66-(4) 由香の不承
コソコソと、慎重に慎重を重ねた忍び足で、由香は一人密かに部屋を抜け出した。
場所は学園の文化部部室棟。睦月達が集まる電脳研の隣室である。タイミングはそんな彼
らが恵を加え、話し込んでいた最終盤。由香は部室棟本体から十分距離を取り直した上で、
制服のポケットからデバイスを出した。電話を掛けた先は、目下別行動中の筧と二見だ。
「──そうか。そいつは有力な情報を聞いた。奴らの妙な動きも、確かにそれで説明がつく」
昨夜の内に見つけておいた、淡雪の旧監禁先と思われる作業場跡。筧と二見はその全景が
窺える、近くの給水タンクの上に座っていた。由香からの報告を受け、デバイス越しに筧は
スッと目を細めている。二人の眼下、例の作業場跡では、冴島隊を含むリアナイザ隊士達が
今朝から計測機器を持ち込んでローラー作戦を行っていた。彼女が二人と別行動、登校して
いたのは、睦月以下対策チームの動向から情報を抜く為である。
『はい……。でもやっぱり、いい気はしません……』
通話の向こうでしょぼんと、元気のなさそうな由香の声が聞こえる。
彼女が電脳研の隣室に忍び込んだ方法は、ブリッツの磁力で施錠部分を開け、睦月達より
も早く潜んで待つ──有り体に言えば不法侵入だったからというのもある。何より彼らの、
途中から訪ねてきた恵の話を聞いてしまったことも大きい。
「百瀬恵って確か、文武祭で演説をぶち上げてた人ッスよね?」
「ああ。従わない個体は軒並み粛清って感じらしいな。彼女には悪いが、その犠牲のお陰で
こっちも色々と合点がいった」
隣で聞き耳を立てていた二見と共に、筧はぽつりと。視線はじっと眼下の冴島達を捉えた
ままながら、思考は既に急ピッチで点と点を結ぶべく回り出している。
先日、市中に潜む個体達に下された“召集”命令。或いはそのタイミングに託け、幹部達
すら含めた粛清──もとい選別。皆人が推測していた通り、敵の目的はもっと私的な何かな
のかもしれない。
(こっちも、呑気にやってる場合じゃねえな……)
じっと細めた目が数拍、何処か此処ではない遠くを見据える。筧は集まってくる情報の濁
流を己が身で堰き止めるが如く、改めて今後の戦いが更に厳しくなるであろうことを悟って
いた。
敵の戦力や質が凝縮されてゆけばゆくほど、只でさえ少人数な自分達は益々不利になる。
蝕卓対対策チーム・政府連合の構図が益々色濃くなる。
「ともかく今は、連中よりも先に牧野黒斗と藤城嬢をキープしたいところだな。あいつが俺
達の前から去って行った方向と、あの作業場の位置関係から、追い直したっつー方角は大よ
そ絞れる」
傍らで聞いている二見にも目配せをしつつ。通話越しにそう由香へ次なる方針を伝え始め
る筧。刑事時代の経験から、逃亡する犯人はなるべく前居たエリアよりも遠くへという心理
が働く。且つ方角的にUターンになるような導線は、意識・無意識の内で避けたがることも
知っている。
「七波君。君は“放課後”にこっちへ合流して来てくれ。それまでに俺は額賀と大体の目星
を付けておくよ」
『えっ? でも……』
だからこそ、由香は少なからず躊躇ったようだった。
おそらくは折角登校したのだから、せめて“学生”をやらせてあげたいという筧の計らい
なのだろう。しかし目下の状況が状況だけに、彼女も悠長に学生生活を送る余裕などないの
が本音だった。
只でさえ今日は、睦月達の動向を盗み聞きするような真似──その為に登校していた節が
ある。不服そうな彼女に、筧は努めてフッと電話口で苦笑う。
「心配するな。ブレイズ達が牧野黒斗の反応を憶えている。あいつが向かった先は、イコー
ル藤城嬢の居場所の筈だ。絞った方向を手分けして追って行きゃあ、連中が移した潜伏先も
きっと見つかる」
『……はい』
最後の最後まで、不承不承といった様子は変わらなかった。だがそれでも彼からの指示を
受け、由香は一旦学園に残ることにする。大よその情報は抜いたとはいえ、また追加で二人
に報告できるタイミングがあるかもしれない。
(ん……?)
だがちょうど、そんな時だったのである。
にわかに眼下の作業場跡が、冴島以下リアナイザ隊の面々が、一斉に騒がしくなった。ピ
クンと耳に届いた二見、次いで通話を切る寸前だった筧がその異変に気付いて立ち上がり、
視線を下ろす。そこには冴島達の前に現れ、これを襲い始めている無数の塵──いや、蟲の
大群の姿があった。
「て、敵襲! 敵襲-ッ!!」
「総員、戦闘態勢! 防御を固めろ! 機材だけは絶対に守れ!」
『──』
再び現れたワスプ。細分化能力を有する、B・ワスプ・アウターである。




