10-(6) その魔(やみ)を砕け
「ヴォ……オォォォォーッ!!」
轟く雄叫びを上げ、クリスタルの大蜘蛛はその鋭い針のような足を叩き付けた。
狙いは守護騎士。睦月の視界は一瞬にして舞い上がった土埃と衝撃波に包まれ、その身体
を激しく吹き飛ばされて転がされる。
慌てて受け身を取り、起き上がった。土埃の上、見上げた頭上では大蜘蛛が再び攻撃を加
えようとキョロキョロこちらを捜しており、これは拙いと遠くへ遠くへと駆け出す。
『睦月、無事か!?』
「何とかね……。それにしたってアレは何なの? 滅茶苦茶だよ。さっきあいつが法川先輩
のリアナイザに何か細工をしてたみたいだけど……」
『ああ。こちらでも確認した。黒いチップ──のような物だ。今は解析している余裕はない
が、少なくとも物騒な代物である事は間違いない』
『……マスター、司令。あのアウター、暴走状態になってます。このままだと本人だけじゃ
なく、召喚主の方にも危険が……』
『そのようだな。睦月、至急市中の隊員達にも召集をかける。……やれるか?』
「やるしかないでしょ。あんな巨体に暴れ続けられたら、此処に来ているお客さん達が大勢
犠牲になる!」
皆人とパンドラ、交互にやり取りするこの危機的状況。
親友に問われ、睦月は即答した。言わずもがな。遠く林を挟んだ敷地の向こう側から人々
の悲鳴がぽつぽつと聞こえ始めていた。
最初は何か新手のアトラクションだとでも思ったのだろう。しかし大蜘蛛がリアルに実際
にこのプールを破壊していると悟った瞬間、傍観は悲鳴に変わった。睦月はぎゅっと唇を噛
み締める。ズザザッと急ブレーキを踏みながら真後ろに方向転換し、見上げるこの巨大な敵
を見据える。
「……パンドラ。確か空を飛べるコンシェル、あったよね?」
『はい、ホワイトカテゴリです! この子のトレースを!』
クリスタルの大蜘蛛がこちらに気付いた。パンドラにアシストされつつ、睦月はホログラ
ム画面でアクティブにされたそのコンシェルを一瞥し、引き金をひく。
『TRACE』
『WIND THE HAWK』
銃口から飛び出した白い光球がぐすりと旋回し、落ちてきたのと、大蜘蛛が前足の切っ先
をこちらに叩き付けてきたのはほぼ同時の事だった。
だが……睦月は文字通り飛んでいた。
左右の肩口に焦茶色のカラーリング、全体として白。新たに纏い直した装甲の背からは鳥
を思わせる鋼の翼が生え、彼を大蜘蛛の頭上、空高くに飛翔させている。
リアナイザの基本武装をシュートに。繰り出される三対の前足をその機動力で巧みにかわ
しながら、睦月は次々と、あちこちらか銃撃の雨を浴びせに掛かる。
「──」
「くっ……!」
しかし巨大化し暴走したクリスタルには、これらはまるで効いていないようだった。
ぱちくりと水晶のような複眼を向け、再度再三狙いを定めて鋭い脚を払ってくる。更に口
からは無数の結晶弾を吐き出し、慌ててかわす睦月の後方、公営プールの敷地内へと落ちて
いく。
「あは、ははは……。凄い、凄いわ! これなら、これならッ!!」
その最中、睦月は確かに眼下に捉えていた。禍々しく黒いデジタル記号の渦にリアナイザ
を右手ごと呑まれながらも、晶はすっかり気が狂ったように笑い、暴れ回るクリスタルの大
蜘蛛を見上げている。
病んだ目。その隣ではあの神父風の男が、淡々と酷く落ち着いた様子でこちらの戦いを眺
めていた。
(……先輩。貴女って人は……)
失望にも似た怒り。睦月はパワードスーツの下でぎゅっと拳を握っていた。旋回を繰り返
す体勢を立て直し、一旦大蜘蛛の背後に回りながら訊ねる。
「埒が明かない。普通の攻撃じゃあの硬い身体は貫けないよ。やっぱりもっとパワーのある
攻撃をぶつけないと」
『でしたら、武装を選択した状態でチャージをコールしてください。EXリアナイザの武装
と同様、通常よりも威力のある一撃を放つ事ができます』
「……よし」
ホログラム画面にタッチし、睦月は新たな武装を選択した。
選んだのはパワーに特化したブラックカテゴリ。犀のコンシェル。
『マ、マスター。今の装甲──機動力重視のホワイトカテゴリでは、その子達とは相性が』
「……大丈夫。この高さなら、重力が味方してくれる」
『ARMS』
『DRILL THE RHINO』
空中から空中に解き放たれた黒い光球は、左腕を掲げた睦月の腕に収まった。
巨大で鋭いドリル状のアーム。睦月はぐわんと全身を使って上下逆さまになり、その刃先
を振り返ったクリスタルの大蜘蛛へと狙い定めた。
「チャージ!」
『MAXIMUM』
直後、コールと共に胸元のコアが光り、パワードスーツの全身を伝って左腕のドリルに莫
大なエネルギーが注がれ始めた。螺旋の刃先もその力を受けて激しく振動、回転し、目標を
砕かんとけたたましい轟音を上げる。
「──っ」
ダンッ! 空中を蹴るようにして睦月は飛び出した。飛行の加速度、上空から鋭角に急降
下する事で得られる重力の加速度。二つの力を利用して守護騎士はこの巨体に真っ向勝負を
挑もうとしたのだ。
大蜘蛛もくわっとその牙を持つ口を開けた。中からは無数の結晶弾が放たれ、突っ込んで
来る睦月を撃ち落そうとする。
ガリ、ガリ、ガリガリガリッ!! だがそのことごとくを、睦月はその突き出したドリル
の回転で弾き飛ばし、粉微塵に砕いた。
どんどん互いの距離が狭まっていく。地面が近くなる。クリスタルの大蜘蛛はそこまでき
てようやく本能で拙いと悟った。結晶弾による迎撃を諦め、ぶんと一本二本とその腕を全力
で振るって叩き落そうとする。
「う、おォォォォォォーッ!!」
だがもう遅かったのだ。度重なる加速度のついた睦月の突撃はもう誰にも止められず、振
り抜かれたこの巨大な前足すら次々と砕き、貫通していく。
晶が、神父風の男が、司令室の面々が見上げた。
激突。はたして睦月の一撃はクリスタルの大蜘蛛を顔面から刺し貫き、その硬い巨体を内
部から砕いて爆発四散させたのである。
轟。刹那、大量の土埃と衝撃波が辺りに舞った。
晶と神父風の男もその余波を受けた者の例に漏れず、前者はもろに吹き飛ばされ、後者は
直前でサッと自分の前に手をかざし、一瞬にして辺りは埃まみれの視界不良になる。
「……っ、はぁっ! な、何とか、倒せた……」
やがて晴れていく土埃、現場。
睦月──守護騎士はその只中に立っていた。
辺りには蒼白い塵になって消滅していくクリスタル・アウターと思しき残骸が無数に散ら
ばっており、ややあって彼がそうして漏らした声に、皆人や香月以下司令室の面々はぱぁっと
安堵と共にハイタッチし合う。
「……」
しかし彼はまだそこにいたのである。土埃が風に煽られて遠退いていく中、神父風の男は
全くの無傷でその場に立っていたのだった。
気配を感じ、睦月はハッとして振り返る。こちらと同様、彼も始めはこちらをじっと見つ
めていたのだが、自身の後方の──埃まみれでぐったりと倒れ気を失っている晶を、先程の
衝撃で粉々になった改造リアナイザを見下ろすと小さく嘆息。一度眼鏡越しから睦月を睨み
返すと、そのまま踵を返してまだ燻る土埃の中へと消えていってしまう。
「あっ! ま、待て……!」
『待て睦月。今はいい。それよりも今は急いでその場を離れろ。人が来るぞ』
慌てて追おうとした睦月だったが、それを他ならぬ皆人は止めた。
曰くこれほどの戦闘、事件になった以上長居は無用であること。あの神父風の幹部とここ
で戦うメリットはない筈だということ。そして今回肝心の晶とそのアウターは撃破した──
目的は達したこと。
睦月は疲労した身体と意識の中、逃げた彼の方向を見つめながら、しかし親友の言い分も
尤もだと思い、指示に従う事にした。
晶の介抱と、あの幹部クラスに自分達の情報が漏れていないかどうか?
破壊されたリアナイザの回収を含めた後始末は、國子以下到着するリアナイザ隊の面々に
任せる事となった。
「……。先輩……」
文字通り拠り所であったものが砕かれ、ぐったりと気絶したままの晶。
睦月は見ろした彼女に呟き、その身を抱え上げると、足早に場を後にしたのである。




