第26話 新さん、コーヒーはホットでいいよね?
夕方ごろ。
レトロな店構えの喫茶店の前に俺は立っていた。
「『下弦の月』は、ここだな」
手元のスマホの地図アプリと、看板を見比べて目的地についたことを確認する。
喫茶店はダークブラウンの艶のある木と、白の壁がうまく調和されていて、これぞ喫茶店という感じだった。
足元には『下弦の月』と書かれた看板ライトが点いていて、ノスタルジックな雰囲気をより演出していた。
俺は日頃から喫茶店通いをしているわけではない。
むしろ、こういうところに来るのは初めてだ。
扉を前にして、軽く深呼吸する。
「ふう、なんだか緊張するな」
まあ、緊張しているのは他にも理由があるのだが。
なにを隠そう、ここは寧々ちゃんのアルバイト先だ。
なぜ俺がここに来ているかというと、寧々ちゃんと以前ショッピングモールで買い物をしたときの会話でアルバイト先にお邪魔する話をしていたのだが、今朝になって急に寧々ちゃんから「今日、来れる?」と聞かれたのだった。
時間に余裕のある俺は「大丈夫だよ」と返した。
そこから店を教えてもらって、学校終わりの寧々ちゃんのシフトに合わせてこの時間に来たというわけだ。
「寧々ちゃんが働く姿か、想像もつかないな」
いつまでも喫茶店の前に図体のでかい男が立っているというのは見栄えが悪いだろうから、俺は意を決して扉を開けた。
からん、とベルの音がなって俺は一歩足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
鈴を転がしたような澄んだ声に迎えいれられる。
この聞き馴染みのある声は寧々ちゃんだ。
「新さん、ちゃんと来てくれたんだ。嬉しい」
とことこ、と歩み寄ってくる寧々ちゃんの姿に俺は言葉を返すことができずにいた。
いや、見惚れていたというのが正しいだろう。
「じゃあ、席まで案内するね? あれ、どうしたの新さん? 固まっちゃって」
寧々ちゃんの艶めく黒と赤のまとめ髪の上には白フリルのヘッドドレスが乗っていて、黒の膝下までのワンピースに白いエプロンを重ね、そこから伸びる白いタイツの足元には黒のストラップシューズを履いていた。いわゆるクラシカルなメイド服。
一枚の絵画から抜け出したきたような、その可憐さという暴力に頭を殴られたような衝撃が走り、思考が停止してしまったのだ。
「いや、可愛すぎるだろ」
「え?」
思わず口に出た言葉に自分自身で驚いてしまう。
俺の発言に寧々ちゃんも目を丸くしていた。
「すまない、今のは忘れてくれると助かる……」
「う、うん……」
顔が熱い、いま俺の顔はとても赤くなっているだろう。
変なことを言われた寧々ちゃんもまた顔を赤くして、顔を手であおいでいた。
気まずい空気が流れるが、とりあえず席まで案内してもらった。
俺は一つ疑問に思ったことを尋ねる。
「寧々ちゃん。失礼なことを聞くようだが、ここはメイド喫茶とかそういう店なのか?」
「ううん、違うよ。制服がメイド服だから誤解されやすいんだけど普通の喫茶店だよ?」
「そうなのか」
普通の喫茶店ではないように思えるが。
まあメイド喫茶でもなさそうだ。メイド喫茶に行ったことはないのだがイメージよりは店構えや店内が落ち着いている印象を受ける。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
突然、定番の言葉とともに添えられた寧々ちゃんの美しいカーテシーに目が釘付けになる。
周りからも小さく歓声があがる。
「よくあるこういうのじゃなくて、いらっしゃいませだったでしょ?」
「……そ、そうだったな」
今回は思考を停止させずになんとか口を開く。
不意打ちにやられてしまうところだった。
でも言われてみればたしかに店に入ってきたときは、普通にいらっしゃいませだったな。
「このお店ね、料理や飲み物、ぜんぶ完成度高くてとっても美味しいんだよ? それに今日は店長がサービスしてくれるって言ってたから好きなもの食べていいよ」
にこっと微笑む寧々ちゃんにまたやられそうになる。
「今朝も聞いたけど、本当にいいのか?」
「うん!」
寧々ちゃんのこんな姿を拝むことができて、おまけにサービスまでしてくれる。
ここは天国かなにかだろうか。
「これメニューだから、決まったら呼んでね?」
「ありがとう」
そして寧々ちゃんがテーブルから離れていった。
後ろ姿も、華奢な寧々ちゃんとメイド服がばっちりはまっていて綺麗だった。
なにを頼もうか、とメニューをみながら横目で寧々ちゃんを追ってしまう。
ほかのお客さんと対応しているときは俺に接していたときと違ってしっかりと敬語を使っていた。
他にもメイド服に身を包んだ従業員さんがいたのだが寧々ちゃんが頭ひとつ抜けているようにみえた。
歩きかたから、所作、言葉遣い、どれひとつをとっても丁寧で美しかった。
それに、格好とは別にいつもとは違う一面をみれたことがどこか嬉しい。
なにも注文せずにみているのはおかしいので、手をあげて寧々ちゃんを呼ぶ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「オムライスのビーフシチューがけとオリジナルブレンドコーヒーを頼むよ」
「コーヒーはホットでいいよね?」
「ああ」
夏も近づき少しずつ暑くなって来たのだが俺はコーヒーはホットと決めている。
それを知っている寧々ちゃんは当然のようにホットの確認をとってくれる。それが心地良かった。
喫茶店のコーヒー、気になるぞ。
純粋にわくわくしている俺がいた。
料理を待っている最中、寧々ちゃんとは違う店員さんに声をかけられる。
「あなたが噂の新さんですか」
整った顔立ちでギャルソンスタイルに身を包んだ、男装の麗人が立っていた。
「噂になっているかは分からないですが、俺が新というのは合っています。あなたは……?」
「ああ、急に声をかけてしまってすみませんねえ。はじめましてボクは月見弓、ここの店長をやらせて頂いてます」
彼女は胸に手をあてて軽くお辞儀をした。
店長という言葉を聞いて俺は立ち上がる。
「初めまして、俺は一ノ瀬新です。寧々ちゃんがお世話になっています。それに本日はサービスして頂いてありがとうございます」
「そんな畏まらなくてもいいですよお。ボクがあなたを一目みたかったんですからあ。それにしても背高いですねえ?」
月見さんが手を目の上にかざしながら俺を見上げていた。
「身長いくつくらいあるんですかあ?」
「百八十六です」
「こんなにも顔が良いのに、おまけにスタイルまで良いなんて寧々ちゃん良い人つかまえたねえ」
唇に指を添えて月見さんが薄く笑う。
その仕草は男の俺の目からみてもかっこよく写った。
俺が従業員の知り合いだからだろうか、とても褒めてくれる人だな。
というか、つかまえた? どういうことだろう。
「あ、立たせたままですみませんねえ。さあさあ座ってくださいな」
「失礼します」
「はは、聞いてた通り真面目な人だなあ。そうだ。新さん、寧々ちゃんのメイド服姿かわいかったでしょ?」
「え、ええ……。とてもかわいかったです」
それにしてもこの人は独特な話し方と距離感だな。
自分のペースで話しているから俺が口を挟むすきがない。
なので、さっき思った疑問を聞きそびれてしまった。
「ですよねえ。うちの喫茶店は伝統的な味を守りつつ、可愛い従業員と丁寧な接客で人気になってるんですよお。寧々ちゃんはこの店の人気に一役も二役もかってて頼りにしてるんです」
寧々ちゃんが褒められると俺も嬉しい。
しかし、この店の人気にはこの人も一役かっていると思う。
さっきから女性客がちらちらとこちらをみている。
「新さん、お待たせしました。店長なにしてるんですか?」
ワゴンに料理を運んできた寧々ちゃんが店長を前に立ち止まる。
「あ、寧々ちゃん。新さんにご挨拶してたところだよお」
「……新さん?」
首をかくん、と傾げてる寧々ちゃんだった。
少し空気がヒリつくのを感じる。
「おおっと怖い怖い、一ノ瀬さんだったねえ。寧々ちゃんがいつも新さんっていうからついボクもそう呼んじゃってたよお」
「て、店長!」
先ほどの空気が消えて、寧々ちゃんが慌てていた。
「そんなことより。ほらほら、早く料理を提供してあげなさいな。一ノ瀬さんが待ってるよお」
「そんなことって。もう……」
月見さんの飄々とした態度に寧々ちゃんは少し呆れていた。
いつもこんな感じなんだろうなということが伺えた。
気を取り直した寧々ちゃんがオムライスとコーヒーを俺の目の前にサーブしてくれる。
「そうだ寧々ちゃん、今日はもうあがっていいよお」
「え」
突然のことに驚く寧々ちゃんだった。
「大丈夫、しっかりシフト分の時給も払うよお。今日は一ノ瀬さんと一緒にご飯食べなよ。もちろん寧々ちゃん分もサービスするからさあ」
「いいんですか?」
「いいのいいの、福利厚生の一環だから」
ありがとうございます、と言って寧々ちゃんはバックヤードに戻っていった。
「月見さん、なにからなにまでありがとうございます」
俺からも改めて礼をいう。
「いいんですよお。それにご飯は人と食べた方が美味しいですからあ。それではどうぞごゆっくり」
月見さんはぱちりとウィンクをして去っていった。
独特な人だが、良い人だな。
寧々ちゃんは良いところで働いているんだなと安心した。
そして俺は目の前の美味しそうな料理とコーヒーに意識を移して、喉を鳴らすのだった。
お読みいただきありがとうございます。
本日、最終話まで投稿いたします。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。





