転生王女の考査。(3)
時刻は夜の七時少し前。
場所は砦の客室。滞在中は好きに使って良いと、私に割り当てられた部屋だ。
呼び出した時間ぴったりにやって来たレオンハルト様は、呆れているとも困っているともとれるような微妙な面持ちだった。
「呆れてます……?」
「心当たりがおありですか?」
寧ろ、ありすぎる。
未婚の娘が、夜に男性を部屋に招いた事か。
それとも騎士達の昼食だけでなく夕食まで作った事か。
青くなった私を見て、レオンハルト様は苦笑いを浮かべた。
「呆れていませんよ。相談の内容を考えれば、貴方の判断は正しい」
正しいと言いつつも、表情は晴れない。ならば夕食を作った事を呆れているのだろうか。遠回しに問えば、レオンハルト様は困り顔になる。
「困っていると思ったから、手伝っただけでしょう? 呆れるはずがない。ただ……」
「……ただ?」
「……なんでもありません」
レオンハルト様らしくもない、下手な誤魔化し方だった。
絶対に何でもなくないでしょうと、鈍い私にだって分かる。でもそれ以上踏み込んで来ないでほしいと言わんばかりの表情に、結局、追及するのを諦める他なかった。
私が踏み込んでほしくなかった時、レオンハルト様は、問い詰めるのではなく見守ってくれたから。歯がゆくても、私も我慢しよう。
本題へと流れ始めた話題に逆らわず、私は思考を切り替える事にした。
ヴォルター副隊長から貸してもらった資料の束から、地図を抜き出して机の上に広げる。集めた資料と地図の書き込みや関係性を、簡単に説明した。
「なるほど、面白い趣味だ」
レオンハルト様は興味深そうに、地図を眺める。
「民話の中には、危険や禁忌から子供を遠ざける意図が含まれているものがあると思うんです」
夜寝ない子は魔王に連れて行かれるとか、海で妖怪に足を引っ張られるとか。御伽噺の類いには、危険な場所には近付かせたくない、もしくは十分注意してほしいという親心が感じられる事が多い。
「この辺りに魔王が封印されているのであれば、民話の中にも魔王が多く登場するんじゃないかと期待したんですが……」
「その言い方ですと、期待した程は見つけられなかったという事でしょうか?」
「といいますか、殆ど『ない』というのが正しいです」
レオンハルト様は訝しげに眉を顰める。
「それは……おかしな話ですね」
私はその言葉に大きく頷いた。
「魔王を題材にした御伽噺は、ネーベルだけに限らず世界各国に多く存在します。それなのに、どうしてこの辺りだけないのか。私の勝手な推測でしかありませんが、『魔王』という存在をなるべく人々の記憶に残したくなかったんじゃないでしょうか?」
魔王を封印した地だから、民話に多く残っているんじゃないかと私は思ったが、きっと逆なのだ。禁忌の地だからこそ、人々の記憶から魔王という脅威を薄れさせる必要があった。興味を惹かれないように。復活を願う人間に情報を与えてしまわないように。
「その代わりなのかは分かりませんが、『悪い精霊』がよく登場します。親の言いつけを守らなかった子供が、精霊に惑わされて家に帰れなくなってしまうんです」
火の精霊、木の精霊、闇の精霊と種類は様々。容姿も綺麗な女性だったり、少年だったりと一定しないが、話の大筋は似通っている。
精霊に騙されて夜の森に迷い込んだ子供が、一生家に帰れなくなってしまう。そして探していた親のところには、子供そっくりの妖精が帰ってくる。
読み始めた当初は地球のヨーロッパの伝承である、取り替え子――チェンジリングを思い出した。でも、よく考えてみると魔王の話にも似ているとも思う。本人に似ているけど本人じゃないって辺りが、魔王の復活を仄めかしているというのは考え過ぎだろうか。
「魔王という存在を記憶から薄れさせ、且つ、封印の地から遠ざけるために『悪い精霊』という存在がつくられたと」
「はい。ただ、この手の話が多すぎて、地域までは絞れなかったんです」
分布図で神殿の位置がおおよそでも絞れればと思ったが、そう上手くはいかなかった。絞れてしまったら、わざわざ隠した意味がないので当たり前といえば当たり前なんだけど。
まだ簡易版の方を軽く流し読みしただけなので、これから新しい発見が増える可能性は十分にある。
「ですが、森の中に迷い込む記述が多かったので、もしかしたら神殿も……」
「森の中にあるかも、という事ですね」
頷いて、私は地図上の印を指し示した。
「ヴォルター様に確認したところ、こちらの村……三ヶ所の候補のうち、砦から一番遠い村の神殿は、近くに森があったはずだと教えて下さいました」
「では、そちらを先に調査してみましょう。天候が回復すれば明日にでも出発しますので、準備をしておいてください」
「分かりました」
私が了承すると、レオンハルト様はソファーから腰を浮かせた。
「では、また明日」
「あ! 待ってください。まだお話ししたい事があるんです」
話は終わったとばかりに退出しようとするレオンハルト様に、私は待ったをかける。
立ち上がりかけた彼は再びソファーに腰掛け、私の話を促すように軽く首を傾げた。
「えっと……こないだ寄った村で、食事処に入った時に知り合った方の事なんですが」
話を切り出すと、レオンハルト様の顔つきが厳しいものになる。
「ラーテという男ですね」
「……はい」
私は背筋を伸ばして、深く呼吸をしてから頷いた。
上手く説明出来る自信はない。でも話しておかないと、絶対に後悔する。
「実は私、先日会う前からあの人の事を知っていました」
「それは……どういう意味ですか? あの男は貴方の知り合いだと?」
戸惑いながら問いかけてくるレオンハルト様に、私は頭を振った。
「直接会った事はありませんでした。私が彼を初めて知ったのは、夢の中だったんです」
「!」
レオンハルト様の目が見開かれる。
『夢の中』という単語が何を指すか、理解した様子だった。
そこから私は、ラーテについて知っている全てをレオンハルト様に話した。
私の知るラーテは王都の飲食店で働いていた事や、元暗殺者であった事。ラプターの暗殺者と古い知り合いだったが、その人物は現在、ネーベルで父様の部下として働いているという事。
出来るだけ推測を織り交ぜないように、事実だけを伝えたつもりだ。
たぶん、分かり辛いところもあっただろう。待ってほしいと止めたくなるような、突飛な話だったと思う。
それでもレオンハルト様は、黙って話を最後まで聞いてくれた。
「……以上が、彼について私が知っている全てです」
話し終えた時の私の心臓は、緊張で壊れそうな状態だった。全力疾走してきたみたいに、鼓動が煩い。息苦しささえ感じた。
暫しの沈黙の後、レオンハルト様は「なるほど」と呟いた。
「一般人の動きではないと思っていましたが、元暗殺者ですか。……だが、それで余計に分からなくなったな」
「何がでしょうか?」
「考え過ぎなのかもしれませんが、あの男は『怪しすぎる』とオレは感じました」
怪しすぎる?
私がオウム返しすると、レオンハルト様は少し逡巡する素振りを見せた。
「おそらくあの男は相当の手練れです。オレ達を探ろうとしているなら、もっと上手く立ち回るでしょう」
言われてみれば、私達がターゲットなら、自分も神殿を探しているなんて言わないだろう。警戒されてしまう。
手拭きを見事キャッチして、両利きであると手の内を晒す事もしないだろう。
「ですが、ただの村人だと考えると、それはそれで不自然だ」
一般人にしては怪しすぎる。
暗殺者にしては迂闊過ぎる。
ならラプターの間諜としてなら、どうだろう。
私達の正体を知らず、手がかりを持っていそうな旅人だと認識しているだけなら、さほど不自然な行動ではない……のか?
考えれば考えるほど、分からなくなった。
「今考えても答えは出ないでしょうから、取り敢えず、今日はここまでにしましょう」
頭が混乱してきた私は、レオンハルト様の提案に是と返した。
今度こそ退出する為に立ち上がったレオンハルト様だったが、何かを思い出したように足を止める。
姫君、と呼ばれて顔をあげると、レオンハルト様は優しい眼差しで私を見ていた。
「話してくれて、ありがとうございます」
「え……?」
「貴方はなんでも一人で抱え込む癖があるから、相談してもらえて嬉しかった」
レオンハルト様はそう言って、照れくさそうに笑った。
「それだけです。では……おやすみなさい」
受けた衝撃が大きすぎて固まる私を置き去りにして、彼は部屋を出て行った。
暫し呆然としていた私だったが、理解するにつれて顔に熱が集まってくる。ソファーに倒れ込んで、奇声をあげたくなる衝動と戦った。
不意打ちは狡い……!
しかも、あんな優しい声で「おやすみなさい」って……けしからん! ご馳走様です!!
ソファーに顔を埋めて悶えていた私は、三十分以上の時間をかけて漸く落ち着いた。しかし気持ちを切り替えようとしても事ある毎に思い出してしまい、その日は結局寝不足になったのだった。




