転生王女の北上。
「……?」
ふと、誰かに呼ばれたような気がして振り返る。
不思議そうな顔をしたレオンハルト様と目が合い、彼は首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「な、なんでもありません」
至近距離と言っても差し支えない位置にレオンハルト様の顔があって、心臓が口から飛び出しそうなほどに驚いた。
なんで私、気を抜いていたんだろう。
馬に二人乗りしているんだから、近いに決まっているのに。
長い時間かけて漸く落ち着き始めていた鼓動が、またドコドコと煩くなった。
胸にそっと手を当てて、静かに深呼吸を繰り返す。
「寒くはありませんか?」
「大丈夫です」
むしろ暑いくらいですとは言えず、無難な返事をする。
「国境に近づけば、今より更に気温は下がります。無理はせずに、ちゃんと教えてくださいね?」
覗き込まれ、念押しされた。
「はい」
真剣な表情がまた格好良くて、顔に熱が集まり始める。隠れるように外套のフード部分を引っ張って目深に被った。
ファー部分が頬にあたって、むず痒い。
色んな意味で、旅が終わるまで生きていられる気がしないよ……。
いえ、幸せですよ? 幸せなんですけどね?
レオンハルト様の過剰供給に、心臓の耐久性が試されている。幸せすぎて怖いが、まさかの物理です。
ひた、と触れた自分の頬が熱を持っているのが分かる。
吹き付ける風は冷たいのに、なんでホカホカしているかな、私。
カッポカッポと軽快な蹄の音を鳴らしながら進む馬の上から、景色を眺める。
踏み固められた道の脇には木の葉と混ざるようにして、雪がうっすらと残っていた。なだらかな丘の向こう側、壁のように聳える険しい山々は、雪が積もって真っ白だ。
これから更に北上するから、レオンハルト様の言うように、もっともっと寒くなる。
私とレオンハルト様は今、ラプターとの国境沿いにある砦を目指している。
レオンハルト様の古い友人である、国境警備隊の隊長に会いにいく為だ。
ネーベルは温暖な気候の土地が多いが、北部はそれなりに寒い。特に国境警備隊が常駐する砦のある地方は、冬の間ずっと雪に覆われている。暦の上では春が近くなってきたとはいえ、雪解けはまだまだ遠い事だろう。
一応、寒さ対策はしてきた。
紺色のシンプルなドレスは羊毛素材。ブーツも内側に羊毛が使われているのか、もこもこで暖かい。マントタイプの外套は厚手の生地で、フードと裾部分にファーがあしらわれている。下着もばっちり着込んできた。
好きな人の前で着膨れするのはちょっと辛いが、風邪でもひいて迷惑かけるよりはマシだと割り切った。相変わらず、女子力は地の底を這ってます。
ちなみに今回も髪は染めている。レオンハルト様の身内っぽく見えるように、色は黒だ。
日本人としては馴染み深い色な筈なんだけど、鏡を見た時に違和感が凄かった。たぶん、髪の色が一緒なだけに、前世の自分の平凡顔との差が際立ったんだと思う。
レオンハルト様は、黒のハイネックにグレーのサーコート。ベルトやブーツはダークブラウンで統一されていた。外套は冬仕様の厚手のものだが、私のようにファーはついていない。ダークな色合いで揃えられていて、シンプルだけど格好良い……!
いつもの近衛騎士の団服も花丸で格好良いんだけど、今回の服装も別の良さがある。もっと色んな格好が見てみたい。クーア族みたいな民族衣装も似合うと思うんだよね。
レオンハルト様の民族衣装姿を妄想していて、ふとヴォルフさんやリリーさんの事を思い出した。
私が城にいる間には、クーア族の皆は来なかった。荷造りだけでなく移動にも時間がかかるから仕方ないんだけど、本当はお出迎えしたかったな。リリーさんに「おかえりなさい」ってハグしようと思ってたのに。照れ顔で「ただいま」って言ってもらう予定だったのに……。
「姫君?」
しょんぼりと俯くと、レオンハルト様が心配そうな声で私を呼んだ。
「やはり寒いのではありませんか? もしくはお疲れでしょうか」
「い、いいえ! 寒くもありませんし、元気です!」
慌てて頭を振るが、私を覗き込むレオンハルト様の表情は晴れない。
「少し休憩しましょう」
「いえ、あの、大丈夫ですよ。本当に」
「いいえ、駄目です。慣れない馬での旅は、貴方が思っている以上に体に負担がかかっているんですよ」
確かに馬での移動には、あまり慣れてはいない。
でも私は、船旅からの徒歩で山越えを経験した、規格外の王女である。深窓の令嬢を基準にすると、かなり丈夫に出来ていると思うんだ。
だが、レオンハルト様は有言実行だった。
少し開けた場所に出ると馬を止め、座るのに良さそうな岩の上に布を敷いて私を座らせた。馬を木に繋いだ後も、膝掛けだとか手拭きだとか、色々と世話を焼いてくれる。
差し出された飲み物を受け取りながら、私は複雑な気分になっていた。
「……レオン様」
「はい?」
返事をするレオンハルト様は、さり気なく私の風除けになる位置に立っている。
うーん。嬉しい、嬉しいんだけど……。
「少し過保護ではありませんか?」
レオンハルト様は、虚を衝かれたように目を丸くした。次いで過去を辿るように視線を右上の辺りに泳がせ、指で顎を擦った。
もしかして自覚がなかったんだろうか。
「そう……ですか?」
自信なさげに呟く彼に、私はこっくりと頷く。
レオンハルト様は私の護衛として同行してくれているのであって、侍従ではない。
私の世話をさせるのは申し訳ないし、居た堪れない。私は一応王女だけど、自分の身の回りの事くらい、自分で出来るし。
それに、あまり丁寧に扱われると、王女扱いしかしてもらえなかった頃を思い出してしまう。せっかく近づけたのに、やり直しなんて御免だ。
そんな本音を全て曝け出す訳にもいかず、ところどころ打ち明ける。するとレオンハルト様は、困り顔になった。
「ご迷惑でしたか?」
「いえ、そうではありません! ただ、申し訳なくて……」
「なら、気になさらないでください」
そう言われてしまうと、反論するのも難しい。
レオンハルト様って、世話好きなんだろうか。下の兄弟多いって聞いたし、ゲーム内でも面倒見の良さを発揮していたな、そういえば。
これはご褒美だと思って、享受するのが正解なのかな。凄い緊張するけど、いつか慣れるんだろうか……?
しかし心の中で葛藤する私を知ってか知らずか、レオンハルト様は爆弾を投げつけてきた。
「オレはどうやら、貴方を構うのが楽しいらしいので」
「!?」
思わず、飲んでいた水を吹き出しそうになった。
堪えられた事を誰かに誉めて欲しい。
どういう意味ですかと詰め寄りたいが、他意なくニコニコと笑うレオンハルト様を見れば答えは得たようなもの。
この人はたぶん、年下の面倒を見るのが純粋に好きなんだ。私を特別扱いしている訳ではない。乙女心を弄んでいる訳でもないんだ。
でも、恋する乙女としては複雑なので、恨みがましく見てしまうのは許して欲しい。




