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第二王子の奮闘。

※ヨハン・フォン・ヴェルファルト視点です。

 


 ナハト達を見送った後、僕達はマルクスを中へと運ぶ事にした。


 両脇からマルクスを支える形で騎士二人が進み、僕はナハト達から預かった荷物を抱えながら後を付いていく。

 石造りの門を越えると、木と藁葺で出来た建物が見えた。


 一番手前にある家に、騎士達はマルクスを運び込む。

 入った途端、鼻をつく臭いに眉を顰めた。何事だと目を丸くした僕の視界に飛び込んできたのは、床に粗末な布を敷いただけの場所に転がされた男達だった。

 身なりから察するに、辺境騎士団に所属しているであろうその男達は、全員が赤い顔で魘されている。一目見て、発症していると分かった。


「酷いな……」


 場所が狭いだけでなく、衛生面でも問題がありそうだ。汗や埃の混ざったような臭いは、嗅いでいるだけで具合が悪くなりそうだった。

 僕は奥まで進み、窓を開ける。風が流れ込み、室内の澱んだ空気が入れ替わる。やっとまともに、呼吸出来た気がした。


「物資も人手も、何もかもが足りないんです」


 マルクスを寝かせながら、騎士の一人が言った。

 やはり、追加の物資や応援の人間は送り込まれていないようだ。


「取り敢えず、水を汲んできます。井戸は何処ですか?」


「お手伝いします」


 騎士団の一人に付き添われながら、僕は井戸へと向かう。

 村の中は閑散としていた。人影はまばらで、たまに歩いている人がいても疲れ切った顔をしていて生気がない。

 時折聞こえてくる呻き声が、不気味だった。


 井戸に辿り着くと、縄の先についた桶を中へと放り込む。引き上げている最中に、見知らぬ女性が駆け寄って来た。


「ねえ、貴方。見たことのない人だけど、もしかして外から来たの!?」


 僕へと詰め寄ろうとした女性を、騎士が慌てて押し留めた。

 しかし女性は怯む様子もなく、僕に向かって手を伸ばす。


「薬は? 薬は持ってきてくれたの? 私の可愛い坊やが、苦しんでいるの。お願い、助けて!」


「……分かりました。すぐに行きます」


 僕は縄を騎士へと手渡すと、荷物を取りに戻る。

 薬の入った鞄を引っ掴んで、女性の家へと急いだ。


 簡素なベッドに寝かされているのは、五、六歳くらいの男児だった。赤い顔をした子供は、細い四肢を投げ出して、ぐったりと横たわっている。喘ぐようなか細い呼吸は、今にも止まってしまいそうだ。


「……っ」


 小さな子どもが死にかけている様子は、想像以上にキツい。一瞬怯みかけた己を叱咤した僕は、子供の傍らに膝を突き、額に浮かぶ汗を布で拭った。

 柔い頬にそっと触れると、驚くほどに熱い。水を軽く絞った布を、冷やすために押し当てた。


「坊や、坊や……!」


 反対隣で母親が呼びかけると、子供の睫毛がふるりと震えた。ゆっくりと瞼が押し上げられ、焦点の定まらないライトブラウンの瞳が現れる。


「……?」


「水は飲めそうかい?」


 ぼんやりとした目が僕を捉え、子供は不思議そうな顔で瞬く。微笑みかけながら問うと、こくりと小さく頷いた。

 背中を支えながら、水を飲ませる。薬も飲ませたいが、相手は小さな子供だ。せめて何か胃に入れてからにしたいが、どうやら戻してしまうらしい。

 薬を手渡して、母親と交代した。


「脱水症状にならないよう、こまめに水を飲ませてください。水は温めで、少し塩を混ぜてあげるといいですよ。また吐きそうなようでしたら、横向きにして背を擦って、吐いたものが喉に詰まらないよう気をつけてください」


「あ、ありがとうございますっ!」


 礼を言われて、なんとも苦い気持ちになった。

 僕の渡した薬では、症状を緩和する可能性はあっても、完治は望めない。だが今、それを正直に伝える事はしない。わずかな希望さえ砕いてしまったら、助かるものも助からなくなってしまう。


 騎士達の元へ戻ろうと扉を開けると、外に待ち構えていた人達がいた。


「あの、薬があると聞いたんですが!」


「オレにも分けてくれ!」


「食料はないのか!?」


 我先にと押し合い、手を伸ばす。

 誰も彼も目が血走っている。自分と、自分の大切な人達が生きるために、皆必死だった。


「落ち着いてください! 子供が寝ているんです」


 僕がそう言うと、少しだけ騒ぎが治まった。子供を思いやるだけの理性は残っているらしい。なんとか人々を宥め、騎士達の泊まる家へと改めて来るよう説明した。


 動ける騎士達の手を借りて、一人一人に行き渡るよう薬と食料を配る。

 動けない人達には届けに行ったり、看病をしたりと駆けずり回り、再び戻って来る頃には、もう真夜中になっていた。


 疲れた体を引き摺り、出入り口の壁に凭れて座り込む。

 溜息を吐き出すのと同時に、カップが目の前に突き出された。見ると、騎士の一人が差し出していた。確か名前はヘルマンと言ったか。


「お疲れ様です」


「ありがとう」


 受け取って、息を吹きかける。湯気が揺れて香りが漂った。

 一口飲むと、熱い液体が食道を伝い落ちるのが分かる。肩の力が抜け、長い息が洩れた。


「ヨハン様のお陰で、皆、少しだけ元気を取り戻したみたいです。ありがとうございます」


 確かに、薬や食料を手にした彼等の表情は、少しだけマシになった。

 だが一時的なものだ。僕が持ってきた食料や薬の量では、その場凌ぎにしかならない。


「……それじゃ駄目なんです。根本的な解決にはなっていません」


 薄い茶を啜りながら、僕は苦く呟く。


 今日は良くても、明日は? 明日良くても、一週間後はどうなる?

 グレンツェからの救援は期待出来ない。手元にある物資と薬は、尽きるのが目に見えている。ナハトが戻ってくるまで持ち堪えなければならないのに、具体的な方法は何も浮かばない。


「そもそも、この事態をハインツ様はご存じなんですか?」


「…………」


 僕の問いかけにヘルマンは無言で俯く。

 しかし別な場所から、答えが返ってきた。


「ハインツ様は、何も知らされていないはずです」


 答えたのは、てっきり眠っているとばかり思っていたマルクスだった。


「副団長、起きたんですね。喉乾きませんか?」


「ありがとう」


 マルクスは体を起こすと、ヘルマンが差し出した水を受け取った。彼が水を飲み、一息ついたのを見計らい、話しかける。


「ハインツ様が知らないって、どういう事ですか?」


「ハインツ様は一年ほど前に心臓を悪くされて、病床に伏しておられます。それ以来、ご子息であるフィリップ様が代理でグレンツェを治めるようになりました」


 ハインツ様が病気だというのは、どうやらデマではなかったらしい。

 だが納得した部分もある。もしハインツ様がご健在であれば、病人の隠匿など許すはずがない。


「フィリップ様は必死に、ハインツ様の代わりを務めようとなさっていました。グレンツェをもりたてようと尽力されていた。私達もそんなあの方を支えようとしたのですが、逆に遠ざけられてしまいました。元々あの方は、ハインツ様のお傍にいた我らを、疎んじていたのでしょう」


 ハインツ様と騎士団の皆との間には、長い時間で築いた信頼関係があった。それこそ、血の繋がりだけでは太刀打ちできないような、確かな絆が。

 それは実の息子であるフィリップにとって、どれほど残酷で屈辱的な事実だっただろうか。


「私達などいなくても、フィリップ様は自身のお力でグレンツェを繁栄させてみせると仰っていました。事実、グレンツェは貿易の要として、発展し始めた。しかしその矢先に、病が流行りだしたのです」


「それで隠蔽しようとした、と」


 冷めた口調で言い放つと、マルクスは苦笑いを浮かべた。

 暫しの沈黙。ジジ、と古びたランプの芯が燃える音がした。


「なにも最初から、病人を隠蔽しようとした訳ではありません。ただの熱病だと思われていましたから、薬を手配し、住民に注意を喚起しました。ですが、病は収まるどころか、広がっていった」


 噂が諸外国に広がれば、グレンツェを訪れる人はいなくなる。

 かつてない危機に気付いたフィリップは、病人を隔離する事を思いついた。


 丁度、街では、森の奥にある村の住民が病の根源ではないかと噂され始めていた。彼等ごと隠蔽してしまおうと決め、その見張りにマルクス達、西方辺境騎士団の人間を任命したようだ。

 自分に都合の悪い人間を、まとめて処分しようとしたのだろう。


「……なるほど」


 カップの中身を飲み干した僕は、天井を仰いだ。

 後頭部がゴツリと壁にあたる。頭痛がするのは、物理的にぶつけた事が理由ではない。


「想像以上に、状況が悪いことが理解出来ました」


 援助が期待出来ないどころか、処分に積極的とは。


「最悪だ」


 独り言のように呟く。

 それとほぼ同時に、扉が鳴った。外側から乱暴に、戸が叩かれる。切羽詰まった様子に僕達は顔を見合わせ、それからノブに手をかけた。


.


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