次期族長の歓喜。(2)
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ、宜しくお願いします。
※クーア族、次期族長 ヴォルフ・クーア・リュッカー視点です。
この懇願に、心を動かされない人間がいるだろうか。
オレは、心が震えるということを生まれて初めて実感した。
閉鎖的な村で、一つ、また一つと増える墓を数えた。
人目を避けて旅をしても、見つかり、珍獣のように狩られた。
訪れた村で子供が死に、間に合わなかったことを詰られた。
金貨を目の前に積み上げられ、これでも足らぬのかと蔑まれた。
オレは、自分の無力さを嘆いた。
失われたばかりの小さな命に、謝ることしか出来ない。仲間一人の意志すら、変えられない。なにが奇跡の一族だ。こんな情けない男のどこに、奇跡の力がある?
呼ばれても誇らしさはなく、苦い気持ちだけが胸を占める。独り歩きした名前の大きさに、押し潰されそうだ。
オレは、オレ自身の誇りがどこにあるのか見失いかけていた。
だが、誇りは変わらずこの胸にあった。人を救いたいと願う限り、クーア族としての誇りは消えない。
それを、マリー。アンタがオレに教えてくれた。
この感動をなんて言い表せばいい。
胸に湧き起こる、この気持はなんて呼ぶ?
叫び出したいような、泣き出したいような不思議な感覚が胸を満たす。世界がまるで生まれ変わったかのように色付いていく。
見慣れた筈の景色を構成する全てが、とても愛おしいものに思えた。
マリー。
オレは、アンタに会えて良かった。
再び、静寂が広がった。
だが悪意ある沈黙ではなかった。ある者は心打たれ、ある者は困惑している。顔を見合わせて戸惑う人達の中、ロルフが一歩前に出た。
たかが一歩、されど一歩。
誰も動けない状況でのその行動は、まるで未踏の地を踏みしめたかの如き存在感があった。彼の小柄な体が、少しだけ大きくなったかのようにさえ感じる。
「いいぜ」
ロルフはそう短く告げると、口角を吊り上げて不敵に笑う。
「オレはアンタについて行く。オレはガキで大した戦力にはならないと思うが、手伝うことは出来る。なんでも言え」
「……はっ?」
マリーの口から、呆気にとられたような声が洩れた。
一番驚いているのは村人ではなく、マリーなのかもしれない。
戸惑う彼女を見て、ロルフは笑みを深めた。その後、普段の彼からは想像もつかないような凛々しい顔付きで、胸に手をあて頭を垂れる。
「オレはアンタに従おう。王女殿下」
静まり返っていた周囲は、その言葉に我に返ったかのように慌てだした。
「ちょっとロルフ! アンタなに簡単に言ってるのよ!?」
「簡単には言ってない」
「言ってるだろうが! ちょっと黙れ!」
ロルフは両親に、両脇から押さえ付けられる。だが母親に頭を引っ叩かれても、父親に首根っこを掴まれても、ロルフは負けなかった。
「嫌だ、黙らない! あいつは女神としてオレ達を騙すことも出来た。王女として命令することだって、本当は出来る。でもそうはしなかった。薬師としてのオレ達の誇りを護ろうと、言葉を尽くして頭を下げてくれてる。同じ人間として、対等な立場で話をしてくれようとしてんだよ。その誠意に、誠意以外のなにを返すんだ!?」
「……っ」
ロルフの両親は、彼の言葉に動きを止めた。
周りにいた人間も、驚きと感心が入り混じった顔でロルフを見る。誰も口を開かない。すぐに同意できるほど素直ではないが、子供の戯言だなんて一蹴出来るほど、腐ってもいないからだ。
ロルフの言葉は正論だった。
マリーの願いを受けて彼が出したのは、村一番の糞ガキとは思えないほど大人で、且つ誠実な答え。簡単に否定など、出来るはずもなかった。
「わ、わたしも……私もっ!」
隣のリリーが手を挙げた。
吃りながらも必死に訴える。
「私も、許されるなら貴方と一緒に行きたい、です」
リリーは涙に潤んだ瞳で、マリーを見つめる。
思うように言葉が紡げない己がもどかしいのか、胸の辺りで両手を握り締めながら、頭を振った。表面張力で留まっていた涙が散って、キラキラと光を弾く。彼女の瞳と同じ、眩いくらいの輝きだった。
「ううん、許されなくてもいい。行きたい、連れていってください。私も薬師として、自分を誇れる生き方がしたい。あなたと、マリー様と一緒に生きたいっ!」
「リリーさん……っ」
マリーは感極まったように、上擦った声でリリーを呼ぶ。
人混みをかき分けて、リリーの元へと駆け寄ってきたマリーは、そのままの勢いでリリーに抱き付いた。リリーは驚いていたが、すぐに嬉しそうに目を細める。初めて見る、年相応の笑顔だった。
ぎゅうぎゅうと抱き締め合う二人を見て、周囲の人々も表情を緩める。
「オレの時と反応違うじゃねえか!」
「そりゃ、日頃の行いの差だろ」
納得いかねぇ! と叫んだロルフの髪を、隣にいた父親がグシャグシャにかき混ぜる。
「違いねぇな」
「リリーと同列に扱ってもらおうなんて図々しい。普段のお前の言動と行動を思い返してみろよ、糞ガキ」
「うっせ!」
至る所から笑い声が洩れて、場の空気が一気に明るいものへと変わった。
リリーとマリーも、顔を見合わせて楽しそうに笑っている。ごく当たり前の、平和な光景。だが、マリーが女神になる道を選んでいたら、見られないものだった。
まるで奇跡のようだ。
緩やかな滅びか、分裂か。そのどちらかの未来しか思い描けなかったのに。マリーは意図せず、全てを掬い上げようとしている。
「奇跡のような光景だ」
いつの間にか傍に来ていた父上は、オレの心を読み取ったかのように言った。
「我が一族は保守的で、変化を嫌う者が多い。だからこそ私は強引にでも連れ出す手段を選んだ。それが最善だと信じていた。……だが、間違いだった。私は、仲間のことも王女殿下のことも見縊っていたのだな」
自嘲混じりの苦い声で、父上は独り言のように呟く。
遠い目をして苦笑していたのは、ほんの数秒。笑みを消した父上は、マリーの元へと向かった。
「王女殿下」
振り返ったマリーは厳しい表情の父上を見て、緊張した面持ちとなった。
リリーから体を離し、父上の方へ向き直る。背筋を伸ばし、次の言葉を待つマリーの前に立った父上は、深く頭を下げた。
「ぞ、族長さんっ?」
「小賢しい芝居を強要して、貴方の誇りを傷付けようとした罪が、頭を下げた程度でなかった事になるとは思っておりません。ですが、どうか謝罪する事だけはお許しを。此度の件、誠に申し訳ありませんでした」
焦っていたマリーは、父上の言葉を聞いて眉を下げる。
瞳を伏せて、ゆっくりと頭を振った。
「……謝っていただくような事は、なにもありません。私は結局、自分の意志を曲げられなかったのですから」
「確かにそれは予想外でしたが、結果として貴方は最良の道を選び取った」
「え?」
マリーは虚を突かれたように、目を丸くする。
顔を上げた父上は、真っ直ぐにマリーの目を見つめた。
「全員一人残らず、貴方に忠誠を誓うとは申しません。話し合いもせずに、一族の未来を決めてしまえる権利は私にはない。ですが私達は薬師。病人がいるのならば、どこへでも駆けつけましょう」
「! では……?」
マリーの期待に満ちた眼差しを受け、父上は口元を僅かに緩めた。
はい、と頷く父上の声は、今まで聞いたこともないほどに柔らかいものだった。
「薬師としての我らを尊重してくださった貴方に報いられるよう、尽力致します」
父上の言葉を聞き、マリーはリリーと顔を見合わせた。
二人は喜色満面で、再び互いを抱き締め合う。その光景が愛おしくて、涙が出そうになった。
ありがとう、オレの大切な主様。
諦めないでくれて。御伽噺のような幸せな結末を掴み取ってくれて、ありがとう。
オレはアンタに会えて、本当に良かった。
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