第二王子の視察。(3)
※引き続きヨハン視点です。
「今日も暑いな。王都が恋しくなってきた」
『用も済んだのだから帰れと、遠回しに言ってきた』
「視察も会談も滞りなく終わりましたし、そろそろ帰れるのでは?」
『森林伐採に制限を設ける確約がとれてしまった以上、留まるのは難しいですね。帰るのを渋れば、怪しまれる』
当たり障りのない会話を続けながら、テーブルの上に置いた紙にサラサラと書き綴る。
僕は会談に参加はしていないが、どうやら当初の目的である森林伐採の制限は、あっさりと承諾されたらしい。それ自体は朗報だ。だが、別の問題が浮上してきている今、手放しでは喜べない。
渋面を作ったナハトは、僕の手から羽ペンをひったくるように掴むと、苛立たしげに殴り書きをした。
「そうだな。王都に帰る準備をするか」
『滞りがなさすぎだ! 南西の森には、伐採作業をしている人間が一人もいなかったし、私達が入れたのは森の入り口までだ。あれを視察と呼べるのか!?』
ナハトの怒りを代弁するように、紙が引き攣れ、破れかかっている。僕は彼の手から羽ペンを抜き取ると、『落ち着いて』と大きく書く。
ナハトは、貨幣が挟める程に眉間の皺を深くしながらも、重々しく頷いた。
僕が街中で肉を頬張っていた頃、ナハト達一行は南西の森に向かった。
しかし伐採作業は一切行われておらず、奥へと立ち入る事も禁じられた。理由は、先日の大雨によって土砂崩れが起こったとの事。作業を中止しているのも、それが理由だそうだ。
確かに大雨は降った。木を切り倒した事により、地盤が緩んでいてもおかしくはない。
――だが。
「お土産を何か、買って帰りましょうか」
『森の奥にある村はどうなったんですか』
黒い肌の一族が住む村は、森の奥にある。
森林伐採が始まって生態系も崩れ、かなり住み辛くなったとはいえ、全員が移住した訳ではないだろう。
僕が書く文字を目で追っていたナハトは、苦しげな顔付きで唇を引き結んだ。
「それはいいな。フランメの織物が見事だと聞いた」
『道が寸断されて、連絡が取れないらしい』
馬鹿な!
それで何故、フィリップ達は悠々と僕等の接待なんてしているんだ!
『救助は? 土砂を取り除く作業は進んでいるんですか?』
『二次被害が起こってはまずいからと、まだ手は出せないそうだ』
『そんな馬鹿な。大雨から、何日経っていると思っているんですか』
『あの村は、今までも外界と交流なくやってこれたから大丈夫だ、というのが、あちらの主張だ』
『誰が生活の基盤を奪ったと思っているんですかね』
馬鹿馬鹿しいと吐き捨てたくなった。歪に口角を吊り上げ、皮肉げに笑う。
そんな僕を一瞥したナハトは、人差し指の第二関節の背で、こつ、と紙を叩いた。指すのは、僕がさっき大きく書いた『落ち着いて』という文字。
僕は目を伏せ、息を吐き出す。コメカミを指で揉みほぐしてから、目を開ける。ナハトの目を見て頷くと、彼も頷き返した。
『救出作業に着手していないという事は、土砂崩れ自体が嘘だという可能性もある』
『だとしたら、調べるべきは森ですね』
「フランメの織物は、王都の女性にも人気だそうですよ」
「それは本当かい!?」
「げ」
筆談をしながら続けていた適当な会話に、横やりが入る。予定外の人間の食いつきに、ナハトは嫌そうに顔を顰めて呻いた。
「最近、コリンナやエレオノーラの機嫌が悪いから、お土産を買って帰ろうと思っていたんだけど、何にしたらいいか悩んでいたんだ。素晴らしい事を教えてくれてありがとう!」
「……お役に立てたのなら良かったですよ。リヒト」
両手を握られ、ぶんぶんと上下に振られる。至近距離にある輝かんばかりの笑顔に、僕は引き攣った笑みを返した。
コリンナとエレオノーラというご令嬢の機嫌が悪いのは、貴方がユリア王女に鼻の下を伸ばしているからでしょうよ、と心の中で呟きながら。
この鬱陶し……否、無駄に明るい……いやいや、明朗快活な少年、リヒト王子は、実は最初から同じ部屋にいた。
今日はユリア王女が別行動しているため、寂しがりやなリヒト王子は、僕等から離れなかったのだ。互いの成果を報告したかった僕とナハトは、とても困った。
盗み聞きされている可能性を考え、筆談を使おうとしたのだが、リヒト王子に説明しても理解してもらえるとは思わない。寧ろ、足を引っ張られそうな気さえする。
苦肉の策としてナハトが思いついたのが、ゲームだった。『紙に書いてある話に引き摺られずに会話する』というゲームだ。
面白そうだとリヒト王子は乗ってきたが、始まって早々に、脱落していた。面倒くさくなったのか、負けそうだと思ったのか、彼はソファーで居眠りをし始めた。
静かになってよかったと安堵していたのだが、どうやら油断していたようだ。
僕としたことが、話題選びを間違うとは。
「そのまま距離を置かれたら如何です?」
「何故だい?」
「未婚の女性を、惑わせるものではありませんよ、兄上。ご令嬢方の婚姻に響いてしまっても、責任は取れないんですから」
次期国王としての自覚を持て。鋭い目でリヒトを見つめながら、ナハトは言外にそう告げた。
しかしリヒトは、無邪気な笑顔のまま首を傾げる。
「贈り物をする事が、どうして惑わせる事になるんだい? 最上級の織物を贈れば、きっと最高の笑顔を見せてくれる。私は美しい女性には、笑顔でいて欲しいだけだよ」
リヒト王子は、何の含みもなく笑う。
邪推もできそうな言葉だが、彼が何も考えていないのは、ナハトも嫌というほど理解していた。
だからこそ、苦虫を噛み潰したような顔をしているのだろう。僕等に聞こえないような小さな声でナハトは、何事かを呟く。唇の動きから予想するに『生殺しか』といったところだろう。
ナハトの言う通り、リヒト王子のしている事は生殺しだ。
コリンナとエレオノーラという女性の家柄は知らないが、ユリア王女に勝てる見込みはない。彼女達が王太子妃になれる可能性は、限りなく低いだろう。
だが、リヒト王子が親しくしていたら、他の婚約者を見つけるのも難しい。王子殿下のお気に入りには近づけまい。
貴族の令嬢の婚期は十代半ば。大事な時期を、何も考えていない馬鹿王子のために浪費しているとは……気の毒に。
そう思いながらも口を挟まない。薄情だが、僕には関係ない事だと割り切っている。
しかしリヒト王子が続けた言葉は、聞き流せなかった。
「ねぇ、ヨハン。君なら分かるだろう? 君も美しい姉君には、笑顔でいて欲しいよね?」
「……は?」
「君の姉君は、まるで一流の職人が作った人形のように美しい方だと聞いたよ。金の髪に青い瞳の方には、どんな色合いのドレスが似合うかな? 着ているところを想像するだけでも、嬉しくなるよね」
ボキン、と硬質な音が鳴った。
なんの音だろうと頭の隅で思いながら、顔を上げる。強張った顔のナハトの視線が、僕の手元に注がれていた。辿る形で視線を落とすと、羽ペンが真っ二つに折れている。どうやら音の正体は、僕が羽ペンをへし折った音だったらしい。
「君の姉君にも、いつか贈り物をさせて欲しいな。宝石もドレスも、一流の品を用意する。あ、甘いものはお好きかな? うちの料理人に、腕を振るわせるよ」
「リヒトが姉に贈り物? 頂く理由がありませんよね」
「あるとも! 美しい方を美しく飾るのは、私の生きがいであり使命……」
「リヒト」
滔々と捲し立てるリヒトの声を、僕は遮った。
リヒトは目を丸くし、ナハトは珍しくも青褪めている。そんな二人に向け、僕はにっこりと微笑んだ。
「ご冗談を」
姉様は確かに、整った容姿をしている。
だが、泥にまみれていようとも、顔に大きな火傷を負ったとしても、姉様の美しさは欠片も損なわれる事はない。真っ直ぐな心根と、生き方そのものが、あの人の美しさの根源だからだ。
それを理解もせず、皮一枚の美醜に惑わされる馬鹿が、姉様の美しさを語るな。
「……冗談ではな、モゴッ!?」
「お願いですから、もう黙って下さい」
空気を読まずに話を続けようとしたリヒト王子の口を、ナハトが手で塞いだ。
そのまま呼吸そのものも止めて欲しいとは思っていない……ほんの少ししか。
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