転生王女の決断。(3)
明くる日、朝。
村の中心に位置する広場に、大勢の人が集まっていた。突然の招集に戸惑い、ざわめく人々。そして彼等から少し離れた場所で、私はその光景を眺めている。
どうして、こんな事になっちゃったんだろう。
昨夜から何度繰り返した分からない疑問を、心の中で呟いた。
どう考えても、族長さんの案は得策ではない。
クーア族の現状が行き詰ったものなのだとしたら、変化を加えるという方向性は間違っていない。保守的な性質を考えれば、多少は強引な手段を選ばざるを得ないというのも分かる。でも、あまりにやり方が不味い。
騙したと知れたら、溝が出来る。しかも彼等の大切なものを踏み躙るような手段は、どんな正当な理由があったとしても後々に禍根を残すだろう。
現状を打破するという一点に重きを置きすぎて、皆の感情を全て無視している。
ヴォルフさんの言った『誰も幸せになれない』は、きっと正しい。
隣に立つヴォルフさんを見上げると、彼は硬い表情で前を睨んでいた。鋭い瞳には怖いほどの迫力がある。
反対隣にいるリリーさんは、不安そうな面持ちだ。チラリと視線を向けられ、安心させるために笑いかけたが、リリーさんの表情は晴れるどころか曇ってしまった。たぶん殺しきれなかった不安が、私の表情にも滲んでしまったんだろう。
俯いてしまったリリーさんにかける言葉も見つからず、自然私の視線も足元に落ちる。しかし、一際大きくなったざわめきに思わず顔を上げた。
人垣が割れて道が出来る。現れた族長さんに、人々の視線が集中した。
「族長、こんな朝から一体……」
不満か不安か。吐き出そうとした男性の言葉を、族長さんは手で制す。口を閉ざした男性につられるように、場が静まり返った。
族長さんは広間の中央まで進み、足を止める。集まった人達の顔をぐるりと見渡した。
ピリピリと張りつめた空気に、肌が粟立つ。沈黙が長引くほどに緊張が増し、息苦しさを覚えた。
「おはよう」
長い沈黙の後の第一声に、私は目を丸くした。
集まった人達も面食らっていて、ぽつぽつと何人かが『おはようございます』と戸惑い気味に返している。
「クソ親父……」
ボソリと呟いたヴォルフさんも、呆れ顔だ。
「朝から呼び出してしまって申し訳ない。女達は一番忙しい時間だっただろう。話が終わったら、ぐうたらと座っているだけの旦那の尻を蹴って、存分に使ってやってくれ。私が許可をしよう」
さっきまで顔を強張らせていた女性達から、クスクスと笑い声が洩れた。勘弁してくださいよ、なんて言いながら男性陣も笑っている。
場の空気が緩んだ。もしかしなくとも、それが族長さんの狙いだったのだろう。
「老人の長話は嫌われるだろうが、手短に済ませられるものではないのでな。少しばかり時間を割いて欲しい」
族長さんはそう切り出し、一拍の間を開けてこう続けた。『我が一族の未来に関係することだ』と。
緊張を解いて話を聞いていた人々の表情が、引き締まる。余計な強張りはないが、集中している顔だ。族長さんは、緩急の付け方が上手いなと場違いにも感心してしまった。
「我らクーア族の起源は約六百年前。一人の女性から始まったとされている。その御方は薬学に造詣が深いだけでなく、草木を一瞬で成長させ、一撫でで怪我や病気を治す稀有な力を持っていた」
リリーさんからも教えてもらった女神の伝説だ。
当時の文献は残っていないので、口伝という形で残されているためか現実味が酷く薄い。御伽噺のようですらある。
でも私は嘘だとは思わない。多少、誇張されているかもしれないが現実だろうと。
ただし始祖たる女性の正体は、女神ではなく魔導師なんじゃないかと考えている。
だって撫でて怪我を治すとか、まんまミハイルだよね?
草木の成長を促すとも言っているし、女神も地属性の魔導師だったんじゃないかな。
「我が一族は、かの御方の血を受け継ぎ、ずっと守り続けてきた。だが奇跡の力はだんだんと失われ、百年以上も前に途絶えた。もう受け継ぐ者は一人もいない」
シン、と重苦しい沈黙が落ちた。
「私達は、いったい何のために血を守り続けているのだろうか」
「族長!」
族長さんの話に耐えかねたように、五十過ぎの男性が声を荒らげた。叱責というよりも懇願に近い響きだった。
もうその先は言ってくれるなと。
だが族長は止めるつもりはないと示すように、ゆっくりと頭を振った。
「もう目を逸らしていられる時期は、疾うに過ぎた。私達は変化を厭い、慣習に縛られ続けた結果、多くの大切なものを失った」
「……っ、」
苦しげな顔付きで男性は言葉を詰まらせる。
「最盛期には千人を超したと言われている我ら一族は、もう二百人もいない。しかも私を始めとした老人が多くを占め、子供の数は年々減るばかり。もはや、滅びは目前だ」
「まだ滅びると決まった訳ではない! アンタがそんな事を言ったら、若い連中が不安になるだろう!」
老齢の男性が怒声を上げる。
しかし彼を諌めたのは、族長ではなく傍にいた同じ年頃の女性だった。
「お止めなさいな、貴方。族長が何を言いたいのかは、私ら年寄りが一番分かっているはずです。……私は、泣き声すらあげずに旅立ってしまったあの子のことを、忘れた事はありませんよ」
「お前……」
「中々子宝に恵まれなかった私達の元にきてくれた、可愛い子。目元が貴方そっくりで、耳の形は私に似ていた男の子だったわ。丈夫に生んであげられたら、今も隣で笑っていてくれたんでしょうかね……」
夫婦の周りの人達が、沈痛な面持ちで俯く。もしかしたら彼等も、身内の誰かを亡くしているのかもしれない。
「族長、もし……もしも、子供達が村の外の人達と結婚したら、丈夫な子が生まれますか? 私達のように、子の葬式などせずに済むのでしょうか?」
一人の若い女性が手を挙げる。
縋るような声で言う彼女を族長は痛ましげに見たが、暫しの間をあけて、ゆっくりと頭を振った。
「分からない」
目的のためならば、手段は選ばない人なのかと思っていた。
でも違う。族長さんは、誤魔化したりしなかった。頷いてしまえば何人かの心は動かせたかもしれないのに、口先だけの慰めを良しとしない。
彼はきっと誠実な人だ。
「我が一族に子が生まれ難くなったのも、体が弱く、幼くして亡くなる子が多いのも、原因は定かではない。子が親に似るように、病も受け継がれてしまっている可能性はある。だが証拠はない。故に、外部の人間との間に出来た子が丈夫なのかどうかも、生まれてみるまでは分からない」
族長さんは、言外に『未来は確約出来ない』と言ってしまった。
人々が再びざわつく。しかし、その中でロルフが真っ直ぐに前を……族長さんを見据えているのが、やけに印象的に見えた。
「分からない事だらけで動きだすのは不安だろう。だが、動かなければ永遠に分からないままだ」
息を呑む音がした。
隣を見れば、リリーさんが胸の前で両手を握り締めている。
「子供達に、我らのツケを払わせてはならない。意味を失った慣習を押し付けて、狭い箱庭に囲い、ただ墓穴を掘る未来を背負わせてなんになる。子供達の未来は、子供達が選ぶべきだ」
毅然と言い放った族長さんを、言葉無く見つめる。
私を偽女神に仕立てると聞いた時には、もっと悪い想像をしていた。一族の人達の気持ちなんて無視で、女神の名を盾にして、従わせるような悪質な事態を。
でも族長さんは、真っ直ぐに向き合い、言葉を尽くして説得しようとしている。
これで、私の出る幕なんてどこにあるというんだ。偽女神なんてお呼びじゃないでしょう。
村人達は、戸惑いながら顔を見合わせている。
心が動かされた人が少なからずいるのは分かった。でも、賛同の声はいくら待ってもあがらない。でも少し考えれば、それは当たり前の事だった。
先祖代々、守り続けてきた慣習を急に覆すなんて、簡単に決断出来る事ではない。
それに変わるのは怖い。未知の領域に踏み出すのは、とても勇気が必要だ。少なくとも、一日二日で決断できる内容ではない。
でも、きっと時間が経てば経つ程に腰は重くなる。
「……ああ、そっか」
暫く考え込んでいた私だったが、ふとある答えに辿り着く。思わず声が洩れた。
だから、偽物の女神様が必要なんだ。
躊躇う人達の背を押すために、族長さんは敢えて邪道を選ぼうとしている。
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