転生王女の自省。
やっと母国に帰ってきて、一週間。
ネロとのんびり過ごしたり、兄様やテオとルッツ、それにイリーネ様と久しぶりに会えたりして、嬉しいことが沢山あった訳だが。
禍福は糾える縄の如し。幸福だけが続かないのが人生ってやつだと思う。
やって参りました。
父様との、二者面談開催日です。
行きたくない。ものすごーく行きたくない。
誰が好き好んで、呆れられたり馬鹿にされたりしたいもんか。せっかく回復したメンタルがまた削られるのかと思うと、気が重い。
でも行かなきゃならないのも事実で。むしろ、私の方から提示しなければならない案件があるのだ。嫌でも、行かなきゃ。
「……よし」
深呼吸を繰り返すこと、三回。
両手で軽く頬を張り、気合を入れた私は、父様の部屋を目指した。
考えてみれば、父様に呆れられるのも馬鹿にされるのも慣れたものだ。右から左へと聞き流せばいい。よし、大丈夫。いける。兄様達とネロに癒してもらって絶好調の今の私に、怖いものはない。どんと来い!
「…………」
なんて、勇んだ時期もありました。
私は無言で、膝の上に置いた自分の手を凝視している。前から注がれる視線に気付いてはいるが、中々顔があげられない。
ちらりと盗み見ると、向かいのソファーに座る男――父様は、頬杖をついたまま、じっと私を見つめている。無表情にも拘わらず、瞳は雄弁で、呆れているのが手に取るように分かった。
既に五分以上、この状態が続いている。もうやだ、おうちかえりたい。
「随分と、派手にやったな」
長い沈黙を破ったのは、そんな言葉だった。声は視線以上に呆れを含んでいる。
意を決して顔をあげると、視線はこちらを向いてはいなかった。肩透かしを食らった気分だ。
父様の視線は、手元の書類に注がれている。
クセのない白金色の前髪の奥、長い睫毛が薄い青の瞳に影を落とす。優美な形の指が書類を捲る様は、呆れるくらい絵になるというのに、動作は酷く雑だ。ベラベラと乱暴に扱われる紙が、破れてしまわないか心配になる。
「海賊に襲われたかと思えば、次は仲間だと思っていた男に攫われて、山奥の村で薬師の真似事。やけに適応していた様子から、そのまま隠遁生活でも始める気かと思ったが、ヴィント王国で流行病が確認されたと知るやいなや、薬師達を説得して下山。アイゲル家のコネを使ってヴィントへ入国。病の蔓延している村へと自ら向かい、見事、病の沈静化に成功する」
つらつらと列挙されたのは、旅をしていた間の私の行動だった。
酷い。改めて聞くと、波乱万丈……というか、自ら困難な方向へと突っ込んでいっていないか、私。
「これが、王女の行動を記した報告書だとは俄には信じがたい。酔いつぶれた吟遊詩人が、深夜に書き殴った夢想の類と取り違えられたのかと思ったぞ」
大仰な溜息を吐き出し、父様は書類の端を爪でピンと弾く。
まさか、酔っぱらいが書いた深夜テンションのポエムと同じ扱いをされるとは思っていなかった。思ってはいなかったが、言い返せない。他人事として、この報告書を見せられたら、突っ返す自信しかない。そんな王女いてたまるかと。
呻く私を、父様の瞳が捉える。
父様が首を傾げると、絹糸の如きプラチナブロンドがさらりと揺れた。
「さて。ここで疑問なのだが、お前は一体、どこに何をしに行ったのだったか?」
わー……性格悪ーい。
こちらが言いたくないと知った上で、分かりきっている事をわざわざ聞くとか、心底性格悪い。親の顔が見てみたいわ。あ、なんか廊下に肖像画が飾ってあった気がする。後でじっくり見に行ってやろう。
そんなどうでもいい事に思考を飛ばし、現実逃避をしてみるが意味はなかった。
言ってみろと言わんばかりの沈黙を、これ以上引き伸ばす度胸もなく、私は口を開く。
「……フランメへ、薬を探しに行きました」
「それにしては、随分な大冒険だったな」
「それは、その……不可抗力といいますか」
我ながら、なんとも拙い言い訳だな、と思った。
幼子だってもう少し、マシな言い訳を思いつくんじゃないだろうか。そうは思っても、上手く頭が働いてくれない。
当然、父様を納得などさせられるはずもなく。綺麗な形の眉が、軽く顰められた。
「不可抗力。自ら首を突っ込んでおいて、不可抗力とは。あまり笑わせるな」
そういう事は上っ面だけでも笑ってから言え! 真顔で言うな!!
「隣国の窮地に駆けつけ、救世主の真似事までしてみせた理由はなんだ。一つしかない命を張ってまで、得たかったものは?」
「…………」
「気が変わって、ヴィント王国に嫁ぎたくなったのか?」
「それはありません!」
予想外の言葉を聞いて、即座に否定する。
「なら何だ。見過ごせなかったとでも言う気か」
「…………」
答えられず、俯く。
自分が間違った事をしたとは思わない。
でも、無謀だった事も理解している。私が自分でやるのではなく、人に任せるべき事もあったと。
黙り込んだ私を見て、父様はもう一度、溜息をついた。
「お前のような小娘が、為せる範疇を超えている。本来ならば、大儀であったと労うべきなのだろうな」
呆れを含んではいたが、声は先程より柔らかい。
「だが、お前が無事に帰ってこられたのは運が良かったからだ。一つ間違えば、命はなかった。勝算もなしに突っ込んでいく猪のような馬鹿娘を、そのままにしておいては国が傾く」
私は目を丸くした。パチパチと瞬くと、父様の視線が更に呆れたものとなる。
いや、私が無事に帰れたのがラッキーだったってのは分かる。
一歩間違えば、命を落としていたかもしれないというのも、一応、理解している。でも、国を傾けるつもりはない。というか、私如き小娘がなにをしたところで、国は傾かないだろう……あっ、もしかしたら密入国まがいの手段をとった件を責められているの? 隣国との不和を招きかねないって事か。
「おそらくだが、今、お前が考えていることではない」
「まだ何も言ってません」
「顔に書いてある。それは不正解だ」
「まだ何も言ってません!!」
言う前から不正解とか決めつけるな!
せめて回答権をよこせ!
「お前は、自分の命を安く見積もりすぎだ」
「え……?」
鼻息荒く噛み付いていた私だったが、不意によこされた言葉に虚を衝かれた。
「お前が死んだら、使い物にならなくなる人間がいる事を忘れるな」
私が死んだら、使い物にならなくなる人……?
そう言われて真っ先に思い浮かんだのは、優しいアイスブルーの瞳。おかえり、と抱きしめてくれた大切なひと。
「それは、兄様のことですか……?」
「一人だけではないが、アレが筆頭である事は確かだ」
あっさりと肯定されて、私は戸惑う。一人だけでない、という言葉ももちろん引っかかったが、それ以上に兄様が『使い物にならなくなる』という状態が想像つかなかった。
「兄様は確かに、私を大切にしてくださいます。ですが、公私を混同するような方ではありません」
兄様の愛情を疑うつもりはない。
もし私になにかあったら、悲しませてしまうだろう。泣かせてしまうかもしれない。でも、その悲しみを乗り越えて、国を導く器があると兄様を信頼している。
「だろうな」
父様は私の言葉に同意を示す。
それによって、何が言いたいのか更に分からなくなった。なら、と言いかけた私の言葉を封じるように、父様は言葉を続けた。
「お前が死んでも、表面上はなにも変わらないだろう。義務的に政務をこなし、涙一つ見せぬだろうな。お前と弟が生まれる前の、人形のようなアレに戻るだけだ」
「……っ」
目を見開いた私を、父様は真っ直ぐに見つめる。
「賢王になり得た男が、ただの傀儡になる。そんな決断は、させるな」
「はい」
気付いたら、唇から言葉が滑り落ちていた。
頭で理解するよりも早く、体が頷く。
「ごめんなさい」
私の謝罪を聞いても、父様は何も言わなかった。
けれど、いつもは一片の温度も感じさせない薄氷の如き瞳が、僅かに優しく細められた気がした。




