転生王女の考査。(2)
ヴォルター副隊長の作った資料は、かなり良く出来ていた。
簡易版と説明された方は、要点だけ分かりやすく纏めてあるし、もっと深く掘り下げたいと思えば、書き写した方を見れば詳細に記載されている。必要な部分だけ細かく見る事が出来るという親切設計。なんて便利。なんて見やすい。
ヴォルター副隊長の事務処理能力、半端ないな。
もしかしなくとも、リーバー隊長にお願いして調べてもらった村の情報も、ヴォルター副隊長の助力あっての事なんだろう。
単純に読み物として面白いので没頭していた訳だが、いくつかの物語を読み終えて気づいた事がある。でもそれは、今、ここで議論すべき事ではない。持ち帰ってレオンハルト様に相談するべき案件だ。
「ヴォルター様」
「はい」
ヴォルター副隊長は目を通していた書類から顔を上げて、私の方を見た。数時間前から考えると、あり得ない程、対応が柔らかくなっている。
たぶん私の好感度が上がったというより、ヴォルター副隊長の中の認識が少しばかり変わったお陰だと思う。私の予想では、彼はかなりの人見知りだ。つまり、『赤の他人』から『同じ趣味を持つ同志』にランクアップした結果、少し優しくしてもらえているんじゃないだろうか。
「こちらの資料、一晩お借りしても宜しいでしょうか?」
「構いません。数時間で読み終える内容ではありませんし、こちらに滞在する間はお好きに読んでください」
ダメ元で頼んでみたら、なんとも太っ腹な答えが返ってきた。
量から考えて、元から想定していたのだろう。
「後でお部屋まで運んでおきます」
「いえ、そこまでして頂く訳には」
「大した手間ではありませんし、そもそも貴方の細腕で持てる量ではありませんよ。甘えておきなさい。それより……」
ヴォルター副隊長は言葉を切り、懐を探る。取り出した燻し銀の懐中時計を確認すると、顔を上げた。
「そろそろ昼食の時間です。食堂へ参りましょう」
そう言われて、空腹を自覚した。
窓の外は相変わらずの荒れ模様で、時間の経過が分かり辛いせいもあるが、それ以上に集中していた為、そっちに気が回らなかった。
素直に頷いた私は席を立って、ヴォルター副隊長の後をついていった。
初日は別室に用意されていたし、その後は外で食事していたから砦の食堂って初めてだ。何気に楽しみなんだよね。
いいとこの令嬢である私を気遣って、砦に滞在する間はずっと別室に食事を用意すると言ってくれたのだけれど断った。
余計な手間をかけさせたくない。そもそも私、普通の令嬢の括りから大分外れているし。大勢の中で食事をするのなんて慣れたものですよ。
ウキウキと向かった食堂は、とても賑やかだった。
大勢の人がいるのだから当たり前かと納得しかけたが、隣に並び立ったヴォルター副隊長の顰め面を見て、認識を改めた。
眉間に深く皺を刻んだ彼は、「何事ですか」と問う。張り上げた訳ではなかったが、明瞭な声は良く通った。こちらに背を向けていた人達の肩が、ビクリと揺れる。
「ふ、副隊長!」
ヴォルター副隊長の姿を見た途端、全員が背筋をピンと伸ばす。
「お騒がせ致しました。申し訳……」
「謝罪は結構です。パスカル小隊長」
手前にいた男性が謝ろうとするのを遮る。
「はっ」
「簡潔に報告を」
「住み込みの料理人が買い出しに行った村で、足止めされている為、隊の人間で食事当番を回していたのですが……」
「足止めの件は報告を受けております。簡潔にと言ったはずですが」
「失礼致しました! 現在手があいている者が料理下手しかいなかった為、昼食がクソ不味……かなり個性的な仕上がりになってしまった次第であります!」
なるほど、要は「昼飯めっちゃ不味い!」と盛り上がっていた訳か……。
ご飯、楽しみにしていたのに残念だ。
「吹雪で外に出る事も儘ならない状況で、随分と忙しい人間が多かったようですね」
不機嫌そうな顔でヴォルター副隊長が言うと、更に顔を青くしたパスカル小隊長は深々と頭を下げた。
「……オルセイン団長のご指導を受けようと、殺到した結果です。申し訳ございませんでした!」
パスカル小隊長の旋毛を見下ろしながら、ヴォルター副隊長は溜息を一つ吐き出す。
「もういいです。あの方の人気を舐めていた私のせいでもありますから。それよりも、ご令嬢が食べられそうなものはありますか」
その場にいた騎士達の視線が、ヴォルター副隊長の隣にいた私へと移る。注目を浴びて居た堪れなくなったので笑ってみた。凄い勢いで目を逸らされた。酷い。
「フルーツが少しと、パンならありますが」
二度目の溜息が形の良い唇から洩れた。
ヴォルター副隊長は、私へと向き直る。
「マリー様。申し訳ありませんが、お時間を頂けますか。今から私が作りますので」
「副隊長が!?」
「止めてくださいっ! 可憐なご令嬢の胃腸をぶっ壊す気ですか!」
「それ位ならあのクソマズ料理食った方が、百倍マシです!」
「どういう意味です」
ヴォルター副隊長の申し出を、私ではなく周囲の騎士達が却下する。
憮然たる面持ちのヴォルター副隊長は、どうやら自覚のないタイプのメシマズらしい。クラウスと一緒だね。
「あの」
そっと手を挙げると、再び視線が私へと集まった。
「良かったら、私が作りましょうか」
厨房に立った私は、借りたエプロンの紐を結んでから腕捲りをする。
まずは失敗したという料理を見てみる事にした。
大鍋いっぱいに作ってあったのは、シンプルな野菜スープだ。これで失敗するって、逆に難しいのでは?
「野菜が生煮えなんですよ。あと、しょっぱいんです」
大鍋の蓋を持ちながら説明してくれたのは、パスカル小隊長と呼ばれていた人だ。硬そうな赤髪と同色の三白眼。ちょっと強面だが、声は優しい。
「なるほど」
小皿によそって味見をすると、確かに塩っ辛い。
水を足すのもアリかもだが、野菜の旨味が薄れちゃうのは勿体無いな。
少し考えてから、パスカル小隊長の方を向いた。
「バターと小麦粉と牛乳ってありますか?」
戸惑いつつも彼が用意してくれている間に、鍋を火にかける。手渡されたバターを熱で溶かし、泡立ち始めたところに小麦粉をパラパラと振りかけた。
焦がさないよう鍋と火との距離を見ながら、木べらでゆっくりとかき混ぜる。馴染んできたのを見計らい、火から下ろす。
「何を作っているんですか?」
「えーっとですね……」
顔を上げると、不思議そうな表情で私を見るパスカル小隊長。そして彼の少し後ろ、厨房の入り口にはヴォルター副隊長を含め、沢山の騎士達が私の動向を見守っていた。
彼ら全員に分かるように料理の説明をしていては、今度は私が失敗しかねない。困った私は、苦し紛れに苦笑いを浮かべてみた。
「……内緒です」
言った途端、おかしな声があがった。雄叫びも聞こえた。
「もう一回言ってくださいっ!」ってどういう事。なんのサービスを求められているんだ、私は。不敬罪でしょっぴくぞ、君達。
大柄な男の人達が両手で顔を覆いながら、グネグネと悶えている様子は、正直言って怖かった。男子校に赴任した女性教諭の気分だ。モテているというより、珍獣扱い。
私が乾いた笑いを洩らすと、ゴン、と痛そうな音がした。ヴォルター副隊長の教育的指導が下されたらしい。いいぞ、もっとやれ。
小麦粉とバターを混ぜたものに、少しずつ牛乳を加えていく。
混ぜてから牛乳を少し足す、という工程を何度も繰り返し、少しずつのばす。もう一度火にかけ、塩コショウを入れようとして、手を止める。
そういえば既にスープが塩っ辛いんだった。
塩の量はかなり少なめにして、暫く混ぜて……よし! ホワイトソース出来た。
適当に鶏肉と玉葱を炒めて、煮込み直していた失敗スープに投入。更にホワイトソースを加え、少し牛乳を足したりしながら混ぜる。
最後に味を整えて、出来上がり。
クリームシチューの完成です。
「美味い……!!」
「王都の食堂でもこんな美味いもん、食ったことねえ!」
「もう五杯くらい食いたい」
「ふざけんな! 一人一杯って言われてただろうが!! オレだって我慢してんのに」
「静かにしなさい! みっともない!!」
ワイワイと楽しそうに食事をする男子高校生……じゃない、騎士達を、お母さ……ヴォルター副隊長が叱り飛ばす。
「客人に料理を作らせてしまったばかりか、こんなみっともない有り様を見せてしまって、誠に申し訳ありません」
「いいえ。大したものは作れませんでしたし」
神妙な顔で詫びるヴォルター副隊長に、私は頭を振った。
実際、簡単なものしか作っていないし。
「そんな事はありません。私は魔法を見ているのかと思いましたよ。作り直すのではなく、失敗したスープを、美味しい料理に変えてくれたのですから」
魔法なんて大袈裟だ。
私は単に、ちょっとリメイクしただけ。失敗した料理というのが、野菜スープだったから出来た事だ。
さて、私達もご飯にしよう。
皿にシチューをよそっていると、鍛錬を終えたらしいレオンハルト様がやってきた。大勢の騎士達に囲まれた彼は、厨房に立つ私を見て目を丸くする。
何やってるんですかって顔だ。本当、何やってるんでしょうね、わたし……。




