転生王女の疑念。
リーバー隊長の執務室へと向かうと、出迎えてくれたのはレオンハルト様だった。
「如何されましたか?」
「思いついた事があって、お話ししたいのですが……」
「ひとまず、中へどうぞ」
招き入れられた執務室にいたのは、リーバー隊長とレオンハルト様の二人だけだった。ついてきてくれた護衛の方には申し訳ないが、外で待機してもらう。
ソファーの上に山積みになっていた資料を、リーバー隊長が雑に退かす。どうぞ、と示されて隅っこに座った。
机の上には地図と資料が広げられたままだ。二人の目元にも隈がある。たぶん、ずっと調べてくれているんだろうな。
「それで、お話というのは?」
改めて聞かれて、ゴクリと喉が鳴った。
「最初の村にもう一度行きたいんです」
「最初の?」
レオンハルト様は、訝しげに眉を顰める。
「最初の村の神殿は、建て替えられていたと聞きましたが」
そう聞いてきたのはリーバー隊長だ。
「仰る通り、古い神殿は取り壊されて新しく建築中でした。ただ、その神殿には元々、何も入っていなかったと村の方が教えてくださったんです」
「移し替える価値のあるものが、残ってなかったという意味ですかね?」
「そうとも考えられます。ですが壊れていた場合、元から何も入ってなかった、とは言わないんじゃないかとも思うんです。盗まれたにしても、石像とかは動かすのも無理でしょうし」
「なるほど」
リーバー隊長は腕組みをして唸る。
「それで、少し考えてみたんです。……あくまで、私の推測であって何の根拠もないのですが」
「お聞かせください」
言い淀む私の言葉を、レオンハルト様は促す。
「もしかして建て替えられている神殿の他に、もう一つ神殿があって、信仰の対象となるものは全て、そちらに入れてあるんじゃないかって」
「目眩ましのために建てられた神殿だから、何も入っていなかったと」
訳分からない説明になってしまったと思ったのに、まさか一発で通じるとは。
レオンハルト様の理解力、恐るべし。
「ならば調べるべきは、村の近くにあった森ですね」
レオンハルト様の言葉に、私は頷いた。
「はい、出来るだけ早く向かいたいんです」
ラプターに先を越されてしまう前に。
言葉に出さなかった部分も、レオンハルト様は読み取ってくれた。「すぐに支度致します」と立ち上がった彼を止めたのは、リーバー隊長だ。
「いや、待て待て! これから向かったら、到着する頃には日が暮れるぞ? 明日にしたらどうだ」
「一刻を争う」
「あー……じゃあ、ちょっと待っとけ! オレも行く」
唐突な申し出に、私は目を丸くした。
「えっ!? そ、そんな訳には」
「レオンハルトの実力は知っていますが、殿下の護衛が一人では心許ない。大勢で移動するのは目立つでしょうから、部下は連れていきません」
リーバー隊長はそれだけ言うと、慌ただしく部屋を出ていった。
おそらく部下への指示をしてきたのだろう。それから、一時間弱。砦の門に集合した私達は村へと出発した。
力強く大地を蹴る馬の蹄が、土煙を巻き上げる。
けぶる景色の中、地平線に太陽が沈みかかっていた。もうすぐ日が暮れる。
「大丈夫ですか、姫君。もうすぐ着くので頑張ってください」
覗き込まれて、何度も頷いた。返事をしたかったが、舌を噛んでしまいそうで怖い。
風圧に負けそうになりながら、顔をあげる。遠くに見え始めた村の先に、寄り添うように小さな森があった。
村を突っ切っていくのは目立つので、大きく迂回していく。
流れていく景色を横目で見る。煙突から立ち上る煙や、小屋へと帰っていく羊の群れ。隊列を組んで飛んでいく鳥達の鳴き声と、にぎやかな子供の声。
守りたい日常が、そこにはあった。
森の側面へと辿り着く頃にはもう、日は殆ど沈んでいた。
「下りられますか」
差し伸べられた手をとり、馬から下りる。
よろけたのを支えてもらいながら、なんとか立つ。地面がまだ揺れている感覚がして、気持ち悪い。
「姫君、無理はなさらないでください」
「大丈夫です」
心配そうな顔で覗き込むレオンハルト様に、なんとか笑ってみせた。
「やっぱり日が暮れちまったな」
リーバー隊長は火打ち石を使って、器用に火を灯す。
松明で照らされた夜の森が、ぼんやりと浮かび上がった。
吹き付ける風に木の葉が揺れる。葉擦れの音が重なって、ざわめきのように聞こえた。ゆらゆらと揺れる木々の影が、一塊の大きな怪物みたいに見えて足が竦む。民話で怖がらせずとも近寄りたくないと感じるくらい、夜の森は不気味だった。
ここに、魔王が眠っているかもしれない。そう思わせるだけの迫力がある。
震える手を握りしめて、ゆっくりと深呼吸をした。
大丈夫。私は一人じゃない。優秀な護衛が二人もついていてくれるんだから。
「行きましょう」
「はい」
レオンハルト様の言葉に頷いて、私は森の中へと踏み出した。
リーバー隊長が先頭を歩き、次に私、殿をレオンハルト様といった順番だ。
馬の上も風が吹き付けて非常に寒かったが、森の中は別種の寒さがあった。空気はヒヤリと冷たく、少し湿っている。
寒い。吐き出した息は一瞬だけ鼻の辺りを温めたが、すぐに白く凍りついて痛いくらい冷たくなった。寒さで耳や鼻がもげそう。
肌に纏わりついた冷気が、ジワジワと熱を奪っていく。手袋をしていても、指先の感覚がなくなってきた。
早く神殿を見つけないと、凍え死にそう。
そもそも、あるかどうかも分からないんだけど。
「……っ!?」
森の奥へと進みながら、周囲を見回した私の視界の隅に、光る何かが映る。
息を呑んだ私が、思わず足を止めると、それに気付いたレオンハルト様が問いかけた。
「どうかしましたか?」
「なにか今、光った気がして」
リーバー隊長は、私の指差す方を松明で照らす。
岩場の辺りを覗き込んだ彼は、頷いてから私を振り返った。
「ああ、苔ですね。光を反射する種類のようです」
リーバー隊長に言われて、恐る恐る見てみると、木々の隙間から細く差し込んだ月明かりで照らされているのが分かった。私は安堵の息を吐き出す。
一瞬、本当に妖精がいるのかと思った。
幼い子供が森に入ったとしても、同じように驚かされて逃げ帰りそうだ。民話は自然のトラップも上手く利用しているんだなと、思わず感心してしまった。
けれど、今はそんな場合ではないと、すぐに気を引き締める。
「とりあえず森の中心を目指していますが、どの辺にあるのかは……」
「分かりません」
「そうですよね。……やはり、明るくなってからの方が良いのでは?」
リーバー隊長の言う事はもっともだ。
でも何故か、焦燥感に駆られてじっとしていられない。虫の知らせではないと思いたいが、胸がざわついて落ち着かないのだ。
「もう少しだけ、探してみたいんです」
「かしこまりました。ですが、あと一時間だけにしましょう」
「一時間……」
「それ以上は貴方が氷漬けになってしまう。鼻が赤くなっていますよ」
リーバー隊長に指摘されて、私は慌てて鼻を押さえた。
恥ずかしい。赤鼻のトナカイなら可愛いけど、私じゃ間抜けなだけだろ。
「姫君」
後ろから声をかけられて、鼻を押さえたままの不自然な体勢で振り返る。好きな人に間抜けな顔を見せたくない乙女心を分かっていただきたい。
顔をあげた私は、レオンハルト様の顔が近くてびっくりした。
私の首の後ろに手を回した彼は、グルグルと私に何かを巻きつける。それはレオンハルト様が防寒具として使用していたマフラーのような布だ。
「寒いでしょうが、これでもう少し頑張ってください」
レオンハルト様は照れ臭そうに、はにかむ。
何が起こったのか理解出来ていなかった私は、マフラーを両手で押さえたまま固まった。だってまさか、こんな少女漫画のようなイベントが、我が身に起こるなんて。これって、本当に現実? 寒さのあまり倒れて、夢でも見ているんじゃないよね?
顔の下半分をマフラーに埋めると、レオンハルト様の匂いがして卒倒しそうになった。やばい、鼻血でそう。
「いちゃついてないで、先を急ぎましょう」
「いっ……!?」
呆れ混じりのリーバー隊長の言葉に、私は鯉の如く口をパクパクと開閉する。
「いや、照れなくても……、危ないっ!!」
リーバー隊長の表情が、一瞬で強ばる。腕を引かれ、胸に抱き込まれた。
リーバー隊長の腕の中で私が見たのは、何かが勢いよく飛んでくる光景。枯れ葉の絨毯に突き刺さった細身のナイフが、松明の炎を弾いて鈍く煌めいた。
飛び退ったレオンハルト様が、剣を抜く。
ヒュ、と風を切る音と共に飛んできたナイフを、レオンハルト様が即座に叩き落とす。キン、カン、と連続して硬質な音が鳴った。
ナイフは、違う方向から飛んできた。つまり敵は、複数人いるという事。
まさか囲まれているのか。
そこまで考えて、背筋が凍った。
暗闇の中では敵の姿さえまともに視認出来ない。想像力が膨らんで、敵の数も比例して増えていく。死の恐怖が間近に迫ってきているようで、体が震えた。
「エルンスト! 先に行け!!」
レオンハルト様が叫ぶ。
一瞬躊躇ったリーバー隊長は、私を抱えあげて走り出した。
「レオ、レオンさまっ!!」
「すぐに追いつきます!」
身を乗り出して、手を伸ばす。
暗闇に呑まれて、大切な人の姿が見えなくなっていく。
「レオンさま……っ!」
さっきの比ではない恐怖に、心臓が握りつぶされたみたいな痛みを覚える。喉の奥が引き攣った音をたてた。




