシルエットで浮かび上がったのは、なんの変哲もない石に見える。
ちっぽけなただの石ころ。道端に落ちていたら、たぶん誰も気に留めないだろう。こんなものに世界を滅ぼす存在が封じられているなんて、信じられない。
恐る恐る手を伸ばすと、リーバー隊長に止められた。
「殿下、私が取りましょう。何か起こるか分かりませんので」
「いいえ、私がやります」
私は頭を振る。有り難い申し出だが、断った。
何が起こるか分からないからこそ、私がやるべきだ。私に課せられた任務なんだから。
それに、おそらく壊さない限りは何も起きない。
……お願いだから、何事も起こってくれるなよ。
神に祈るような気持ちで、ゆっくりと手を伸ばす。
熱さを確かめるみたいに、指先で一瞬触れる。数秒待ってみたが、何も起こらない。改めてゆっくりと手を伸ばし、両手で包み込むように持ち上げた。
ザラリとした感触と、僅かな重みが、手のひらの中で存在を主張する。
「……っ」
詰めていた息を大きく吐き出す。体中の力が抜けて、座り込みそうになった。
成功した。魔王の回収に成功したんだ。
安堵と達成感を感じながら、手の中の小さな石を胸に抱き寄せた。
「大丈夫ですか、殿下」
「はい。もう用は済みましたので、レオンハルト様と合流しましょう」
覗き込んでくるリーバー隊長に、なんとか笑みを返す。
「宜しければ、その石はお預かりします。落としてしまっては大変でしょう」
「あ、大丈夫です。石をしまうための箱が……」
腰に下げた袋から、箱を取り出そうとするが暗くてよく見えない。しかも狭いから余計だ。
「とりあえず、ここを出ましょう」
リーバー隊長に話しかけながら、屈んで扉から出る。
頭をぶつけそうで怖い。私よりもかなり体の大きいリーバー隊長は、出るのも一苦労だろう。
リーバー隊長が出てくるのを待ちながら、振り返った私の視界に絵が映る。ぼんやりと浮かび上がる女神と魔王の絵は迫力があった。
特に黒い炎の部分は、見ているだけで不安になる。何も知らない人が見たら『魔王』だとは分からないと思うが、それでも不吉なものだと感じるだろう。
「…………?」
何かが引っかかった。
ずっと心の奥底にあった違和感。その答えに手が届きそうになっているような、そんな歯がゆさを感じた。
何も知らない人は、魔王だと分からない……。
そうだよね、この神殿に魔王が封じられていると知る人間は一握りのはずだ。
「っ……!!」
なら、何故。
『これが魔王の封じられた石ですか……』
耳の奥で、さっき聞いたばかりのセリフが繰り返される。
どうして彼は、魔王の封じられた石の存在を知っていたのか。
それ以前に、私達は何を探しているか、彼に伝えたことはない。教えたのは、探しているのが神殿であるということだけ。
隠し部屋のことも話していないのに、なぜ、床や壁を調べ始めた?
後退った私の靴が、じゃり、と耳障りな音をたてる。
「如何されましたか、殿下?」
松明で照らされたリーバー隊長の笑顔が、一瞬だけ、知らない人のものに見えた。




